63.i.
2016 / 10 / 30 ( Sun )
 痛苦に悶えて目が覚めた。
 重苦しい息を、何度も何度も闇の中に吐き出す。
 ああ、これは、自身の味わった苦しみではない。他者のそれに共鳴してしまったものだと遅れて気が付き、胸を撫で下ろす。

(ひどい夢を見たような……)
 内容を憶えていないのが幸いだ。それでも後味の悪さはしっかりとミスリアのあらゆる神経に残っている。
 吐き出す息は目に映らないけれど、まるで瘴気でも吐いているかのような気分の悪さだった。
 いつしか目尻から冷たい感触が流れ出す。

(泣き疲れて眠ったのに、泣きながら覚めるなんて)
 何かがおかしい。
(おかしいのは、私)
 内側から崩れていくような、膿んでいるような。これまでに普通に歩いて来れた方が奇跡だったのかもしれない。

 目を閉じるのが怖い。再び眠ったら、どんな悪夢に迎えられるのか知れない。
 前方をぼんやりと見つめてみる。横たわっているのは巣穴の中の地面で、地上から聴こえてくる風音は吹雪のもので――と、現状についてひとつずつ思い出しながら。
 そうしている内に、ゆらり、と闇の中にありえないものが青白く浮かんだ。
 悲鳴は上げなかった。上げようにも、喉が渇ききっていて痛いのである。
 ゆっくりと溶解されつつある二つの顔は、複製されたようにそっくりだ。その背後には、一度目にすれば二度と忘れることのできないような面妖なシルエット。

(幻だわ)
 膨れ上がる恐怖に、そう言い聞かせる。
(だってこの人たちは)
 カルロンギィ渓谷にて浄化された「混じり物」の代表格だ。彼らがこんなところに居るはずが無い。何せ、ミスリアの手で三人を――

 葬った、のだから。
 全身が金縛りになり、手足が凍ったように冷える。恐怖と罪悪感に圧されて血の気が引いたのだろう。
 来ないで。こっちに来ないで、と切に祈る。

「何を見ている」
 ふいに真っ暗になった。幻影が去ったと言うよりも、視界が障害物で遮断されたために消えたようだ。
 両目を丸ごと覆った温もりからは力強い生命力を感じる。全てを受け入れて包む込めそうな、ざらついた無骨な手。その掌を濡らしていく涙は、掠るだけで熱を帯びた。

「……過去の、罪を」
 神妙に答えた。
 魔物と混じっていながらも、魔物ではなかった。自分が掲げてきた「人間」の定義に最近自信が持てなくなっているが、何度思い直しても、やはり彼らは人間だったという結論から離れられない。
 紛れもなく生きていたのである。そして彼らの生を無理矢理終わらせたのは、ミスリアの判断だ。過ちではなかったと、今でも信じたい――いや、信じている。にも関わらず、罪の意識は常について回った。

「そうか」
 踏み込むわけでもなく、ゲズゥはそれきり沈黙した。
 彼の掌をミスリアはそっと両手で取り、視界からどける。醜悪な幻影がすかさず舞い戻るも、今度はしっかりと見据えた。

「殺した人の顔って、どうやって忘れてますか」
 とんでもないことを訊いてしまったと自覚したのは、質問を呟き終えてからだった。
「特に何もしてないが」
「そ、そうですか。変なこと訊いてすみません」
 もしかしたら聞き流してくれるかもと思っていたところを、意外にも答えが返ってきたので、複雑な気分になった。

(忘れられるのね。流石は鋼鉄の心臓の持ち主)
 過去を背負って生きるには、散った命を絶対に忘れてはいけない、とミスリアは思っている。
(でも時には忘れることも学ばないと、きっと私は私を保てなくなる)
 それが現実だった。聖獣に辿り着く前に寝不足や心労で倒れてしまっては本末転倒――それなのに心に沈殿する負の感情は積もるばかりで一向に減らない――
「……初めて人が殺される場を目撃したのは、五歳の時だった」
 すぐ後ろで寝そべっている青年が、やがてそう切り出した。

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