19.c.
2013 / 01 / 07 ( Mon )
 ふいに温かい柔らかさに包まれた。
 どうやら後ろから抱きつかれたらしい。
 
「じゃあね」
 数秒後には甘い残り香だけを残して、温もりは離れていた。
「ああ」
 これが今生の別れになるかもしれないが、特に悲しいとも寂しいとも思わなかった。
 
 ゲズゥは父親の形見である湾曲した大剣を左脇に抱えなおして歩き出した。革の鞘を部分的に嵌めている。その内に父が使っていたような、全体を覆う鞘を用意した方がいいだろう。
 
 通路を抜けた途端、目を背けた。そうしなければならないほどに外は明るんでいる。予想通りに空は晴れていた。
 円状の観覧席は、人でひしめき合っている。山の上によくもこれだけ大きな建物を建てられたものだ、とも思うが、それよりもこれだけの人が一体どこから現れたのが謎だった。おそらくは山賊団の団員以外の知り合いも数時間の間に呼ばれたのだろう。

 ――どいつもこいつも暇なのか? 
 そう考えかけて、闘技場の中心にこちらに手招きするエンの姿を認めた。
 
「よっ。こっちこっち」
 エンは麻ズボンと白いシャツの上に、上等そうな青みがかった黒のベストを着ていた。飄々と笑いつつ普段より僅かに気が引き締まったような姿勢を見せ、黒髪を頭の後ろでくくっている。腰回りに太い鎖がかかっているのは先刻と同じである。
「揃ったことだし、始めようぜ」
 
 彼がそう言った途端、雄叫びのようなものが闘技場に響き渡った。
 その音の波に打たれた観衆は直ちに静まり返り、至近距離でそれを聴いたゲズゥは無意識に半歩さがった。更に至近距離で聴いたであろうエンは、目を細めるだけで笑みを崩さない。
 エンの背後に仁王立ちで構えていた大男が、閉じた口の端を吊り上げた。
 
「楽しみに待っていたぞ、ゲズゥ・スディル」
 がはは、と大笑いしながら頭領は前へ出た。
 改めて見上げると随分と独特な顔立ちだ。大きな鼻と耳と口に、主張の強い眉骨。世間がこういう顔をどう評するかはよくわからないが、肉食獣を連想させる、野性的で強そうな雰囲気を醸し出しているのは確かだった。
 
「そんじゃあルール説明しますよー」
 都合よく訪れた静寂に乗じて、エンが両手を広げて喋り出した。
「時間は無制限、使用可能な武器は開始時に身に付けてたモノのみ。勿論、身に付けているモノなら靴でも服でもアクセサリーでも何でも使ってよし。ここまではいつもと同じな」
 一拍置いて、彼はまた大きく息を吸って話を続けた。段々と口調が砕けてきている。
 
「ただし、勝敗の決まり方。いつもだと敗北の条件は勝者または観衆に任せてるわけで、気絶でも口での『参った』でも相手を殺してもいいけど、今日は事情が絡んでっからオレが審判だ。よって、気絶して二十六秒以内に起き上がらなかった方を負けとする!」

「二十六? どうせなら三十でいいだろ?」
 観覧席の誰かが不思議そうに問う。
「何でそんな半端な数字かってーとオレの歳の数だからだ。そんだけ」
 エンがあっけらかんと返事をすると、会場中に笑いが広がった。
 
「両者から何か質問は?」
「ねぇよ。さっさとやり合わせろ、イトゥ=エンキ」
「無い」
 
 満足そうに顎を引いてから、エンは後ろへ数歩下がった。壁まで下がったところで、左右へそれぞれ人差し指を指した。
 
「先ずは、十ヤード以上離れてもらう」
 ゲズゥは言われた通りにした。頭領もズシズシと砂利を踏みしめながら離れていく。
「さてココに木の実がある。皆おなじみの緑色の酸っぱい奴」
 エンは指の間に、拳よりも小さい緑の球体を持っていた。
「オレがこれを上へ投げる。木の実が地面に落ちたら、開始だ」
 
 わかりやすい合図だ。音が小さいのが難点だが、会場には当然のように静寂が落ちたので問題ない。
 ゲズゥは大剣を包む革の鞘の留め金を外し、鞘のパーツを遠くへ投げた。
 
 どんな武器も身に付くとはよく言ったもので、それは裏を返せば一つの武器を集中的に極めていないとも言う。旅の途中で手に入ったこの大剣は使い慣れただけで極めてなどいない。
 ゲズゥは素手での肉弾戦が最も得意だったが、今日の相手に、素手では分が悪すぎた。
 勝算があるとすれば、あの巨漢から戦斧を離すしかない。

「用意はいいかー」
 エンは肘を曲げた腕を下ろしては上へ上げた。
 鮮やかな緑色の木の実が宙に放たれる。

 ゲズゥは己の敵手へと視線を降り戻した。
 頭領の放つ殺気に当てられないように、心を鎮める。これが森の中で遭遇した野獣なら、選択肢はたった二つ――完全に静止してやり過ごすか、一目散に逃げるか。決して戦おうなどとは考えない。
 しかしここは森の中ではなく、相手も野獣ではなく人間だ。

 ――ボトッ。
 待っていた音が、右横からハッキリと聴こえた。

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