四 - e.
2017 / 04 / 17 ( Mon )
「んまあ、ひどい! ちょっとしたお戯れではありませんか」
 リューキネと呼ばれた少女は眉根に皴を刻み、唇を震わせた。怒り方までさまになっているというか、可愛らしい。たとえセリカが真似したかったとしても、到底できそうにない。
「そうか。私はてっきり、急に体調を崩したのかと」
「ご心配ありがとうございます。今日は気分がいいんですのよ」
 彼女は得意そうに鼻を鳴らし、頬をつねる手を優しく握った。

「ならいいが、無理するなよ」
 存外、エランの態度が柔らかい。客観的に分析して、セリカへの対応よりもずっと優しい気がする。
「大丈夫ですわ。せっかくお忙しい中、わたくしに時間を割いてくださったのですもの。頑張って起きてますわ」
 これに対する青年の返答は、セリカにはよく聴こえなかった。ただ、握り合っていない方の手で少女の頭を撫でるのだけが見えた。

(ふうん……孤立してるかと思ったのに。親しい人、居るんじゃないの)
 しかも自分は何を見せつけられているのだろう。親し気な二人に感じる、この違和感は何なのか。
(ああ、そうか。距離感に厳しいこの公宮で、妙齢の男女があんなに積極的に触れ合ってるのが意外なんだ)
 思えば、昨夜セリカに気安く触れてきたのにはどういう意図があったのか。
 あの男にとって「妃」の枠は特別でも何でも無く、誰に対してもああなのだろうか。

 或いは、リューキネという少女こそが特別枠に収まっているという可能性もある。
 ――釈然としない。が、他人は他人でしかなく、心の内を知ることなんて、永遠にできないかもしれない。
 セリカは今度こそ踵を返してその場を去ろうとした。

「そういえばリュー、お前何で共通語」
「あら、あちらにいらっしゃる方はあなたのお妃さまではなくて?」
 突然張り上げられた少女の声。
 逃げ道を塞がれた。

「お前、セリカに会ったこともないくせに。適当なことを言うのもそのくらいに……」
 言葉が繋がれるごとに、声が迫ってくるような錯覚を覚えた。おそらく――彼が振り向いたことによって、音の投げ出される方向や角度が変化したからだ。
 居心地の悪い沈黙があった。背中に、視線が注がれているのがわかる。

 ここで聴こえない振りをして逃げ出せたならよかった。けれど、できるわけがなかった。
 ゆっくりと二人の方を向き直る。姿勢を正し、作り笑いも整えて、少女に向かって「ごきげんよう」と一礼する。

「ごきげんよう! どうぞお上がりくださいな」
 座ったままでお辞儀を返してから少女は破顔した。自分の隣に来いとでも言いたげに、絨毯を軽く叩いている。予想だにしていなかった歓迎っぷりだ。
 貴重な二人の時間を邪魔したくないとか、単に通り過ぎるところだったとか、使いうる断り文句が幾つか超速で脳裏を駆け巡った。本当は彼女がどういう心で誘っているのかを確かめたい気持ちが強いが、己を抑制して黙り込んだ。

「わたくし、あなたにお会いしてみたかったのですもの」
 少女が更に呼ばわる。すかさず「何で?」と訊ね返したい衝動を、セリカは生唾と一緒に飲み込む。
 途方に暮れてエランの方を見やると、彼は卓に頬杖をついて大袈裟なため息をついた。
「上がってくれ、セリカ。こいつの我がままに付き合わせて悪いな」
 あくまで少女の味方をするつもりらしい。完全に断り辛い空気になってしまった。

 ――もうどうとでもなれ。
 従順な公女の仮面を被って、バルコニーまで静かに足を運んだ。階段から廊下に上がったところでタバンヌスとすれ違っても、彼は一切の反応を示さない。相変わらず好かれていなさそうだ。
 招かれた場所は、正確にはパティオバルコニーであった。柱に支えられていて二階からしか行き着けない点ではバルコニーだが、ゆうに八人は座ってくつろげそうな広さである。屋外で団欒する為の場所ならば、パティオでもある。

「ゼテミアン公国第二公女、セリカラーサ・エイラクスです。初めまして」
 踏み入れて、まずは頭を下げて挨拶をする。限られた視界の中で、少女が青年の腕を支えにして立ち上がるのが見えた。
「リューキネですわ。エランディーク公子の、愛妾です」
 あの音楽的な声で、少女はさらりと自己紹介をした。

「アイショウの方でしたか。よろしくお願いいたします」
 顔を上げずに、セリカは平淡な相槌を打った。
 不可抗力だ。咄嗟にどう思えばいいのかわからなくなって、声音から感情を省いてしまったのである。
 セリカとて大公家の人間だ、上流階級の習慣は知っている。たまたま自分の親は相性が良くて子宝にも恵まれ、浮気などせずに一夫一妻で長年良好な関係が続いているが、それは少数派の事情であろう。
 咎める気は全く起きない。

(妾かぁ……事実だとすると一気にややこしくなってきたな。子供が生まれたら、序列とかどうなるんだろ)
 ほとんど他人事のように受け止め、億劫な気分で顔を上げた。

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