二 - a
2017 / 03 / 01 ( Wed ) 己が思い描く「理想の姫君」像が実は陳腐な虚像だとセリカは感じていた。そう感じていながらも、今夜はその虚像に少しでも近付こうと思って、柄にもない工夫に勤しむ。 たとえば、うなじや手首の内側に香油を塗ってみる。たとえば、窓際に立って優雅な仕草で頬杖を付き、夜空に向かってため息をついてみる。 「これ何の香りだったかしら、バルバ」 「プリムローズですよ。姫さま」 「ふうん、いい匂い」 名残惜しいような気持ちで、香油のビンをそっと閉めた。プリムローズ、先駆けて咲く春の花。 ――馬鹿みたいだと思う。 上辺だけ着飾っても、根底が変わるものではない。ほとんど宮殿に閉じ込められて育った身でも、自分はやはりそこらの深窓の姫君とは違うのだった。うまく説明できないが――仕草や立ち居振る舞いが問題なのではなく、思考や感性が別物なのである。 (男の兄弟と気兼ねなく接することが許された時点で、あたしの窓は開け放たれてたものね) そういう意味では、ずっと家族に甘やかされてきた。 大公妃たる母の気品を正しく受け継いだ姉と妹に挟まれていたからか、 セリカは跳ねっ返り娘でいても大目に見てもらえた。こちらの不足を補ってありあまるほど、二人は模範の公女だったのだ。 (甘やかされたツケを払う時か) わかっているからこそ、常よりも着飾る努力をする。身支度のみにこんなに時間と手間をかけたのは、十四歳の頃に迎えた成人式以来ではないだろうか。 姿見で全身を見直した。なるほど、立派な貴婦人に見えなくもない。 先方が用意した衣装にほとんど着替え終わって、残すところはベールだ。何故頭髪を布で隠さなければならないのかが理解できないが、しきたりだと言うので、従う。とはいえ、セリカやバルバティアでは巻き方がわからない。 そこで他の女官に手伝ってもらった。 さまざまな色合いの紫に彩られた衣装に薄紫のベールはよく映え、額にかかるレース模様もなかなかに美しい。 (宮殿内の女性って、みんなこんな格好なのかしら) 何もかもが新鮮に感じる。女官たちに至っては目元以外の全身を覆っているくらいである。 これが祖国ゼテミアンであれば、女性は髪を盛って見せびらかすのが基本だ。どんなに布を重ねたとしても、肩や首周りの曲線を隠さないどころか、なるべく強調する。 「こんなに髪も肌も入念に隠して……あたし、無個性じゃない?」 「大丈夫ですよ、姫さまは顔(かんばせ)だけで十分に魅力的です。きめ細かな肌、長い睫毛、甘やかなオレンジヘーゼルの瞳。一度お目にかかれば二度と忘れられないような美貌ですもの」 そう言いながらも有能な侍女はセリカの化粧の具合を隅々まで確かめてくれる。 セリカは普段あまり進んで化粧をしないため、それが必要になった際には自分ひとりでうまくできない。側仕えの力が無ければどうなっていたか。その為の侍女なのだと言えば確かにそうなのだが、他人に何かを頼り切るのはどうにも落ち着かない。 相手がバルバでよかった。信頼できる者が側に居てくれるのは凄く幸せなことなのだと、改めて再確認する。 「やめてよ、褒めたって何も出ないからね」 「あら、何も? おやつくらいくださってもいいのですよ。そうですね、晩餐会からくすねてみるとか!」 悪戯っぽく笑って、妙案とばかりに彼女は人差し指を立てる。バルバティアは甘味に目が無い。それでいて太りにくい体質なのか、出るべきところは出て引っ込んでいるべきところはちゃんと引っ込んでいる。羨ましい限りだ。 「でもこの服、袖がぴっちり手首にくっついてるから、ものをこっそり詰めて持ち出すのが難しそう」 「何の為のパルラですか!」 バルバは大袈裟に仰け反って、セリカが自国から持参した衣類を指差した。寝台の上で山積みになっているそれらの頂には、青緑色の外套がある。肩や腰を接点にして巻く長方形の一枚布で、祖国の旧い言葉でパルラと呼ぶ。なんでもこの一点物は、絹という高価で貴重な生地を使ったものらしい。 それゆえに、正装をする時のみに併せてこれを着ることにしている――断じて、人目を忍んで菓子類を持ち出す為に用いているのではない。 セリカは腕を組んで考え込んだ。 「うーん、今回はやめとくわ。デザインの相性も問題だけど、色が合わないのよね」 そもそも頭と首に既に布を巻いているのに、胴体にも何かを巻いたら、やり過ぎのように思える。 「残念。さて、装飾品が最後ですね」 そう言ってバルバは壁際のサイドテーブルに向かった。そこには大きな丸い箱が置いてある。 指先の脂が移らないように手袋を嵌めてから、彼女は慎重に箱の中身を取り出した。 宰相経由で渡されたこの「贈り物」を身に着ければ、仕上げである。 ゼテミアンの服は古代ローマをゆるーくイメージしてます。 |
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