02.d.
2011 / 12 / 21 ( Wed )
「どうぞ」

 入ってきたゲズゥは手枷をつけたまま、ところどころ褪せた紺色のズボンをはき、ベージュの上着を羽織っていた。本当に適当なものを与えられたようで、左右の裾の長さが合っていなかった。

 扉が外の兵の手で閉じられる。手枷とつながったままの鎖がつっかえて、完全には閉まらない。

「こんにちは」
 とりあえず挨拶してみた。
 ここは「はじめまして」とも言うべきだろうか? と迷い、今更感は否めないのでやめた。

「私の話をどう思いましたか?」
「………………」

 予想はしていたが、ゲズゥは無反応だった。無口無表情にもほどがある。
 会話ベタどころか、会話する気がないらしい。

 鎖が挟まっているので、扉はまだその分だけ開いて隙間がある。
 扉のすぐ外で待機してる人間にはきっと音が漏れているだろう。意識しないわけにもいかない。

 そうでなくてもまったく何をいえばいいのかわからなかった。事前に用意した台詞が、今になって頭の中からひとつも残らず消えてる。聖女として大口たたいた時とはまったく別種の緊張で体が強張っていた。笑顔が凍りついているともいう。

 ゲズゥの右目は、確かにミスリアと目を合わせていたが、それだけだった。静止した視線の先に、本当に自分がいるのか、まず認識されているのだろうか、とかわけもなく不安になってきた。

(話が通じなかったら、どうしよう。何をわかった気でいたんだろう。たとえ予想通りの性格だったとしても、この人が「正気」である保障なんて、どこにも無いんだ)

 泣き出したいくらい怖くなってきた。やっぱり早まったか。

 でも、目を逸らせなかった。逸らせばあまりにも早い敗北を認めるはめになる。今日までしてきたことが水の泡だ。

 一分ぐらい無言でそのままでいた。

 不思議と、飽きてない自分に気がついて、驚く。間が持たないことを心配していたけど、周囲に満ちていたのはぎこちない空気ではなかった。

 ただただ、落ち着いている。夜の闇を心地良いと思う時の、清涼な感覚に似ていた。

 自分の鼓動も落ち着いてきた。おかげで、ちゃんと目の前にいる青年を観察する心の余裕ができた。

 開いた右目は、髪に合って黒かった。黒曜石を思わせるような深みのある色だ。吸い込まれそうなほどに美しい。

 そしてふと思ったこと口にした。

「あの、包帯を取ってもいいですか?」

 ゲズゥは一度瞬いた。一応認識はされているようだ。

 はっとして、ミスリアは慌てふためいた。両手に枷をされている無防備な状態の、まったくの他人の頭に触れようなんて、失礼極まりない。誰だって嫌がるはずだ。何言ってるんだ自分。

「ごめんなさい! 今のはきかなかったことに……」
 両手を振って謝った。もう本当に泣きたい。
 
 が、あろうことか、彼は身をかがめた。

「ひゃっ!?」

 急に顔が近づいてきたので、反射的に身を引いた。

「………………好きにしろ」

 ミスリアは身構えたままの姿勢で口をあんぐりさせた。

(うそ、喋った――――! こんな声!?)

 低くて、抑揚の無い。声色が沈んでいるようにも受け取れるが、暗さや陰鬱さは無く、綺麗なトーンだった。

 胸がまた高鳴るのを感じて、必死に平静を装った。

 一拍してから、おそるおそると、白く小さな手を伸ばした。相手が身をかがめていながら、多少の背伸びが必要だった。ゲズゥは確かに背が高いが、ミスリアもまた、相当小さいのであった。爪先立ちになる。

 本当にいいのかな、急に噛まれたり体当たりされたりしないかな、とか、さまざまな考えを巡らせたけど、それでも手を止められなかった。

 そっと指先に触れた黒髪は、まっすぐな割りに、やや硬くて太い。

 包帯をとめてる安全ピンを、両手使ってはずした。次に、汗や埃で黄ばんだ布をほどき始める。しゅるり、しゅるりと布がゆるやかにほどけた。体勢のせいか、なかなか巧くできない。

 その間ずっと、ゲズゥは大人しくしていた。時々、額を暖かい吐息がかすめた気がしてくすぐったい。

 ようやく包帯が全部取れた。
 閉じられていた左目が開くのを、間近で見ることになった。

「わ……」
 思わず声を漏らした。

 呪いの眼などと呼ばれるそれは、虹彩の部分が見たことも無い色をしていた。白地に、金色の斑点。瞳孔は、猫みたいに縦に細長い。
 神秘的であり野性的でもあった。

 それ以外は、左右の目は対称的だ。二重の瞼も、少しつりあがった切れ長の目尻も。

「きれいな眼ですね」
 素直にそう思ったから声に出した。感動に表情が緩んだかもしれない。

 ほん一瞬だけ、ゲズゥが両目を大きく見開いた。それが驚いてなのか怒ってなのかわからない。そのまま彼は、一歩さがって離れた。

「どうかしましたか?」
 急なことだったので、ミスリアも驚いて包帯を持った手を引いた。

「……いや」

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