62.j.
2016 / 09 / 28 ( Wed )
「ま、さか。貴方は、北の地で消息を絶った……せい、じん……? どうしてこんな裏切りを! 何故……魔物を信仰する集団に与するのですか!?」
 伸びていた手が宙に浮いたままぴたりと止まる。

「聖女よ。何か誤解されているようですが、私はヴィールヴ=ハイス教団に敵対しているつもりはありません。教団には大変お世話になりましたし、み教えは正しい。ただし、正しさから逸れた世界も興味深かった。ただそれだけのことです。私はコヨネ・ナフタが生きている間に完成できなかった『瘴気を貯める器』を創る理論に興味を持ったのですよ」
 男性の和やかな笑顔を見上げて、ミスリアは歯噛みした。

「ただそれだけの探究心の所為で……犠牲になった人たちは、どうなるんですか!」
 この建物に棲む魔物の叫びを聴いていたから、知っている。虐殺された遊牧民、拷問にかけられ衰弱死した組織ジュリノイの成員、攫われてしまった罪無き旅人――命を軽んじられた者たちの無念を。
「可哀相でしたね、彼らは。抗うか逃げるかするだけの強さが無ければ、我々の仲間になる強(したた)かさも無かったばかりに」
「ぐっ」
 歯軋りする。
 同胞であるはずの男性の面貌が、ひどく醜いものに変わった気がして、目を逸らさずにいられなかった。

(……あれ)
 逸らした先に違和感を見つけた。破けた肌着の隙間から白くて長いものが覗いている。厚みのある乳白色に時折交じる茶色の模様は、動物の角を磨いたような――
 思い出す。
 護身用に持っていろと言われたのに、どこに収めればいいのか決められず、こっそり下着の中に挟んだソレを。

 ――バシ! と左横から伸びる元聖人の手を振り払い、残る右手を肌着の中に突っ込んだ。目当てのものを指先で探り当てる。掴む。そして、鞘からするりと抜き放つ。
 なんと、例の暗い部屋から引きずり出されて以来、ミスリアの両手は拘束されていなかった。侮られていたのだろうが、それがかえって好都合である。

「……す、より……る」
 周囲に好奇の色が広がる。話題のペンダントを握り締めるわけでもなく、少女が己の胸元をまさぐるさまは、一体何をしているように見えるのだろうか。とはいえ、羞恥心など知ったことではない。
「往生際が悪いね、また無意味な祈りをブツブツと呟いているのかい」
 こちらを覗き込むように上体を傾けるプリシェデス。

 自ら近付いてくれた好機。彼女の胸辺りめがけて、ミスリアは手の中のものを水平に薙ぐ。
(刺すよりも、切る!)
 狙い通りに何かを切り裂いた。嫌な手応えが指を伝う。
 と、同時に温かい鮮血が散った。

 刹那、息をしそびれる。こちらに向かって飛んでくる血の滴が目前に迫り、反射的に目を閉じた。唐突な温もりが瞼にかかる。
 短い悲鳴が反響する。
 ミスリアは下ろしていた瞼を上げた。己を圧迫していた重みが離れた隙に――横に転がって自由の身になり、手すりで背中を支えながら立ち上がった。
 ゲズゥに貰った黒曜石のナイフを逆手に構えて、揺らぐ視界の焦点を敵の頭目に当てた。手足はガクガクと無様に震えている。構わずに、プリシェデス・ナフタを見据えた。

「私は未熟だから、貴女がたを説き伏せるだけの理論を組み立てられません。けれど、勝てないとわかっていても、諦められないんです。独りになろうと帰る場所がなくなろうと――立ち止まらない!」
 息も切れ切れに叫んだ。

「私はまだ、こんなところでは、死ねない!」
「…………」
 相対する美女は、裂かれた胸を押さえて、ゆらりと顔を上げる。指の間からとめどなく溢れる朱色に、ミスリアは内心たじろいだ。

「教主!」
「てめえ、なんてことを!」
 周りの声はほとんど耳に入らなかった。
 翡翠色の眼差しに、心臓を縛されたような気がした。その虹彩に映っていたのが歓喜なのか激怒なのか、ミスリアには判然としない。

「ふ、ふふ……ふははは! 見事だよ、聖女サマ。でもきみの意地だけではどうにもならない場面があると、思い知った方がいい」
「きゃ!」
 死角から伸びて来た鉄剣により、ナイフが弾かれた。それは石畳に落とされ、見知らぬ誰かに踏まれて、更に振り下ろされた剣によって砕かれる。
 壊された手鏡の有り様が記憶の片隅に蘇った――が。

「意地だけではありません」
 落胆の気持ちを押し退け、すかさず次の手に移る。
 祈りの言葉を短縮して聖気を展開した。地面に垂直になるような、細い光の柱を組み立てる。
「無駄なあがきは止めなさい」
 元聖人の男性が距離を詰めようとしてきた。

「無駄かどうかはすぐにわかります」
 ミスリアがそう返して、ほどなく。
 ――地鳴りが始まった。

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