2-1. e
2018 / 06 / 30 ( Sat )
「名づけた人の趣味がすごかったって話。あれ、あなた小学校にもあがってなさそうなのに、漢字で書けるのね」
 手帳から目線を上げて、マキがふさふさのまつ毛に縁どられた目を意外そうに瞬かせる。つい注視してしまいたくなる動きだ。

 そんな折、青と茶の軌跡が視界の端で踊るのが見えた。
 彼らの知らせがなくとも、ミズチにも伝わっていた。まだ遠いが、相当な速度で近付いてきている。

「それより『まきちゃん』、ゆみを呼んだな」
「へえ! なんでわかったの。エスパーみたいよ」
 女が端末の画面をこちらに向ける。長い爪が邪魔だが、画面に己の姿が収まっているのがなんとか見えた。マキが会話の合間にさりげなく撮っていたらしい。ブレていて見づらいが、背格好や服装で丸わかりである。邂逅して間もなく送りつけたのだろう。

 続いた数秒の間で、ミズチは速やかに判断した。
 鉢合うまでここで待っても構わないが、この場合、様子を見たほうがいいだろう。

「保護者同伴なんて嘘なんでしょ。まずその格好、パジャマっぽい」
「きがえるの忘れてた」
 寝間着で外を出歩くのは人間の感覚では恥ずかしいことなのだと、指摘されてから思い出す。道理で何かと他人の遠慮がちな視線を感じていたわけだ。

「なに、喧嘩でもして飛び出したの? お姉さんに相談してみなさい」
 マキがニヤニヤ笑いながら両手を組んだ。だがこちらはもう去るつもりである。
「いらねー。じゃあな、あと、あやしいやつに気をつけろよ」
「ちょっと待って!」

 待たない。女の制止の声も伸ばされた手もかわし、ミズチは鉄紺と栗皮を連れて人込みの中に一旦身を隠す。数分も経つと物影に移動し、そこで自らの周りの水滴を浮遊させ、薄く膜を張った。姿を認識されなくする術だ。
 そして息を切らせた唯美子が駆け付けたのと合わせて、物影から踏み出た。何かにぶつかると術が解けてしまうため、慎重にマキの席の後ろに回る。

「ナガメ!? あ、真希ちゃん、連絡ありがとね」
 唯美子は空いた椅子の背もたれに手をのせ、ぜえはあと苦しげに呼吸を繰り返した。探し人の姿がないことに眉の端を下ろし、きょろきょろと辺りを見回している。
 ――なぜ彼女は走ってきたのだろう。
 急ぐ理由などどこにもなかったはずだ、むしろ、吉岡由梨と談笑していたのではないのか。汗に濡れた前髪をかきあげる唯美子を、ミズチは奇妙な心持ちで眺めた。

(いいにおい)
 ひそかに。当人に気づかれずに、近くで観察する。
 唯美子をかぐわしいと感じるのは、捕食衝動とは別のところから生じているように思う。数百年生きてきてニンゲンを喰らったことは確かに何度かあったが、美味いとはまったく感じなかった。今でも、ニンゲンよりも食べたいものはいくらでもある。

 生物が同族の異性をかぐわしいと感じるのとも、おそらく違う。敢えて言葉にするなら、彼女が心から発する優しい波動が、好きなのだと思う。
 傘を置いて行ってくれた日からだ。
 彼女だけの呼び名を聞く度に、よくわからない感覚をおぼえる。うれしい、のかもしれない。

「やっほー、いいってことよ。でもごめん、ついさっき逃げられちゃったわ。なんなのあの子? あんたが来るの、前もって気づいてたみたいだけど」
 マキが気さくに応じた。まあ座りなよ、と手の平で示している。唯美子は促されるままに腰を下ろした。
「逃げたの……。ううん、気にしないで。あの子はひとりでも大丈夫だから。いつものことだよ」

「そうみたいね。ねえ、ゆみこって親戚にハヤシさんがいたのね。初耳」
「木が二つ並んだ字のハヤシさんのこと? いないよ?」
 そうなの、と訊き返したマキの声が明らかに驚いていた。唯美子もまた驚いた顔をしている。
 これが何の話かは、ミズチにはいまひとつ掴めない。

「名前、なんていうのって聞いたらこう書いたんだ。この字で『ナガメ』は、読めなくもないな」
 マキが手帳を開いて見せると、唯美子は上体をテーブルの上に乗り出し、真剣な面持ちでページを見つめた。納得の行かないような顔だ。
 自信があったのに、それほどまでに変な字だっただろうか。

「ゆみこさー、電車乗ってきたんだよね。わざわざ来たんだし、今から映画観ない? 実は今日、デートの相手にドタキャンされちゃって。チケットおごるよ」
「うーん。お母さんが家にいるんだよね」
「ちょっとくらいいいじゃないー」

「そうだね、あの人は放っておいても自由に動き回るだろうし、とりあえず訊いてみるね」会話にしばしの間があった。唯美子の端末が鳴るまでの数十秒だ。「好きにしていいよだって。晩ごはんまでに戻りさえすれば」
「やったー!」

 そこまで聞いて、ミズチはその場を足早に立ち去った。映画館となれば二人は少なくとも数時間は一か所に留まることになる。
 ――その間に探してみるのもいいか。
 指を軽く振って眷属の二匹に合図を送った。
 追跡すべきは、特定人物に向けられた『悪意』だ――。



いつにもまして漢字vsひらがな表記が不安定な今作ですが、生ぬるい目で見守っていただけるとうれしいです…(;´Д`)

2話でお会いしましょー☆彡

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