四 - b.
2017 / 04 / 09 ( Sun )
「おはようございます、アダレム公子」
「おは、よ、ございましゅ」
 五、六歳くらいの男児はごにょごにょと挨拶をする。続けてこちらの腹までしか届かない小さな身体を折り曲げて、正式な礼を繰り出した。つむじが見れるかなとセリカはよくわからない期待をしたが、頭頂部はターバンに隠されていてそれは叶わなかった。

「ほんじつは……いかが、おすご――おすごしで」
「いいのよ、かしこまらなくて。ここはくつろぐ為の場所だし。もっと楽にしてください、アダレム公子」
 お辞儀を返した後、セリカはそう提案した。一応世話係の顔色を伺うも、彼女は五歩後ろの距離から微動だにしない。その人が介入してこないのなら好きに接しても良いのだろう。

「らくに?」
「うん。えっと、さっきはリスさんと追いかけっこをしてたのかな」
 目線を合せるようにしゃがんで、優しく問いかける。より親身に感じてもらえるように、言葉を崩して微笑んだ。
 自分が興味あるものに別の誰かが興味を抱いてくれたのが嬉しいのだろう、アダレムは「あい」と言ってみるみる内に顔を輝かせた。

「りすさんに、さわりたいのです。もふもふです!」
 幼児は大きな黒目を限界まで開いて、両手を振り回して力説する。
 内心ではセリカは「ぐはあ、可愛い……!」と悶絶したが、表向きは微笑みを維持した。小さい子供も小動物も愛らしいが、組み合わさればますます可愛いに違いない。これは協力せねばと思った。

「そうなの。じゃあもっと近付かないとね」
「でもエサをあげようとしても、にげちゃうのですー」
 アダレムは小さな手の中の落花生を指して、ぷっくりと頬を膨らませる。
「走ったらリスさんびっくりしちゃうから、ゆっくり近付くのはどうかしら」
「ゆっくり」

「そうよ、ゆっくり。静かに。一歩ずつね」
 セリカは口元に人差し指を立てた。それから二人揃って首を巡らせ、目標の現在地を確認した。
 歩道の数ヤード先でリスがこちらの様子を見張っている。時折背を向けて数歩跳び進めては振り返るさまを見るに、落花生が気になっているのは確からしい。

「ゆっくり……しずかーに……」
 幼き公子は囁き通りに実行に移す。忍び足で、背を低くして。
(そう! そんな感じ)
 小さな背中を追いたい衝動を全力で堪えながら、セリカは無言で応援した。近付く気配が増えても小動物は怖がるだけだ。

 長い時――実際には三分くらいだろうか――をかけてアダレム公子はリスに接近した。
 子供にしては驚異的な集中力と根気である。それだけ、哺乳類の毛並に触れたいという欲求が強かったのだろう。
 ついに我慢ならなくなってセリカも四つん這いになる。アダレムのかなり後ろからでいいから、自分も追跡してみたくなったのだ。

 ガサリ。
 歩道の脇の並木から、唐突に足音がした。
 瞬時にリスが頭をもたげた。もふもふの尻尾を二、三度鞭打ってから、駆ける。

「まって! りすさん!」
 アダレムの引き留める声も空しく、リスは颯爽と逃げ去る――
 ――かと思いきや、新たに現れた人影を木とでも勘違いしたのか、その足を素早くよじ上ったのである。黒い長靴から紺色のズボンへ、腰の帯を飛び越えて肩の上まで、我が物顔で上るリス。
 ちょこまかとした動きを目で追う。

「あ。エラン」
 愛らしい小動物が停まったのは、ヌンディーク公国第五公子エランディーク・ユオンの肩の上であった。食べ物ではないというのに、青い涙型の耳飾にちょいちょい齧りついているさまが可笑しい。
「……何をしている?」
 彼は忍び足のアダレムと四つん這いのセリカを見比べて、たちまち呆れ顔になった。

「そっちこそ、野生動物に尋常じゃなく懐かれてるのは何事よ」
 かしこまった挨拶をすべきか迷ったが、結局いつも通りの遠慮のない口調で返した。
「私の質問が先だ」
「えっとね」
 答えようと膝立ちになる。同時に視界の中で動きがあった。

 腰に何か暖かいものが当たった感触で、その正体を知る。アダレム公子がセリカの背後に隠れたのである。これではまるで、自身の兄の前から逃げたかのようだ。不審に思うも、セリカはひとまず質問に答えることにした。

「餌をあげようと思ったのよ。でも全然近付かせてくれなくて」
「餌か。既にこんなに恰幅がいいのにか」
 青年は肩の上にのっている小動物の腹を、ぷにっと人差し指で押した。柔らかそうで羨ましい限りである。

「というのはついでで、アダレム公子が毛並みに触ってみたいって……」後ろ背に引っ付いている幼児がびくりと身じろぎしたのを感じる。「あんたそんなに懐かれてるんなら取り持ってくれない」
「ああ、それは構わないが」
 言うが早く、彼は慣れた手つきでリスの眼前に掌を差し出した。リスもまた当然のようにその手に跳び移る。

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