五と六の合間 - a.
2017 / 05 / 27 ( Sat )
 無邪気な寝顔を見下ろして、エランディーク・ユオンは口元を綻ばせた。すう、すうとゆっくりと繰り返される呼吸を聞いていると、不思議とこちらも和やかな気分になる。
 意識のある内はあんなに賑やかな彼女も、ひとたび眠ってしまえば大人しいものだ。

(――酒が回ると扱いづらいが)
 寝付かせるまでの騒ぎを思い出し、苦笑いする。
 エランは己の寝床を占領している女性を今一度見下ろした。背中を丸めて横になっているのは心理的な要因があるのか、それとも単に寒いのか。後者であってはいけないと思い、予備の毛布を取りに行く。

 既に彼女にかけておいた羊毛の毛布の上に、もう一枚をそっと重ねる。
 身体にかかる重みが二倍に増えても、セリカは微動だにしない。眠りが深そうだ。それを確認できたゆえか、自らの舌から転がり落ちる言葉を、エランは止めなかった。

「お前は裏表がなくていいな」
 眠り姫からの返事は当然ながら、無い。
(或いは、本人は必要に応じて猫を被っているつもりなのかもしれない)
 しかし取り繕えども、オレンジヘーゼル色の瞳の奥からは一切の企みが窺えなかった。謀とは無縁の無垢な魂からは、生命力ばかりが溢れるように感じられる。

 エランディークは元より、将来の妃に対して高望みをするつもりがなかった。
 どのような外見、どのような人柄の姫が来ても受け入れる覚悟でいた。そうするのが最善だと理解していたからだ。女性の理想像どころか、好みすら定まっていない。よほどの背徳者でもない限りは、どんな相手であっても落胆しない自信がエランにはあったのだ。

 そうして現れたのがこちらの公女。森で見かけた時から、退屈な一生に彩りがもたらされる予感がしていた。
 ――喜んで連れ回される、か……。
 口角が勝手に吊り上がる。見咎める者が居るわけでもないのに、エランは掌で自身の口元を覆った。

 願ってもなかった幸運だ。
 たとえばムゥダ=ヴァハナ出身の女であったなら、辺境の領域への移転を嫌がったことだろう。異国の――それも少々風変わりの――姫を娶るからこその幸運だった。

 加えて好奇心旺盛で、こちらの事情やら持ち物やら、細部まで興味を示してくれる。嫌な感じはしなかった。どれほど質問されても煩わしさは無く、むしろ自分などに興味を持ってもらえることが純粋に嬉しかった――顔の話は別として。
 浮き立つものがある。こんな気分になったのは初めてだ。

「まったく、無防備だな」
 元凶たる彼女といえば「うー」やら「むぬ」やらと呑気な声を漏らして寝返りを打っている。その都度、赤紫色の長い髪が枕の上をさらさらと流れた。先ほど酔った勢いで被り物を自ら脱ぎ捨ててしまったのである。
 
 ――あまり眺めるのも良くない、気がした。
 心動かされるのだ。熱い吐息や、火照った頬もいけない。せめて髪に触れてみたいと思い、何度か手を伸ばして、そして思い留まる。

 飲みすぎてしまったようだ。そう結論付けて、エランは腰を上げた。使い終わった食器やらを回収し、屋内に待機していたタバンヌスを呼ばわる。
 片付けを終えて屋根から屋内へと梯子を下りたところで――セリカの侍女が不安そうな顔で膝をついた。名は、確かバルバティアと言ったか。

「公子さま……あの、発言をお許しくださりませ」
「どうした」
 頷いて、続きを話すように促す。
「姫さまはどうされたのですか……?」
「上でぐっすり寝ている」

「上!? たったおひとりで外に……!? い、些か非常識ではありませんか? ひ、姫さまはやや奔放なお方ですけれど、美しいお心をお持ちの、まごうことなき我が国の宝たる公女のおひとりです。ご当人はまとわりつかれるのが鬱陶しいからと本国から連れてきた護衛を帰してしまいましたけど……どうか、姫さまを大切にしてくださいませ……何卒お願い申し上げます……」
 頭を下げたまま懇願するバルバティアを、エランは不思議な心持ちで見下ろしていた。
 遅れて、己の至らなさに気付く。だが先に侍女が泣きそうな声で更に弁明した。

「すみません! 口が過ぎました! いかようにも罰して」
「いや、気にするな。私こそ自覚が足りなかった。この都に足を踏み入れた瞬間から、セリカラーサ公女の身の安全は我が国が請け負ったのだからな。見張りにタバンヌスを置いていく――あなたも、傍に行ってやるといい」
 萎縮してしまっているバルバティアをなるべく安心させるように、エランは努めて柔らかく言った。

「ありがとうございます!」
 お許しを得た侍女は主の元へと急いで梯子を駆け上がっていく。
 数秒遅れてタバンヌスも梯子に手をかけたが、三段ほど登って、振り返った。
「公子はどうなさるのですか」
「水を汲んでくる」
 空になった水瓶を片手で持ち上げて答えた。

「それならば、己が行きます」
「お前はセリカの身辺警護だ。水を汲むくらい、私が一人でできないとでも?」
「いえ、そんなまさか…………いってらっしゃいませ」
 兄代わりの従者は、怒ったような困ったような渋い表情を浮かべて、ついには折れた。

「ああ」
 エランは素早く踵を返す。廊下を突き当たって、裏口の階段を降り切ってしばらくすれば、井戸に辿り着ける。
 それにしても――と階段を下りながらふと考える。
 護衛にまとわりつかれるのが鬱陶しい彼女と、人の気配に囲まれるのが苦手な自分。

 どこか似ているような気がした。
 これも幸運なのか、と声に出して笑った。

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どうもお待たせしました。
開始からずっと主人公視点オンリーで駆け抜けて来ましたが、今回はいわゆる彼SIDEですw

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