64.f.
2016 / 11 / 21 ( Mon )
 青年の声に思わぬ棘が含まれていた。はっと息を呑む。
 きっとゲズゥが知らぬ間に状況を説明していたのだろうと思い至り、ミスリアは素直に謝った。

「仲間に隠し事をされるのって、傷付きますよね……気が回らなくてすみません」
「まあ、僕は寛容だからね。そんなことで傷付くように見える?」
 力が緩められた隙に、表情を窺った。鮮やかな緑色の右目と白い左目の縁(ふち)が、濡れたように煌めいていた。知り合ってからの期間は短いが、これまでの付き合いからわかることはいくつかある。リーデンは「嘘吐き」であり、「寛容」ではない。
 はい、傷付いているように見えます――と答えるわけにもいかず、言葉に詰まった。

「それとマリちゃんから伝言。『お別れの挨拶は保留にする。また会えるって信じてるから』だってさ」
「…………」
 ゲズゥに先ほど伝えた通り、もう大丈夫だからと、二度と泣かないつもりでいた。喉の奥からせり上がる苦しさに必死に気付かないふりをする。
「ね、どう、後ろ髪を引かれたでしょ。少しでも考え直してくれた?」
「それを訊くのはずるいです」
 ミスリアは苦笑交じりのため息をついた。どうしたものか、この兄弟は揃いも揃って手放してくれない。嬉しいようなこそばゆいような、妙な気分になる。

「ずるくて結構」
 白い吐息越しに美青年に見惚れた。この悪戯っぽい笑顔も見納めか、と一抹のもの寂しさを覚える。
 やがて、リーデンがその整った顔を寄せてきた。
「渦潮みたいな人生だったよ。どこかで舵を間違えたのはわかってるのに、抜け出し方がわからない。誰の同情も欲しくなくて、でも溺れ沈むのが嫌で」
「――――」
 何か大事な話を打ち明けられているらしいが、言葉がうまく頭に入ってこない。耳元で囁かれていては心臓に悪い。ミスリアは抗議しようと思って口を開いた。

「君だけだよ。心を砕いてくれたのは、君だけだった」
 気が付けば世界中の雑音がかき消えていた。耳に響く声の余韻に打たれて、ミスリアは小さく息を吐く。
 堪えていた衝動が、一気にこみ上がる。感情の大波にさらわれ、足から力が抜けそうになる。
 けれども先に泣き出したのは自分ではなかった。

「お願いだ、聖女さん」両肩がきつく掴まれた。掴む力の強さに驚き、そして掴む手が激しく震えていることにも驚いた。「僕らを、兄さんを、置いて行かないで」
 膝をついて嘆願する彼を見下ろした。
 他にどうすればいいかわからず、名を呼んだ。最初は遠慮がちに、次第にハッキリと。
 反応は返らない。肩を掴んでいた手もずるずると力なく下りていった。

「リーデンさん。こっちを見てください」
 不思議と心中は凪いでいた。一緒になって泣き喚いてもよかったのに、そうしてはいけない、という確固たる意思がミスリアの中にあった。
 サラサラの銀髪に触れた。拒まれる素振りが無いので、そのままそっと頭を撫でる。
(涙を見られたくないから、顔を上げてくれないのかな)
 感謝の想いに胸が膨らむ。愛おしさを込めて青年の頭を胸に抱いた。そのつむじ辺りに顎をのせ、音もなく涙する。

 ――希望と絶望はそれほど違うか?
 ――お願いよ。聖女にはならないで。幸せに、なってね。

 聖獣の呼びかけと、姉との思い出が脳裏に蘇った。亡き姉に向けて、謝罪と否定の言葉を綴る。
 誰かに必要とされる悦びを知り、同時に、その者を悲しませる痛みを知った。果たして幸福と呼ぶべきか、不幸と呼ぶべきか。きっとどちらでもあるのだろう。

「ごめんなさい。許してくださいとは言いません。未来永劫、私を恨んでも構いませんから、どうかこれからも健やかにお過ごしください。できればイマリナさんと――……ゲズゥと一緒に」
「わかってるよ」
 拗ねているかのような口ぶりだった。なんとなく、念を押したくなった。
「ちゃんとわかってますか? 危ないこととかもうしないでくださいね」
 具体例が浮かばないので、とりあえず「無茶はダメです」と口を酸っぱくして言う。

「はーいはい。あーもう、わかったよ。悪事から足を洗って、心を入れ替えて頑張るとするよ」
 やっと目が合った。
 左右非対称の瞳は宝石にも勝る艶を放っていた。近くで見つめると、尚更に美しい。
「ま、聖女さんなしに僕らが真人間になれるかどうかは、かなーり怪しいけど」
 整った顔の部位が、にんまりと悪い笑顔をつくった。

「私は心配してません」
「はは、ありがとう。あんまり期待しないで、ね」
 美青年は優雅に立ち上がり、その一連の動作を辿る内、ミスリアの頬に口付けを落としていった。ぶちゅっ、との効果音がやたらうるさく聴こえた。

「!?」
 言葉にならない悲鳴が唇から逃れる。
「いい反応だねぇ。はあ、これから僕は誰をからかって毎日を生きればいいんだろう」
「知りませんよっ!」
 あははははは、と声を高らかにしてリーデンが笑った――かと思えば、笑顔だけを維持し、一転して真面目な声色になる。

「旅の供として、ここまで連れてきてくれてありがとう。受け入れてくれてありがとう。楽しかったよ」
「はい、私も楽しかったです。こちらこそ、一緒に来て下さってありがとうございます」
「あのねー、聖女さん……最大の難関がまだ残ってるから、そんなに嬉しそうな顔しないでくれる」
 何故か青年は半眼になって、文句をつけてきた。
「安心して下さい。私の迷いはもう完全に吹っ切れました。使命は全うしますよ」
「違う違う」
 リーデンは親指でぐいっと後ろを指した。その先に居るのは――




キリのいいところが決められなかったのでこの際くっそ長くして投稿。

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