49.d.
2015 / 10 / 25 ( Sun )
 ヤン・ナヴィの百足の左腕が、恐ろしい素早さでリーデンの顔面を狙う。それを盾で防ぎながらも腰を落とし、剣を薙ぎ払った。
 すんでのところで百足が引いた。剣は尖端だけをかすらせて空回る。

(チッ、半分くらい斬り落としてすっきりさせてあげようと思ったのに。無粋な奴)
 呑気な思考はすぐさま引っ込んだ。伸びる触手をさばくのに集中しなければならないからだ。
「おおっと」
 背筋に悪寒が走った。
 防御の体勢に入りながらもくるりと前後に回転し、蛇の右腕の牙から間一髪で逃れる。

「解放主、援護いたします!」
 里人たちが化け物に向かって吹き矢の嵐を放った。どういう構造なのか、中距離武器としてはなかなか効果的だ。矢が飛ぶ速度や精度はクロスボゥにすら引けを取らないように感じられる。援護射撃をもらっている手前、そう錯覚しているだけかもしれないが。

『小賢しいわ!』
 ヤン・ナヴィは顔面を憤怒の色に染めた。毒矢などいかほども効かないだろうに、その怒りは相当である。
(攻撃を痛がってもいないし……何に対して怒ってるのかな)
 答えがわかれば使えるかもしれない。リーデンはこの隙に一旦距離を取って、思考した。

「解放主、お願いします!」
「あなたさまが頼りです!」
 懐疑的な想いで喚声を聞き流す。
 ほとんどの里人が本気で応援しているにしても、その一部はどこか胡散臭かった。よくわからないがお膳立てをしているらしいのはわかる。

『おまえ、不快だ』
 触手が怒りに揺らめいた。膨れ上がった頭蓋からは湯気が立ち昇っているようにも見える。厳密には魔物ではないため、あの青白い燐光とは少し異なるが、きっと本質は同じようなものだ。
 怒りの矛先がリーデンであるのは間違いない。しかし奴の腹に生えた大型猫の頭の視線の先を追うと、しきりに観衆をも気にしているのは明らかだ。おかげさまでこちらへの注意は散漫となっている。

(おやおや、彼はこの応援が気に入らないようだ)
 何かがピンと閃いた。ナラッサナはナヴィをよく知っている。不特定多数の敵をあてがうよりも、彼にとってのたった一人のやりにくい相手をつくり上げることに成功したわけだ。
(よほど親密な関係だったんだろうねぇ)
 先ほど思った世論操作や母権制社会がどこかで関連していそうな気がしたが、考えてもわかる気がしないので忘れることにした。

(攫われた女たち、それに牢と研究所。これで大体の画(え)が見えてきたな)
 自分の役割を理解したところで、リーデンはニヤリと口の両端を吊り上げた。
 ちょうどその時伸びてきた蛇の腕を、華麗な宙返りでかわした。観衆からワッと歓声があがる。着地の姿勢にも気を配り、地面に片膝つきつつ剣と盾を優雅に構えた。

 近しい知人――主に兄――が見たら漏れなく失笑するほどの、絵になる完璧な身のこなし。襟足の入った長い銀髪も、大きな輪の耳飾も、この暗がりの中では特別な宝物が如く輝いていることだろう。
 戦場で格好をつけるなど、余計な動作でしかない。だが今はそれが、面白い具合に敵に打撃を与えていた。ヤン・ナヴィは逆上して攻撃を重ねてきたが、どれも的を捉えられずに周囲の壁ばかりを破壊する。

(踊ろう踊ろう)
 リーデンは表情の変化も細かく操作し、いかにも真剣に闘っている体(てい)を装った。触手がイマリナや観衆を危うくかすると、心配するような声をかけたり、下がるように号令をかけたりと、とにかく芸を絶やさない。勇敢に化け物に立ち向かう、民に支持された英雄。
 そんな実に馬鹿げた像に収まり切って、流れを支配した。本来ならば巨大な異形が一貫して優勢だっただろうに。
 茶番劇に飽きた頃、リーデンは元の「顔」に戻った。もう十分に時間稼ぎはできたはずだ。その時点で、彼はまだかすり傷しか負っていなかった。

「やあ、ナヴィのダンナ。一つ訊きたいんだけど。君は、『正義』というモノが嫌いなのかい?」

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