四 - f.
2017 / 04 / 19 ( Wed )
 ぶわっと紺色の布がなびく。エランが素早く首を巡らせたのである。
 青灰色の瞳が、激しい怒りに燃えていた。冷たく燃えるという現象が可能なら、こう見えるだろう。
 思わずセリカは立ち竦んだ。

「おい、気色悪い冗談は止せ。この口は戯言(たわごと)しか吐けないようだな、リュー?」
 あろうことか青年は少女の愛らしい口の両端に親指を突っ込んで――先ほど頬をつねった時とは比べものにならないほどの勢いで左右に引っ張った。
「いひゃい! いひゃいでふぁ、いいひゃー」
 少女がバタバタと手を振り回して抗う。

「な、に、が、愛妾だ! おぞましい。私に朝食を戻させたいのかお前は!」
 容赦ない怒号を浴びせかけてから、ようやっと彼は彼女を放してやった。
 非常に話しかけ辛い。それでもセリカは頑張って小声で訊ねた。
「えっと……愛妾じゃないのね」
 青年の心底げんなりした顔がこちらを向く。

「頼むからその単語は二度と口にしないでくれ。コレは妹だ。イモウト」
「あんた妹が居たの」
 驚愕してセリカは僅かに仰け反った。言ってから、昨夜の晩餐会で「公女」の母であると名乗り出た大公妃が居たと思い出す。
(大公の子が揃って男ばっかりなわけないか)
 それならば何故、昨晩は晩餐会に来なかったのだろうか。

「んもう、兄さまったら! 公女の顔を弄り過ぎではありません? それと女性の前で何度も嘔吐を話題にしないでくださいな」
 リューキネは乱れたヴェールと髪を手で直しつつ、不平を並べた。
「うるさい。誰の所為だ」そんな彼女にエランはにべもなく言う。「反省したなら、セリカへの挨拶をやり直せ」

「ええそうですわね。改めまして、リューキネ・ヤジャットですわ。嘘を吐いたこと……お許しくださいましね。エラン兄さまがいたく気に入ったという姫君にお会いできたのが嬉しくて、少しからかってみたくなったのですわ」
 美少女は優雅に一礼した。腕も伸ばせば触れられるこの距離からだと、はためいた衣装の裾から微香が漂う。石鹸の名残か、それとも香油か。柑橘類の香りが少女の明るい色の服装とよく合っていた。

 セリカは返答に窮する。いたく気に入ったとは、またどういった冗談なのか。
 許すも何も、怒っているわけではなく驚いていただけであって――

「ん……ヤジャット? どこかで聞いた名だわ」
「ええ、ええ。あの豚の眷属ことウドゥアル・ヤジャットとは、残念ながら母を同じくしています」
 今度はリューキネが嫌そうな顔をした。長くて広がりのある袖で口元を覆い、吐き気を抑える素振りを見せている。
「ぶ、豚の眷属って」
 言い得て妙だが、自分の兄に対してひどい言い様である。

「否定できまして? ああ、あのような醜い男と出所が同じだなんて、信じられませんわ」
「…………」
 改めて相対すると、リューキネの人形のような愛らしい美貌は目に入れただけで二の句も告げなくなるほど見事だった。造形の美しさはもちろんのこと、装飾品や化粧も狂いなく整えられている。

(鼻ピアスから耳飾が細いチェーンで繋がってるのも、綺麗。エキゾチックというか、色っぽいというか)
 やはり真似できそうにない。
 あのだらしない第四公子とは柔らかい輪郭――丸顔ともいうが、リューキネの方は小顔だ――や垂れた目が似ているが、それだけだ。

「あの男はともかく。せっかく兄さまたちが戻ってらしたのに、なんだかつまんないですわー」
「つまらないって、どういうこと?」
「大した意味じゃない。こいつはアスト兄上に相手にしてもらえなくて拗ねているだけだ」
 傍らのエランが先に答えた。

「どうしてアスト兄さまは構ってくださらないのでしょう?」
「諦めろ。いくら軽薄なアスト兄上でも守備範囲というものがある」
「まあ! わたくしこれでも十四歳ですわよ」
「だが血縁者だ。どう可愛がられたところで兄妹の域を出ない」
「わたくしは、それでもよかったですわ。アスト兄さまは息をしてくださるだけで尊いんですもの。わたくしの兄は、アスト兄さまだけで十分です」

 脚本で組まれたみたいな会話である。
 慣れた様子で展開される掛け合いを前に、セリカは顔を引きつらせた。自分も家族とはこうだっただろうか。今となっては、思い出せない。

「と、この通り、リューは見てくれはいいが中身は単なるアストファン・ザハイルの崇拝者だ。いや、兄上の顔の崇拝者か。お前も気を遣わずに適当に接すればいい」
 ぽすん、とエランは自分より頭一個分は小さい少女の肩に肘をのせた。
「仲が良いのね」
「あぶれ者同士、仕方なく一緒にいるだけですわ。あ、エラン兄さま、髪結ってくださいまし」

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