三 - c.
2017 / 03 / 18 ( Sat ) 「ほら」
「ん、ありがと」 手渡された笛は意外と重くなかった。 (でもやっぱり鉄らしく、冷たい) セリカは指穴を求めて筒状の楽器を手の中で翻した。それから、穴の位置に合わせて指の広げ方をざっくり決める。 ついさっき見たばかりの姿勢を思い浮かべ、真似た。 いざ笛を持ち上げてみると―― ――最初に思っていたほど、表面が冷たくなかった。正確には、指穴付近にほんのりと温もりが残っているのである。数秒前まで人肌に触れていたのだから当然と言えば当然だが、妙な心持ちになる。 気を取り直して、唇を吹き口に当ててみる。 音が出なかった。 もっと強く息を吹きかけてみるが「フー」と空ろな効果音だけが返る。そういえば自分は縦笛しか奏でたことが無い、と遅れて思い出した。 「…………」 落胆して黙り込み、笛を口元から下ろすと、隣の青年が落ち着いた語調で助言してきた。 「少し下にずらして、穴の上を通過するように細く息を吐け」 唇は吹き口に密着させるのではなくのせるのだと、彼は自分の指を笛代わりにして示した。 言われた通りにして吹いてみること、数回。三度目で笛の音らしい応答があった。それから指の位置を動かして音域を確かめる。音色は改善の余地ありだが、簡単な旋律を吹くくらいはできた。 楽しい。この少しずつ何かを習得する手応え、新しいことに挑戦する面白さは普遍的だ。元々セリカは公女の嗜みとして音楽の心得はあった上、純粋に聴くのも奏でるのも好きであった。 夢中になって鉄笛を堪能した。 そうして数分ほどやっている内に、腕や指が疲れた。息も切れてきている。この辺りでやめにしようと思って笛を膝上に下ろすと、その時になってやっと、セリカはすぐ傍から注がれている視線に気付いた。 首を右に巡らせる。エラン公子は胡坐をかいた膝の上に右肘をのせ、更に右手で作った拳の上に頬を休ませていた。やたらくつろいだ体勢でありながら、表情はまるで、興味深いものを観察する時のそれだった。 「……えっと、そんなに気になるくらい下手だった? それともあたしの顔に何かついてる?」 居心地が悪くなって、問うた。 「表情がよく移り変わるなと思って」 「それは、褒めてるの」 「事実を述べているだけだ」 「あらそう」 つい目を背けてしまった。とりあえず手の中の笛を返そうと持ち上げると、端からドバッと何かが零れた。おそらくそれは吐息の熱と湿気から生じて溜まった滴だったのだろう。 幸い服にはかからなかったが、地面にできた小さな水たまりを見て、何とも言えない気分になる。 「さっき唾液が汚いとかさんざん喚いておいて……なんか、すみません……」 「別に。よくあることだ」 「それは、そうだけど」 吹奏楽器はしばらく吹いているとこうなることはセリカとて知っている。しかし普段は弦楽器ばかり弾いているため、失念していた。唾液やらの滴の制御は不得手で、こまめに流し出すこともしなかったのである。 「こうすれば大体流れ出す」 公子はセリカの手から鉄の筒をひったくり、斜めに持って片手の掌を叩いた。 「アリガトウ……ゴザイマス……」 微妙な気持ちでその作業を、そして青年が笛を雑に拭いて懐に仕舞う動作を見届けた。 ほどなくして静寂が訪れた。どこかから梟の鳴き声が響いて来る。 セリカは両膝を抱いて、空を見上げた。 「星が綺麗な夜ね。光の川みたい」 思ったままの感想を口にするも、話し相手からは反応がなかった。 (相槌のひとつもくれないの) 半月と星、今夜は稀に見る圧倒的な輝きなのに。かといって、確かに青年の視線は空に釘付けになっていた。いや、真剣そうに見つめるあまり、それはまるで睨んでいるようにも見えた。 「訊いてもいいかしら。いま、何を考えてるの」 「……人は死後にその魂が天へと昇り、『神々へと続く道』に送られるという」 今度は返事があった。 ほら引っ張ったw |
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