二 - g.
2017 / 03 / 09 ( Thu )
(あ、そっか。森で鉢合わせした時の「わからないのか」は、噂を耳にしていれば一目でわかるような外見的特徴があるから)
 ふとそのことに気付く。
 意識し出せば次々と疑問が沸き起こってやまない。何故顔を隠す? いつからそうしている? 布の下には一体何がある――?

「生涯を共にする相手がこんな風貌でガッカリしたかい」
 例によってアストファンから、どう反応すればいいのかわからないような質問が来た。
「めっそうもありません」
「本当に? 正直に言ってもいいのだよ、姫殿下」
 ゴブレットから酒を一口飲み干して、長髪の美形は艶やかに笑う。

「アストファン、よせ」
「ベネ兄上、私に怒るべきはあなたではありませんよ。本人が何も言い返さないのに兄上が逐一介入してきては、エランの立つ瀬を奪っているようなもの」
 ベネフォーリの制止の声はあっさり撥ね退けられた。

 ここまで言われていながら、エランディーク公子は尚も無関心そうに食事に専念している。
 セリカはその心中を察そうとする。もしも造形の醜さを理由に顔を隠しているのなら、世にも珍しい美丈夫たる兄にからかわれるのは屈辱の極みだろう。
 或いは、セリカの方が何かの探りを入れられているのだろうか。兄弟ぐるみでこちらの出方をうかがっているという可能性も否めない。

「アスト兄上」
 そこで、カタン、と第五公子は食べかけの骨付き肉を皿に下ろした。極めて平淡な声だった。
「なにかな。エラン」
 呼ばれた男はやたら嬉しそうに答える。楽師たちの弾く曲も、ちょうど軽快であった。

「あまり彼女を追い詰めるような質問をしないでください。誰しもが兄上の妃たちのように、意のままに結婚できるわけではないのですから」
 数秒の間があった。
「ふっ、ははは! 顔を赤くして怒鳴るベネ兄上も捨てがたいが、眉ひとつ動かさずにそういう返し方をするお前もからかいがいがあるというもの。おかえり、エラン」
 言葉の応酬を繰り広げる二人をよそに、場には冷えた空気が漂った。

(ええっと……これは、庇われたと解釈すべき……?)
 言われてみれば、結婚相手を自ら選べない立場の人間に「婚約者に会ってみて落胆したか」と訊くのは酷かもしれないが、自分のことだからかセリカはいまいち理解が追いついていなかった。

「いい加減にしてください」
 嘆息がよく似合う少年、ハティル公子が口火を切る。
「がっかりするも何も無いでしょう。必ず行路を開通できるとの確証はありませんけど、ゼテミアンの望む結果をもたらせるとしたら、ルシャンフ領の領主であるエラン兄上だけです」
 ――彼の発言が、確定的な事項を要約した。

_______

「ねえ姫さま、お顔を常に隠さなくてはならない事情って何なのでしょうか」
「あたしだって知りたいわよ、バルバ」
「生まれ付いてのアザ、火傷、傷跡……それとも。の、呪いの類でしょうか。何でしたらわたし、それとなく噂話を聞き出してみましょうか」
 侍女バルバティアの小声での提案に対して、セリカはしばらく唸った。

「うーん、すっごく興味あるんだけど、それだけはしちゃいけない気がするわ。自分で本人に訊けないようじゃどのみちこの先うまくやっていけなさそうで」
「でも」
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
 半ば強がりで、友に笑いかける。本心では、あんな得体の知れない男とうまくやっていける気が欠片もしていなかった。
 しかし運命というものは、心の準備が整うまで待ってはくれない。

「そろそろ目を開けてもいい?」
「まだです。右の瞼に塗り残したところが……」
 セリカはやんわりとバルバを急かした。晩餐会をなんとか無事に乗り越えたはいいが、これから大公陛下に謁見しなければならない。その為に化粧や被り物を整え直しているのである。
 父親以外の大公に会うのは初めてだ。一国の主の前に立つのだと再認識すると、手足が勝手に強張る。

 ひとりで行くのだとしたらそれだけで胃が痛くなるものだが、今回に限っては同伴する者がいる。それはそれで別の意味で気が重い。
 やがてバルバの手が止まり、「終わりました!」の一言が降りかかった。
 セリカは椅子から素早く立ち上がって身だしなみの最終確認をした。スッと立ち居振る舞いを正し、廊下に滑り出る。

「お待たせいたしました」
 戸の隣で待ち構えている青年の方を見ずに、恭しく一礼する。
 なんでも、貴婦人は夫の三歩後ろを歩くものらしい。重ね重ね思うが、煩わしい風習しか残っていない文化だ。

 目を合わせずに連れ立つには相手の足元を見つめるのがコツ、と教えてくれたのは母だっただろうか。セリカはしばらくその場でじっとした。
 ところがいくら待っても、視界の中の黒い長靴は動こうとしない。

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