25.d.
2013 / 08 / 07 ( Wed ) (絶対嫌! ……でも、抵抗したら……どうなるんだろう)
扉の前で陣取る兵士たち四人を見やると、彼らは槍を手に目を光らせている。部屋に窓は無いし、扉は一つしかない。逃げ道があるとは到底考えられなかった。例えばゲズゥのように兵を斬り伏せる技量があれば話も違ってくるだろうに、生憎とそんな方法はミスリアには取れなかった。 唾を飲み込み、手の中の衣装を握り締める。背に腹は代えられない。 「好きなの選んで着替えてねぇ」 黒髪巻き毛の女性がウィンクする。 「う、うん……って」 部屋中を見回し、ミスリアは重要なことに気が付いた。 「身を隠す場所がないんだけど……」 「そりゃあ見えない所で着替えたら、何か凶器とか隠し持っちゃうかもしれないじゃない? しょうがないのよぅ。我慢してねえ」 豊満な体つきの茶髪の女性がひょいっと横から口を挟んできた。 「こ、こんな大勢が見る前で脱ぐんですか!?」 衝撃のあまりに思わず口調が元に戻った。部屋中の視線がミスリアに集まった。そのほとんどが陰鬱なものだったが、兵士からは厳しい目とたしなめる怒声が飛んできた。 「大声出しちゃだめよう」 三人目の、金色の髪を縦にぐるぐる巻いた女性がしーっと唇に指を当てた。 ごめんなさい、とミスリアはとりあえず謝る。納得はしていないけれど、どうしようもないのだろうと諦めねばならない。下着姿とどちらがましかと問われれば言葉に詰まるけれど。 結局最初に渡された赤と銀色の服を選んだ。付け方を確かめるように慎重に眺めて、部屋の隅に行ってからまずは上の部分を下着の上に付けた。 「ソレ、そんな風に着るんじゃないの。下着付けたままじゃだめデショ」 「わかってるよ」 金髪縦ロールの女性の指摘に、ミスリアは振り返らずに答えた。 元々上は、体を締め付けない緩いキャミソール型の白い下着を着ていた。普段は外出時は夏であっても何段にも重ね着をしているから、一番下の段は誰かの目に入る心配が無く、簡素な物を好んで使用している。 その上に衣装を付けてから、体を捩ってキャミソールだけを引き抜いた。肌に残った、布の面積が少ない衣装を、ちゃんとぴったり合うように結び目を調整した。 (ううううううううう、恥ずかしい) 面積は少なくてもせめて胸に当てられる部分はそれなりの厚さである点だけが救いだ。肌触りも悪くない。 ただしほとんど無い胸を強調するデザインがどうしようもなく恥ずかしい。一方で何だか悔しくなって、掌で胸の脂肪をかき集めたりしてしまう。 そしてミスリアははたと動きを止めた。 背中に冷や汗の粒が浮かび上がり、顔からは血の気がサアッと引いた。 ――アミュレットが無い! 下着の中や自分が転がされていた周辺の床を目で探ったが、やはりどこにも無い。 森の中で着替えていた時はまだ首にあったから、きっと攫われた最中に千切れて落ちたのだろう。 (何で……私の為に造られた唯一の物なのに――) 手元を離れたのは今回で二度目だ。しかも前回のように急いで取り戻す選択が無い。きっと教団に戻ったら説教され、罰掃除などさせられ、最低でも一週間の断食を強いられる。 ふっ、と自嘲げに笑った。 (そんな心配をするのは、教団に戻る以前に……ここから生きて帰らないと……) 迷走気味の思考がすぐに現実に着地し直した。口の中が妙に乾いている。 叱られる場面を想像して現実から逃避していた方が、まだ気分が良かった。 (でも、困ったわ) アミュレットが無いのが、どれほど不自由なことか。あれが肌に触れている状態でないと、聖気はほとんど扱えない。全神経で集中しても、かろうじて触れている相手のかすり傷を治せるか治せないか程度。当然、魔物の浄化はできないし、カイルに教えてもらった応用の術――その一つは魔物を意図的に呼び寄せる方法――も使えない。 のろのろと、ミスリアは衣装の下半分を手に取った。八割以上の透明度を誇る銀色のふわふわとしたスカートを、直視せずに履く。 「あ、ごめん。それもう一つパーツがあったわぁ」 金髪の女性が何かを投げてきた。もう何を見ても驚いてやらない、と意気込んで受け取ると、それはレースをふんだんにあしらった真紅の下着だった。 「…………」 「セットだからね、絶対揃えて着なきゃだめだかんね」 ミスリアはものも言わずにそれを見つめた。 |
どっこいしょ
2013 / 08 / 05 ( Mon ) 幻の四回更新週間が終わり、これからはまた更新頻度が落ちる可能性大。
しかし今、甲は筆に脂がのっている! ……油? ので、前ほど遅くないかもしれません。はて。 主役二人が全く別行動をとっているのはあまりないので、思いっきり遊ぼうと思います。 そろそろ、さすがに、恋愛モノくさくなる!かも!ね! |
25.c.
2013 / 08 / 05 ( Mon ) 「あららぁ、気が付いたの、新入りちゃん」
「んん――!」 人間の言葉を発せない状態にあるミスリアは身をよじり、声の主を探した。 「うん? 幼いのねーえ。顔はまあまあだけど、小さいし、ウペティギ様に気に入られるかもねぇ」 ひどく訛った共通語だった。 「ええー。困るわよぉ~、やっとアタシを見てくれるようになったのにぃ」 「自惚れてんの? 見てるも何もアンタ顔がそんなケバいから嫌でも目が行くだけデショ」 「あー言ったなー、アンタこそ人のこと言えないわよぅ」 むせ返るような香水の匂いにミスリアは咳き込んだ。 再び目を開けると、十代後半か二十代前半くらいの女性が三人、屈みこんでミスリアを頭から爪先まで眺めまわしている。白粉(おしろい)またはパウダーが濃くて、元の顔が美人なのか何とも判断し難い。 (ヴィーナさんを男性を振り回すタイプとするなら、目の前の三人は媚びるタイプかしら) そういった違いを解する日が自分に来るとは今まで想像したことが無かったが、これほどあからさまに差を見せつけられてしまえば嫌でも納得する。感心するあまりに置かれた状況への恐怖を数瞬の間忘れていられた。 派手な色の化粧は無駄に多い装飾品と調和が取れていないし、服と言えば袖が長いくせに肩や背中の露出は高く、布が変な形をなぞったりしてお世辞にもセンスが良いとは言えなかった。なのに扉の両脇を挟む武装した格好の兵士たちは、隙を見ては彼女らの露わになった肌や輝かしい首飾りに強調された胸元にばかり視線を這わせている。 「見張りさぁ~ん、新しい子起きたわよぉ」 三人の内、一番肉付きの良い茶髪の女性が兵士たちに話しかける。手招きすると同時に、袖のピンク色のフリルがヒラヒラと揺れる。 「縄を解いて身支度させろ」 兵の一人が歪んだ陰鬱な笑みを口元に張り付かせて言った。 「はぁ~い」 対する女性たちはゆとりのある表情をしている。 縄を解かれる間、ミスリアは「身支度」が何を意味するのか考えた。それにこの女性たちは何の為に一所に集められているのだろう。「ウペティギ様」、「気に入られる」は何か重要なキーワードだろうか。 考えても答えはわからないまま、自由の身になった。見張りの兵士が居るせいで、声に出して女性たちに問い質していいか迷う。 そこで察したのかどうかはわからないが、縄を解いてくれた黒い巻き毛の女性が顔を近付けてきた。 「いーい? 逃げようとか助けを待とうとか考えてもムダだかんね。絶対ムリ。ウペティギ様に気に入られるように頑張る方が生き延びられるんだからぁ」 だから諦めなさい、と彼女は強く言った。 (助け、なんて、待ったところで、来るかどうかも……) 小さく耳鳴りがしたと思ったら、一気に心の中に海が広がった。絶望という名の海に溺れていく手応えを、ミスリアは静かに感じた。 友人も家族も教団の仲間も旅の途中で出会ったちょっとした知り合いでさえも、何が起きても今は助けてくれたりしない。現実的に考えて、有り得ない。ミスリアがどうしているのか、その消息を積極的に追っていないのだから。たとえ追っていたとしても情報が入るまで最低でも数日の遅れがあり、助けを期待するには心もとない。 もしこの世で自分をここから連れ出してくれるかもしれない人物が居るとしたら、それはたった一人である。そのたった一人が来てくれるかどうか――自信は無い。 涙が滲まないように天井をさっと見上げた。 一瞬だけ――水を汲んでくる、と呟いて振り返ったゲズゥの、あの黒曜石にも似た黒い右目と所々金色に光る左目が記憶に浮かんで――心がざわついた。 あれが今生の別れになるかもしれない。 「……ご親切に、忠告ありがとうございます」 努めて笑顔を作り、ミスリアがそう返すと、黒髪の女性は大袈裟に手を広げて驚いた。 「やだあ、シンセツなワケ無いじゃなぁい。アンタなんかに負けない自信があるから言うのよ」 そうですか、とわざわざ返事をする気力が沸かなかった。 「なあによ、ねえ何でそんなに言葉がキレイなのよ」 問われてミスリアはただ苦笑した。巧い嘘がつけるはずが無いので、詮索は避けるのが得策である。 「それより、ウペティギ様って誰?」 話題を変えようとミスリアは明るく訊ねた。発音はどうしようもないけれど、とりあえず丁寧な口調を使うのはやめた。なるべく浮かない方が良い気がするからだ。 (一分一秒でも長く生き延びるしかないわ) 或いはそうしている間にもっと何か助かる方法が見えてくるかもしれない。 「ここの城主さま。焦らなくても夜宴で会えるわよー。ねね、それよりアンタどの服にする? この赤と銀色のヤツなんてちょうどいいんじゃなぁい?」 城主、について思考を巡らせたかったのに、ミスリアは黒髪の女性が差し出した衣装を受け取って顎を落とした。 「絶対似合うと思うのよぉ。ね? いいでしょ?」 「ほ、他に何かないの」 手の中の布をどう広げても、下着姿といい勝負の露出具合がうかがえる。いや、ミスリアの色気に乏しいもっさりとした下着相手ならどう考えてもこの衣装の完全勝利だ。 「他って言ってもねーえ、アンタのサイズじゃあこれとか……あとこれとか?」 更に差し出された服もどれもあまり多くの生地を使わずに作られていた。 絶句するほか無かった。つい引きつった笑みを浮かべてしまう。 一応三人の容姿ていうか髪を適当に別々にしましたが、性格は似たり寄ったりで区別する必要はありません。三人目は金髪縦ロールです。ついに出せた、縦ロール!! |
25.b.
2013 / 08 / 03 ( Sat ) 男の話によると、城の位置はディーナジャーヤ帝国の属国の一つである、ゼテミアン公国内にあるという。そう遠くない距離だが、問題は現在地と目的地の間に国境があることだ。 元々ゼテミアンの領土を通ってクシェイヌ城へ向かうつもりだった。ただし、ミスリアと一緒であることを前提としていた。身分証明書の類はミスリアが持っていたし、そもそも証明書など持たなくても聖女の力を少し見せ付けてやれば、大抵の国はあっさり受け入れるらしい。ところがゲズゥ個人はどの国の戸籍も持たない、元指名手配犯だ。運が良ければ追い払われるだけに留まり、悪ければ捕縛される。 ふと疑問が浮かび上がり、また質問を吐いた。 「連れ去った目的は何だ?」 「……」 男はガチガチ歯を鳴らしながらも答えない。その両目は挑戦的に睨み返してくる。 いちいち非協力的な態度に若干イラつき、ゲズゥは男の腹を思いっきり蹴った。言葉にならない呻き声が返る。 「目的」 声を低くして催促した。 「そっ……んなの決まってるでしょう!? ウペティギ様は、女が好きなんですよ! 若ければ若いほど良いっ。私らはだから、手当り次第に、連れ帰って、愛玩奴隷に……」 その返答にゲズゥは僅かばかり安堵した。ミスリアが聖女だとわかっていてさらったのではないのか。こんな単純な理由なら、身代金の要求に応じるなり複雑な交渉をする必要は無い。 同時に、別の焦燥も沸き起こる。愛玩奴隷は主の興味や寵愛を浴びている間は安全でも、飽きられた後が危険だ。捨てられた玩具は社会に返されるのか、どこかに維持されるのか、それともあっさり殺されるのか。 この際ゲズゥが案じてやれるのはせいぜいミスリアの生死だけで、助け出すまでの間に経験するかもしれない諸々の辱めや絶望に関してまでは気を配れない。気にしたところでどうしてやることもできないわけだが。 とにかく次の取るべき行動について思索した。 密入国――それは大陸中の他の国境ならいざ知らず、大国ディーナジャーヤの属国ともなると、容易には果たせない。警備体制は万全だと考えて然るべきである。 いかに足が速くて戦闘に長けていても、単独では使える方法に限りがある。ゲズゥは姿が見えなくなる術など持たない。変装しようにも体型が目立って難しいし、荷物に隠れようにもそんなに都合良く荷台を引く人間は現れない。 しかし全く方法が無いわけではない。かつてオルトと二人だけで似たような状況を打破したことがあった。あの時はオルトの立案で闇に、もとい混乱に乗じて警戒網を突き破ったのだ。 このやり方で行くなら下調べや準備が必要となる。 まだ他に必要な情報があっただろうかと男を見下ろすと、奴はひとりでに喋り出した。 「はっ、たとえ城に辿り着けても無駄ですよ。罠にかかって無残に殺されますから」 「……罠?」 「ゼテミアンの鉄に貫かれて苦しめ! ウペティギ様に歯向かう奴なんて皆死ねばいい! あははははははは」 笑い声が耳障りになり、ゲズゥは手早く男を殴って気絶させた。 ――それにしても無差別な人攫いを平然とやってのける貴族が野放しにされているとなると、国の政治体制や公平さなどにも期待できないだろう――。 ゲズゥは襲撃者どもを一人ずつ確実に気絶させてから、奴らの衣類からベルトの類を引き抜いて三人とも樹に縛り付けた。それから自分の持ち物を確かめ、更にミスリアの居た辺りまで戻って、落ちている荷物が無いか念入りに探した。 一分経っても何もみつからず、立ち上がってその場を去ろうとしたその時。苔に覆われた石の傍で何かが光ったのを目の端で捉え、近付いてしゃがみ込んだ。 手を伸ばして草をかき分けると、そこに落ちていたのはミスリアがいつも大事そうに持っていた銀細工のペンダントだった。 _______ 近頃頻繁に見るクシェイヌ城の夢から覚めた。 まどろむ間も無くミスリア・ノイラートはすぐに違和感を覚えた。そこは、随分と明るい場所だった。 部屋に三十人以上の若い女性が押し込められているように見える。大体の女性は沈んだ表情或いは無表情だったが、大きな化粧台と鏡の前では何人かの女性が黄色い声を出してはしゃいでいる。女性たちのほとんどは華やかな衣装や露出度の高い衣装などと、明らかに着飾っている風である。 (ううん、それより……動けない!? どうして?) ミスリアは可能な限り全身を注視したが、両手両足を後ろに縛らているようでうまく動けなかった。猿ぐつわも噛まされ、見たところ部屋の隅に転ばされている感じだ。全身がどことなく鈍く痛む。打撲でもしたのだろうか。 首を捻って壁を向くと、隅の最も暗い場所に互いに寄り添い合うように膝を抱える少女が二人居た。ミスリアと同い年か更に年下のようだ。痛々しいぐらいに怯えた目をしている。 (ここはどこ? 一体、何が起こったというの――) もう一度自分の身体に視線を走らせた。服が所々千切れている。それにほとんど下着姿である。 (うそ! あの時!?) 羞恥心が体中を駆け巡ったのとほぼ同時に、ミスリアは自分が着替えている最中に襲われたことを思い出した。 |
25.a.
2013 / 08 / 02 ( Fri ) ――油断した、と悟った時にはもう遅かった。
顔面めがけて斬り付けてくる剣をしゃがんで避け、左手を地面について側転の動作に入った。蹴りあげた足首を敵のうなじに絡ませ、回転に巻き込んで水面に叩きつける。 「すばしっこいな、このっ……」 背後から襲い掛かる二人目の敵に足払いをかけ、更に三人目を肘で殴り飛ばして、ようやくゲズゥ・スディルは現状確認をする為に一息つけた。 水が岩を打つ音が周囲に反響している。正面には高さ10ヤード以上の滝があって、その水が流れつく小川の中にゲズゥは直立していた。かなり冷たい水が脛の周りを通り抜けているが、その冷たさは淡水であるからだけではなく秋の訪れが近いからだろう。 両岸は隙間なく緑に覆われ、朝日が漏れる箇所もまばら、襲撃者が身を隠すにはもってこいの場所だ。 それでも雑魚が三人ぐらい来たって、数十秒で倒せたが。 一度深呼吸して、滝水の音の壁より外へ意識をやった。音が邪魔で感じ取りにくいが、どこにも人の気配がしない。紛れも無くもう遅かった。 ゲズゥが油断したのはこの雑魚ども相手にではない、ミスリアの方への注意を怠ったことにある。 鋭く舌打ちした。 着替えたいと言ったミスリアから離れたのは数分程度。普段なら背を向けて待ったものの、ちょうど水筒が空になっていたからその間にゲズゥは滝の水で水筒を補充しようと考えたのだ。 それが彼女の傍で何か異変があったと気付いて戻ろうとした途端、奇襲されてこのざまだ。 ――この状況は何だ。さらわれたとでも言うのか。 その瞬間、確かにゲズゥは眩暈を覚えた。少なからず動揺している。 旅する聖女の護衛という肩書に甘んじている以上、護るべき対象が失われた場合、どうすればいいのかわからなかった。 真っ先に思い浮かんだ選択肢は二つある。 解放されたと喜び、このまま行方をくらまして好きに生きるか。 護るべき少女を取り戻す為に奔走するか。 思わず右手でこめかみを抑えた。 するとこちらの思考とは無関係に、青緑に輝くトンボがぶぶーんと羽音を立てて視界に入った。まるでゲズゥを睨むように正面に止まって忙しなく羽ばたいている。何故だか、決断を迫られている気がした。 例えば前者を選んだとする。三度目の投獄以前の生活に戻ることになるだろう。 ……生活? 果たして自分には戻るほどの日々があっただろうか。もはや遠い昔のように感じられた。 やはり後者しかないかと考え――こんな時だが、少し前の会話が脳裏に蘇った。 ――オレとお前は確かに境遇が似ているし、だからこそそれなりに気が合った。だけど覚えとけよ、お前を救える人間が居るとしたらそれは外側からでないとダメだ。 ――そういうお前はこれからどうする気だ。 ――くすぶる恨みはまだ残ってるけどな、ケジメつけるよりこの町でぼへーっと過ごしてた方が多分オレには合ってるんじゃないかな。 ――ぼへー……。働き過ぎて過労死するなよ。 ――しないって。その前にヨン姉に叩き殺されるだろーし。ま、とにかく、嬢ちゃんをちゃんと大事にしてやれよ。役目なんだろ? エンが言っていた「外側」の意味はわかりそうでわからなかった。 ただ、ここで何もしなかったら自分の今後の一生、一切の選択肢がなくなりそうな気がした。そして、行方をくらますのは急がなくてもできるが、ミスリアを救いたければ一時も立ち止まっていられないだろう。 気が付けば襲撃者の一人の胸ぐらを掴んでいた。ざばっと音を立てて男を水中から引き上げる。冷たい水飛沫がそこら中に跳ねた。 「どこへ向かった」 主語を抜いて、抑揚の無い声でゲズゥは問い詰めた。奴の両手がゲズゥの手首にかかるが、全く問題にならない程度の腕力である。次に蹴ったり暴れたりして抵抗を試みているようだが、体勢が不利なせいかこれまた弱い。 「私は何も話しませんっ」 賊のような身なりに似合わず丁寧な発音の南の共通語だった。 「そうか」とだけ呟いてゲズゥは片手で素早く短剣を抜き、日頃からよく研いでいる刃を男の顎の下に当てた。 「ひいっ。ちょ、殺しちゃったらわからないんじゃないですか!」 「お前が死んでも後二人いる」 刃をぐいっと押し当て、近くで呻いている他二人の襲撃者を目頭で示した。殺しは駄目だとミスリアにさんざん念を押されているが、どうせ今この場に居ないのだから多少は妥協してもいいとゲズゥは考える。 「わ、わかりましたよ! 言いますから! 殺さないでください!」 男は青ざめて叫んだ。ゲズゥはただ男を射抜くように睨んだ。 「……ウペティギ様の城です」 冗談みたいな名前だと思いつつ、誰だ、と訊き返すと男は小ばかにするように鼻で笑った。 「大公家と縁ある血筋の貴族さまですよ、知らないんですか?」 「城はどこだ」 無視して問うた。貴族の血筋などどうでもいい、そんなものを聞いても名前と一緒にすかさず忘れそうである。 「誰がそこまで喋ると思っ――いたた、痛い、血が出てる! やめて! 言います!」 押し当てた刃を僅かに引いたのが効いた。 涙浮かべる男の返答を聞いて、これは面倒なことになった、とゲズゥは顔には出さずにげんなりした。 |
もよう
2013 / 07 / 31 ( Wed ) |
バイバイ?
2013 / 07 / 31 ( Wed ) |
24 あとがき
2013 / 07 / 30 ( Tue ) |
24.g.
2013 / 07 / 30 ( Tue ) こぽぽ、と小気味のいい音を立てて琥珀色の液体がカップを満たす。ミスリアにとっては珍しい陶磁器のティーセットだ。鮮やかな青い模様に塗られたポットから目が離れない。おそらくはディーナジャーヤ国産のものだ。
「どうぞ」 教皇猊下はポットを優雅な仕草でテーブルに下ろし、お茶を勧めた。 礼を言ってからミスリアは取っ手の無いカップをそっと手に取った。 お茶なら私が淹れるのに、と抗議したものの猊下はやんわり断ったのだった。ティーセットや茶葉を集めるのが好きで、自ら淹れて人に味わわせるのが楽しみだから、と。 (ってことはこのセットも私物として持参したのかしら……) 移動中にそれらを運んだのは護衛の人たちかもしれない。或いは、この町に来て買ったという可能性もある。そういう世間話も訊きたいと思う反面、ミスリアは今日呼ばれた用事が何であるのか知りたくて、先に猊下が話を切り出すのを待っている。 二人は街中のカフェテラスの三階にて、曇り空の下で軽食を採っていた。サンドイッチやサラダなどの簡単な料理を運んできて以来、店員は話の邪魔をしないように配慮してるのか姿を消している。 テラスの端でゲズゥは手摺に身を預けるように佇み、猊下の護衛二人はどこか目に見えない場所に控えている。町人の話し声や馬蹄の音は聞こえても、それは空間を形作る一部に思えた。 会議室で話した時は神父さまも居たのに、今度は教団で最も位の高いお方とこうして向き合って二人だけで会話しているのだと突然に自覚して、ミスリアは胃が緊張に強張るのを感じた。 和らげなければ。まずはカップを口元に運んだ。 「……おいしいです」 一口飲んで、ミスリアは驚きに目を見開いた。 微かに甘い香りは馴染みの無いハーブか花のもの、それがミントとよく合っていて互いの味の深みを引き出している。 「それは良かった。恥ずかしながら自作のブレンドでしてね。リコリスの根を使いました」 静かに椅子に腰を掛け、猊下もお茶を一口飲んではカップを下ろした。 「さて、私はこの後発つ予定です。聖女ミスリア、貴女も近いうちに出発されるでしょう?」 「はい。午後は鍛冶屋に寄って、夜は支度を整えて、明日の朝には発ちます」 「クシェイヌ城への道のりは確かめましたか」 猊下の問いにミスリアは首を縦に振った。 「そうですか。楽しみですね、貴女のこれからの旅路が」 「恐れ入ります」 二人はまたお茶をそっと啜った。 次に彼の碧眼と目が合った時には、猊下は何かを懐から出していた。ロウの印が既に開かれた書状である。 「手紙、ですか?」 「ええ。もう長いこと会っていない、隠居して久しい者からです――」 教皇猊下が懐かしそうに口にした名は、何年も前に体力の衰えを理由に役職を引退した、元・枢機卿猊下のものだった。しかし何故その話をミスリアにしているのか、理由は全く見えない。 「聖人カイルサィート・デューセは貴女と同期でしたね。それに少しの間、旅を共にしていたとか」 「確かにその通りです」 いきなり挙がったカイルの名に、ミスリアは戸惑いを隠せずにいた。 「どうやら彼は、貴女がたと別れた後にこの者を訪ねたそうです」 「そうだったんですか」 初耳である。あれからは連絡取れるような状況ではなかったので仕方の無いことだけれど。 「魔物対策を改めて欲しいという、実に興味深い手紙です。正直のところ教団にそれだけの余裕があるかは断言できませんけれど……」 猊下の話によるとどうやらその元・枢機卿の方は魔物対策についてカイルと似たような主張をし続けていたとか。しかし聖獣の復活を第一の優先すべき事項と考える猊下は、今は大幅な改革などしていられないと何度も答えたらしい。 もう一度その案を振ってきたのは、カイルと話し合って何か新しい発見があったからだろうか。訊いていいのか、ミスリアにはわからなかった。 「余談ではありますが、この大陸に魔物狩り師を養成する機関が存在しないのは、何故だと思います?」 「魔物狩り師の? それは……試みた国くらい居そうなものですが……何故かなんて」 少し考えを巡らせてみても、答えは思いつかなかった。 「誰もそんなコストをかけたくないからですよ。育てたところですぐに命を落とす人材などに、持続可能性はありません。わざわざそんな計画に投資するような物好きな国は居ないのでしょう」 「それは、そうですね」 ミスリアは頷いた。魔物を積極的に探し出して狩るのが仕事であるだけに、彼らの魔物との遭遇率は一般人の比ではないし、それゆえに死亡率がとび抜けて高い。いかに訓練を受けていても、確率の問題である。特に単独で活動する者は危険だ。 「かといって全大陸の結界の強化や聖人聖女の派遣も教団には負担が重く……まだ、魔物に対抗する策は完全とは程遠いですね。しかしその完全を追い求める人間が居ることはとても喜ばしいと思います」 「では猊下は聖人デューセらの提案を受け入れると……?」 「いいえ、現段階ではできません。改案の実現性がより確固たるものとして提示されれば、また話は違ってくるでしょう。けれども私は彼らと色々とこれから話し合いを重ね、進むべき道を一緒に探していこうと思います」 穏やかに微笑む猊下を、ミスリアはただ感心の瞳で見つめることしかできなかった。猊下だけではない。カイルやその元枢機卿の方も――誰かが聖獣を復活させた後の世界をどう収束させるのか、そこまで先を見据えている。 「して聖女ミスリア、貴女はこの点について、どう思われます?」 猊下は手紙をテーブルに置き、ある一行に細く白い指をのせた。 ざっと目を走らせて要点を拾うと、それはかつてカイルが話してくれた「魔物に怯えずに済む世界」に至る為の第三の条件と同じ内容だった。 「……魔物が生じる原理を、一般知識として広めるべきか、ですか」 誰にも会話が聴こえないはずなのに、思わず声をひそめた。 「ええ」 青い双眸は、探るように静かである。 「わかりません。聖人デューセがはっきりと答えを出せない難題に、私の考えが及ぶとは思えません。ただ、現状を変えようとすれば起こりうるであろう、混乱のいくつかは想像できます」 「そうですね。私にも混乱が視えます。ですがそれを乗り越えることが叶えば得られるものもあるでしょう。気長に、考え続けるとします。貴女も道中、何かわかったらお伝え下さいね」 勿論です、とミスリアは深く点頭した。 ふふ、と猊下は笑い、その後はサンドイッチの具が美味しい、とか、秋の訪れまであと何週間だろうか、とか他愛もない話を静かに交わした。 お茶も飲み終わった頃に猊下はミスリアに立ち上がって頭を下げるように言った。 しゅ、と袖の布が擦れる音がした後シーダーの香りが鼻腔をつく。次の瞬間、微かな温もりが額に触れた。 「どうかあなたがたに聖獣と神々の加護がありますよう。これからも長らく健やかに過ごせますように」 古き言語での短い祈祷の後、温もりの波が額を通して心臓へ、腕や足へ、指先まで通った。 「ありがたき幸せにございます」 ミスリアは何度か瞬いて顔を上げた。一瞬何かの秘術をかけられたのかと思ったけれど、普通の聖気だった。 そして猊下の中指の指輪に口づけを落とし、別れの挨拶を交わした。 それからしばらく後、ミスリアとゲズゥは鍛冶屋への道のりを歩み出す。なんとなく、道端の黒い石ころを数えながらミスリアは歩いた。 「明日には皆さんとお別れですか。寂しくなりますね。イトゥ=エンキさんなんて、ユリャン山脈から行動を共にしてきたのに」 戦力としても心強かったけれど、何より彼のひょうきんさはどこか話しているこちらの気持ちを軽くさせる効果があった。ここでお別れかと思うと――別にゲズゥ一人との旅が心細いのではなくて、純粋に寂しい。 「気にするな。あの男ならあっさり別れるだろう」 ゲズゥは断言する口調で返事をした。 「え、そ、そうですか?」 しんみりしてくれると期待したわけではなかったが、寂しいのがこっちだけだと思うと切ないものがある。 それも次の朝、結局はゲズゥの言った通りになった。 ナキロスの神父やヨンフェ=ジーディ、ラノグらとの別れが済んだ後。 イトゥ=エンキがミスリアにかけた言葉は「おう、じゃーな嬢ちゃん。色々ありがとな。あんま無理しないで、ちゃんと飯食って寝てすくすく育てよ~」だけだった。 |
300!?
2013 / 07 / 30 ( Tue ) 某洋画のことじゃありませんよ。観てないけど。 |
24.f.
2013 / 07 / 29 ( Mon ) 24e に多少の加筆修正をしましたが、わざわざ読み返すほどではないです。
エンが更に「あがってけよー」と呼びかける。 するとラノグと呼ばれた男は微妙な顔で梯子を見つめた。 「イトゥ=エンキさん。屋根の上に……ですか?」 「だいじょーぶだって。こんな立派な屋根、大の男三人ぐらい支えられる」 「落ちたりしないんですか」 「この傾斜じゃ平気平気」 「はあ……」 まだ訝しげな表情を浮かべるも、ラノグは最終的に梯子を上がり、この突発的な集まりに参加した。 町の全景が、雲間から漏れる暮日の輝きを帯び始める。 三人はしばらくこれといって会話を交わさず、無言でシェリーを飲み回した。地上では人々があちこちで店を畳む準備をしている。 やがてエンが上半身を捻って隣に座す男を向いた。 「ラノグさんよ、あの十字架の意味わかる?」 訊きながら時計塔の上を指差している。 「あれは厳密には十字ではありませんよ。意味は確か……縦棒の上の部分が神々へと続く道で、下部分が大地またはアルシュント大陸を指し、それと交差する左右のゆるやかな渦巻きは翼を意味します。つまり――翼を持った聖獣が、我々地に生きる者を天へ昇れるように導く、と」 「へえー」 「教団に興味があるんですか?」 意外そうにラノグが訊ねる。 「さあ。罪を償えば聖獣が救ってくれるとかそういう話を教皇さんがしてたのは面白かったけどな」 エンは空を向き直り、組んだ腕を枕にして再び寝転がった。 「……貴方には何か償わなければならない罪が?」 ラノグはひっそりと声を静めた。まるで訊くのが憚れるように。 「まあ割とヤバいのの一つや二つな。償えるかわからんけど、気にはなる」 しかしエンは両目を閉じ、普段通りの声色で答えた。 「そうですか……」 ラノグの表情には同情が浮かんでいた。それでいて共感しているようにも見える。一方、『天下の大罪人』とも呼ばれるゲズゥは依然として他人事と割り切って会話を静観している。 「実は僕も償っているんです」 数十秒後、一大告白をするように、ラノグは顔を上げた。 「そいつぁ驚きだな。どんな? そういえば行き倒れてたんだっけ。どっかから逃げてたとか?」 エンは右目だけを開いて訊いた。発した言葉の調子は軽かったが、どこか優しい響きを含んでいる。 「傭兵砦からですよ。僕の父も祖父も曽祖父も、鍛冶師でした。人を害する為の武器や兵器を作って生計を立てていたんです。僕もまた、それを生涯の役割として受け入れていました」 一度、ふうと息をついてから語り続ける。 「自分が何をしていたのか何の疑問も抱かずに生きていたら、ある時戦火が僕らの砦までに忍び寄ってきて。最初は、自分の作った物が役に立っていることにただ喜びを覚えていたんですが」 顔が暗くなりつつあるラノグを気遣ってか、エンが口を出した。 「別に最後まで言わなくても大体予想はつくぜ」 「……いいえ。言わせて下さい。師匠にしか話したことが無かったんです」 「相手が数日前に会ったばっかのオレらでいーのかよ」 紫色の瞳がほとんど空になった酒瓶を一瞥した。奴の舌がよく回るのが酒のせいかと疑っているのだろう。 「構いません。いつか、町の皆にも明かしたいのでその練習みたいなものです」 「ならいいけど。で、何があったんだ?」 エンが促すと、ラノグは深いため息をひとつついた。 ――激化する戦い、それ自体は傭兵砦にとって大して珍しいことでも無かった。砦の仲間は投石器を放ち、迫りくる敵を一掃した。 だが戦闘も片が付いた頃、そこらに倒れていた敵兵がまだ十五歳程度の子供ばかりだったのだと気付いた――。 「何故それまで実感が無かったのでしょうね。僕は人がより効率良く人を殺せるような道具ばかり生産していたのに……。仲間だけじゃない。殺された人たちは、どこの誰であるのかこちらが知らなくても、皆、誰かにとっては大事な人だったはず。そんなことをして、お金を貰っていた僕は……」 「傭兵だったってんなら、戦を仕掛ける判断をしたワケじゃないんだろ。そればっかりはアンタの落ち度じゃねーよ。人が戦わなければいいだけだからな。どっかの性根の腐った奴が子供を兵士に使ったのだって」 「それでも、人を殺す道具を作ることが怖くなって、逃げ出しました」 「うーん、じゃあある意味悪いコトしたな」 エンはちらりとゲズゥの方を見た。 人を害する武器を、直して欲しいなどと言って鍛冶屋を訪ねたのが、嫌な過去を思い出させたかもしれないということだろうか。 「今は違います。確かに身を守る武器を作ってもいますが、大体の仕事は鍋や包丁や鍬など、人が『生きる』為に必要としている物の製作です。僕は、師匠と一緒にそれができるのがとても嬉しいんです」 その笑顔が総てを語っていた。 「そーか。いい話だな。毎日の積み重ねは大事だ」 そしてエンもまた笑顔で町を見下ろしていた。 「ありがとうございます」 照れ臭そうにラノグが頬をかく。 それまでゲズゥは変わらず傍観を貫いたが、心の中では何かよくわからない感情が蠢いていた。 ――生き方、償い、更生。積み重ねる日常。自分も変わりたいと願うのか? それとももう、変わり始めているのか。 刹那、今も聖堂の中で信徒に愛想を振りまく少女の姿が思い浮かぶ。 行き場の無い感情の渦を抱えたまま、ゲズゥはすぐ近くで響き始めた時計塔の音色に身を委ねた。 |
24.e.
2013 / 07 / 26 ( Fri ) ズボンを軽くはたいてからスッと背を伸ばした。直立してしまえば身長差はより際立ったものになり、女はあんぐりと口を開けたままゲズゥを見上げた。
何か頼みたいことがあるのなら早く言え、とゲズゥは視線で威圧する。女はみるみる青ざめていったが、両手を握り合わせ、ごくりと喉を鳴らしては発話した。 「そ、その、男性の方が今誰も居なくて。窓の外側を拭きたいのですが、二階の窓は私たちだけでは届きにくいのです。貴方は十分に背も高いですし、もしお時間があればお願いします……」 言い終わると女は恥ずかしそうに視線を地に落とした。 ゲズゥは首を鳴らしつつ考慮した。窓拭きぐらいなら、メリットさえあれば手を貸してやらないこともない。 「……勿論、ただでとは言いません! お礼に焼きたてのケーキやクッキーをいくらでも」 こちらが何か条件を言い出すより先に女が提案した。 「肉がいい」 と、答えた。ゲズゥは味の濃い食べ物が苦手である。とりわけ、女が作る焼き菓子は甘すぎると決まっている。腹にたまりもしないくせに胸やけばかりする。 「わかりました。市場もまだ開いてますし、お好きな肉を買ってきます」 「じゃあ、鳩」 この町で奴らが飛び回ってるのを見てる内に食べたくなってきた、というのは短絡かもしれないが、事実だった。 「はい! ありがとうございます!」 女は快諾した。 かくして、ゲズゥは長い梯子に上り、教会の窓を酢と古紙で磨くことになった。 わざわざこちらの望む物を買って礼をするほどである。それに見合う労働をさせられるだろうと頭の片隅では予想していたが、まさしくその通りだった。変な形の窓や体勢的に届きにくい位置にある小さい窓、終いにはあの聖堂に面している大きな染めガラスの窓が、ゲズゥに苦戦を強いた。 そして気が付けば夢中になっていた。ゲズゥは自分を結構大雑把だと評しているが、なかなかどうして、この類の作業だけは何故か本気で取り組まなければ気が済まない。 剣の手入れも一度たりとも手を抜いたことは無い。毎度、刃が眩い煌めきを放つまで徹底的に磨いてしまう。 もう陽も傾きかけているのに、ゲズゥは構わずに目の前の細かい汚れとばかり戦った。ガラスに顔を寄せ、酢の入った瓶を左手に、丸めた古紙を右手に握って。背後ではカラスがのんびり鳴いている。 「なあ、そんなに睨んだらせっかく磨いた窓に穴が開くんじゃねーの」 聴き慣れたハスキーボイスが頭にかかった。 チラリと視線を上へやると、にやにや笑うエンがいつの間にか屋根に立っていた。無造作な黒髪が微風に撫でられ揺れている。 「うーわ。酢くさっ」 「……お前もやるか」 「やらねーよ。それよりもうすぐ終わるん?」 エンは時計塔の天辺を飾る教団の象徴に肘を乗せ、狭い面積の屋根の上でバランスを取っているらしい。片腕だけを十字架から離し、肩にかけたずだ袋から小さいボトルを取り出した。仄めかすようにボトルを振っている。 「コイツで最後だ」 「じゃあ待ってるから終わったら付き合え。この町で作ってるシェリー酒だってさ」 そう答えてエンは時計塔から広い屋根の上へ移ってごろんと横になった。 シェリーといえば果物の甘味が難点だが、強い酒で、しかも安くは無い。興味は惹かれる。 すっかり興味の対象が窓から酒へと移ったことで、後は適当に拭いて終わらせた。 「こんなもんどこで手に入れたって訊きたそうだな」 屋根に上ると、エンは上体を起こして言った。 「それより使える金があったのか」 その隣に、ゲズゥはどかっと胡坐をかいた。 「んー? 日払いの工事の仕事とかで稼いだ」 「…………仕事?」 「後は町の端の麦畑が人手不足って言うから、行ってみたぜ。単調な作業ばっかだけどそれがまた面白いな。子供の頃は身体が弱かったから望んでもそういうの手伝えなかったし」 心底楽しそうな笑顔を浮かべ、エンがボトルを差し出してきた。言われてみれば、前より少し肌が日に焼けている気がする。屋外で仕事していたからだろう。 ゲズゥはボトルを受け取り、一口シェリーを喉に流し込んだ。次いでボトルの中を覗き込んだ。ドライタイプで、色は濃く、予想していたほど甘くない。嬉しい誤算である。 「実は夜も食物庫の門番の仕事引き受けてんだ。身元とか関係なく雇ってくれるのが助かるよ」 エンは屈託のない笑顔を満面に広げている。 働きづめな生活をこれほど喜べる人間を、ゲズゥは他に知らない。 この男は余程賊の生き方が性に合っていなかったように思う。ぶっ倒れるまで働き、物を生産して恍惚になる種の人間の話しぶりである。というよりも、これまで働く機会が無かったからこその反応か。洞窟の中では時折退屈そうな目をしていた理由が、今ならわかる気がした。 「にしたって、いい町だよなー。安全だし」 「確かに、そうだな」 後半に対してゲズゥは賛同した。町の良し悪しなどわからないが、治安が良いのは間違いない。強力な結界で魔物は中に入れないし、人々からは犯罪の気配が薄い。それはもう稀に感じる薄さだ。妙な町である。 「あ、あれって確か」エンは唐突に道を歩く人を凝視し出した。「おーい、鍛冶屋の弟子の兄ちゃん。ラノグ、だっけかー?」 呼ばれた人物は頭を振り仰ぎ、意外そうな顔をしてから、笑って手を振り返した。 |
ヨテイ
2013 / 07 / 24 ( Wed ) 執筆
Assassin's Creed(今更ながらはまっている) あまり会わない友だちとロッククライミング (ジム 滅多に会わない友だちと近場の低い山をハイキング ネットで背景画漁ってハァハァする(?) あと何があるかしら。家事…掃除はまあ普通として。たまには何か凝った料理を…? ところで人生の選択って難しいよね あばばばば 物事を決めるのが苦手な私は流れるように社会を浮遊したいがそうは行かない。 降って沸いたチャンスはやっぱり飛びつくべき… ナキロス編は思ってたよりあっさり終わりそうです。 番外編とかでまだまだ出番ありそうですけどねー |
【キャラ絵】 ミスリアは少女マンガ
2013 / 07 / 20 ( Sat ) ……冗談ですが、絵風が少女マンガな少年マンガだと私たちであーでもないこーでもないと論争(?)
えびからもらった絵をいくつか公開っ! まずかいるたん。とっても優しげなお兄さんに仕上がってます。みんなのお兄さん。 正式ローマ字つづりを Kailsayït または Kailsayeet とするでしょう。それだと苗字Doucetと発音が合わない、って苦情は受け付けてません^^ そしてあずりん。 やべえ 美人過ぎてつらいぜ 姉御 そういえば目次をお気に入り登録して見に来てくださってるお客様がいるようですが、私はたまに最新話更新した後に目次更新し忘れたり目次が更新できない場所(職場とか・ω・)にいたりするので気付くの数日遅れますよ~。 |
24.d.
2013 / 07 / 17 ( Wed ) 「そうですね……。聖地が総てこのような危険を伴う場所でないと願っています」
ミスリアは苦笑を返した。 崖から落下していれば大怪我は免れず、もしかしたら河に落ちて溺れていたかもしれない。今更遅れてやってきた寒気に、身体が震えた。 何より、あの誰かに強制的に意識を占有されていたような感覚。自ら歌って魂を繋げた場合とは違う、実体の無い重圧。 それは同時に聖気の清らかさと暖かさを伴っていた。近い経験を探すなら、聖女としての修行の最終段階が似ているけれど――。 ――違う。あの時にも感じた圧倒的な存在感、それを今回はもっと身近に感じた。しかし決して喜ばしいと思えるような近さではなかった。 「……こわい……」 気が付けば呟いていた。 目を伏せて椅子の上で身を丸めた。何故だかわからない、ただ、先に進むのが怖い。 覚悟は決めていたはずなのに。わけもわからず揺らぐ心を、無視できなかった。 「私は弱いですね」 「知ってる」 か細い独り言に、変わらず落ち着いた声が相槌を打った。ミスリアが何に対して恐れを抱いているのか、彼は見通しているのだろうか。 「……軽蔑しますか?」 組んだ腕の中に顔を埋めた。 「別に。それほど迷惑はしてない」 無感動な声だった。気遣いなどではなく、本当に、ありのままの事実を話しているのだろう。それほどって言うからには、多少はしているはず。 「怖いならやめるか」 「いいえ! 私の気持ちは関係ありません、必ず目的を果たします」 ミスリアは素早く頭を上げて振り返り、対するゲズゥは、左右非対称の両目を一度瞬かせた。 「お前の目的は蝋燭の壁と関係があるのか」 「!」 彼が指す物に瞬時に思い当たって、怯んだ。 揺らめく炎の列が脳裏をよぎる。 よく考えたら隠す理由は無いはずである。数瞬の間、ミスリアは言葉を探した。 「そう、ですね。あの蝋燭立ての列は、旅の途中で消息を絶った聖人聖女を弔うものです」 ゲズゥはただ目を細めた。 一度深呼吸してから、ミスリアは続けた。 「彼らの為に私は旅に出ました」 静かな会議室に、自分の強張った声がやたら響いたように感じられた。 _______ 聖堂に並んだ蝋燭の列の、蝋燭立てに彫られている文字は、消えた人間の名前を表している。 隙を見て司祭に訊いたらそう説明を受けた。 ゲズゥ・スディルは木の枝に膝からぶら下がり、腹筋を鍛えつつ考え事をした。 真夏に相応しく気温の高い午後だったが、木陰に守られているためいくらか涼しい。湿気が多く、運動による汗が乾かずに滴った。全身がべたついて気持ち悪いが、南東生まれのゲズゥにとっては慣れればすぐに忘れられる程度の問題だった。 腹筋に力を込めて上半身を折り曲げる。その間の筋肉の引き締まりが、苦しい。同時に、踏ん張る一瞬には頭の中が驚くほど空っぽになった。体を折り下げては繰り返す。 数十の繰り返しを経てから、力を抜いて再びぶら下がった。着る者と一緒になって逆さになっているシャツを使い、顔の汗を拭う。 『私はっ……! 世界を救いたくて旅に出たんじゃありません!』 以前聞いた叫びが、ここぞとばかりに記憶に浮かび出た。 ――世界の為でないのなら、何の為に。 消息を絶った聖人聖女、「彼ら」と言ってもミスリアが泣き崩れたのはたった一つの蝋燭立てに目が留まった時だ。ならばその人間が特別であると断じていいのだろう。 件の蝋燭の位置は覚えていた。それについても司祭に訊いたら、そこに彫られた名が「聖女カタリア・ノイラート」であると判明した。 そうと聞いて、多少の仮定を立てることができた。 「もし……」 苗字は当然のこと、カタリアとミスリアでは名も似ているし、親類と考えて間違いないだろう。 「もし、そこの方。えーと……」 まさか消息を絶った人間を探そうと―― 「あの! お願いがございます!」 さっきから呼び声が自分に向けられているのだと、ゲズゥはようやく気付いた。何度か瞬き、逆さの映像を分析する。 全身を質素な衣で包んだ若い女が視界の中心に居た。作業用の被り物なのか、頭にはバンダナを巻いている。 「あの、お邪魔してすみません。手伝っていただけませんでしょうか」 言いにくそうに女はもじもじした。 「…………」 ゲズゥはとりあえず両腕を伸ばした。逆立ちになるよう樹の上から降り、次いで足を落としてしゃがむ形に着地した。 |