64.a.
2016 / 11 / 07 ( Mon )
「生き物は皆、生まれた瞬間から死に向かって生きている」
 地平線に淡い赤が昇り始めた頃合いに、なんとなしにゲズゥはその言葉を口にした。
 ビュッ、と鋭い風が雪原を一度通り抜ける。最上層の新雪は砂の如くさらさらと押し流されていった。芯まで冷える、寒々しい朝である。その上、鳥の鳴き声さえ聴こえてこない。威圧的な静寂が余計に寒さを身に沁みらせた。

 視界はどこまでも開けている。
 取り残されたように所々ぽつねんと立っている常緑樹を除けば、地上は白い峰々ばかりに飾られていた。
 人類の進退などとは無縁であろう、普遍的な景色。
 見事としか言いようがなかった。できればこれを讃える詩のひとつやふたつを詠いたい気分だが、生憎とゲズゥはそんな才に恵まれていない。

「死に対して恐怖は不要。死ぬまでにどういう風に生きるかが、勝負……」
 代わりに、かつて火あぶりにされるはずだった日に思い返していた台詞が、口をついたのである。
 あの日のことは昨日の出来事と同じくらいに詳細に思い出せる。大勢の観衆の視線も、国家元首の尊大そうな態度も――全ての流れを一声で変えた、小さな少女の笑い顔も。

「それは恩師の方が?」
 背後に立ったミスリアが問うた。肩から振り返り、憶えてない、とゲズゥはありのままに答える。確かにあの男が好みそうな理念だが、真相は記憶の彼方だ。
 正面を向き直ったのと同時に、地平線に色濃い変化が現れた。
 黄金色の輝きが炸裂する。あまりの眩しさに目を眇め、顔を伏せた。

「行くぞ。追っ手が来る前に」
「はい、あそこから尾根伝いに北東七マイル……そこまで行けば、目的地が見えてくるはずです」
 コンパスが手元に無いため、方角は太陽の位置から算出している。
「七マイル……」
 通常ならば数時間で歩ける距離であろうが、此処の地形での七マイルは半日かかるやもしれない。

「あれから星を見てないのに、わかるのか」
「星空を見なくても、聖獣が見せて下さいました。間違いありません」
 こころなしか早口で言い包められた。
「……ならいい」
 ミスリアが断言するのなら、是非もなく従うつもりでいる。聖獣に見せられた、という点が何故か引っかかったが、問い質したところで核心までは話してもらえない気がした。

 それからは、雪を踏む音だけが静かに続いた。
 雪崩に遭ってから丸三日、吹雪はようやく通り過ぎたのである。夜になると活発化するであろう魔物信仰の連中を振り切るには陽の高い時刻に行動するのが一番だ。出発する前に――雪を溶かして湯を沸かすことで水筒を補充し、非常食を食べ尽くした。後から追ってくるリーデンが、また食料を持って来てくれるだろう。

 雪の中を歩く。ひたすらに、歩く。時々転びそうになるミスリアを支えたり、足場の悪い道では手を差し伸べたりした。休憩も、程よく挟む。
 教団本部に住み込んでいた頃から雪を見慣れているからか、ミスリアは臆することなく歩を進めている。空気の薄さにも順応しているようだった。

 そうしている間も、太陽はゆったりと大空を横切る。
 静寂は時折動物の鳴き声によって破られた。シロハヤブサの影を見たのは、一度や二度ではない。

「寒くありませんか」
 ふと、少女はチラリとこちらを一瞥して訊ねてきた。丈が絶対的に合わない防寒コートを除いて、ゲズゥは己が着ていた上衣の一切をミスリアに貸してやっている。
「問題ない」
 我が身に残るは素肌の上に革の防具、その上に分厚いコート。立ち止まれば肌寒さを免れないが、動いている間はむしろ暑いぐらいだった。

 満足そうに頷き、ミスリアは足元へと注意を戻す。
 それに反して、ゲズゥは焦点を広げた。いつの間にか空の色は、淡く灰色がかった青に変わっている。両目に映る、山岳のそびえる様に感嘆すべきか飽きるべきか、最早どういった情動を抱けばいいのかもわからない。
 こちらが無我の境地か狂気の域に至りそうなところで、前を歩くミスリアが立ち止まった。着きました、と小声で呟くのが聴こえた。

「まるで最果ての地みたいですね」
「……そうとも言える」
 肩を並べて佇む。互いにしばらく無言で、目的地を見下ろした。




BGM例: https://www.youtube.com/watch?v=D2LIEQsZQew

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