48.h.
2015 / 10 / 05 ( Mon )
 奴隷という生い立ちが深層意識に根付いているがゆえに、行動パターンの柔軟性を封じられることがある。イマリナの場合は過剰に恐怖を覚えるとパニック状態に陥る。
 リーデンがどれほどの訓練を施しても、害意に触れる瞬間に硬直し、身動きできなくなるのだ。

 そうなってしまえば、感情を上塗りして肉体に染み込ませた反射運動に頼るほかない。
 鍛えても鍛えても彼女に攻撃性を持たせることはできなかったがゆえに、リーデンはかわす働きのみを教え込んだ。それでも咄嗟に対応してくれないので、骨折り損に思う時もある。だが今はそういう時ではなかった。自分の、彼女にとっての唯一の主の命令する声がきっかけとなりえた。

「アンタらは里を脅かす谷底に居座った敵、ってイメージを描こうとしてたけどさ。とどのつまり、身内から出た錆なんでしょ」
 闇の奥から伸びる魔手を身軽にかわしつつ退避する彼女と、後ろに控える里人たちを見比べた。その間リーデンは麻痺から解放されてきた手足を簡単に動かしたりした。

 目の前でイマリナが高く跳んだ。すんでのところで的を外した触手が、べちゃりと地面を打つ。生肉を成熟させたような汚臭が散った。

「もう大丈夫だよ、マリちゃん」
 慣らした足で前に歩み出て、彼女を背中に庇う。安堵のため息が漏れるのを聴いた。ここになって冷静さを完全に取り戻せたリーデンは、ようやく敵に注目した。
「さあて、オニーサン。よかったら君の家名と個人名を教えてよ」
 そう呼びかけると、大気が拒絶に震えた。予想通り、目前のそれは自我や意識を持ったナニカであった。

『嫌だと言ったら』
 山猫の咆哮のような声だ。それでいてかろうじて聴き取れるような、北の共通語。
「いいじゃん、僕のも教えてあげるから。リーデン・ユラス、だよ。ユラスは母の結婚前のメイデン・ネーム(旧姓)でさぁ、父親の姓名はクレインカティって言うんだ」
『ややこしいな。個人名を先に名乗るとは、他所の風習か。ここでは家名を先に名乗るのが主流だ』
 奴がクレインカティの名を聞き流した以上、戦闘種族とは縁が無いのだろう。とりあえずそれを確認できたのは幸いだ。

「ふーん、そうなんだ。ねえもしかして、君もヤンさんだったりしない」
『どうやって知ったのかはわからんが、そうだ。おれはヤン・ナヴィと言う名だった。お前たちの中にヤン・ナラッサナの姿が無いが、暖かい家の中でお留守番か? いつまでも意気地の無い女だ』
 一向に闇から姿を見せようとしないアンタはそれじゃあ意気地があるのかと突っ込みたかったが、我慢した。

「どこだろうね。ホント、回りくどいことしちゃって、ヤンおばさんの狙いは謎すぎるよ」
 リーデンは大げさに肩を竦めてみせた。
(でも、いいよ。もうちょっとだけ踊らされてあげよう)
 倒せるかは別として、ヤン・ナラッサナは「解放主」とヤン・ナヴィを見(まみ)えさせたかったのだ。足元には何故か剣と盾が揃っているし、そういうことなのだろう。意図も勝算も依然としてはっきりしないが、あの女の首を締め上げる前に企みに乗り切ってやっても損は無いのではないかと、自らの勘が訴えかけている。

 勝つ必要は無い。
 目の前に立ちはだかっているのは圧倒的な絶望を撒き散らす存在だ。しかしリーデンの中に恐怖は生まれない――それを通り越した達観した場所に辿り着いている。規格外の相手に自分のできることなどたかが知れているのだ。当面の課題は、イマリナと共に生き残ることのみでいい。

 人間勢の中でこの夜の結末を左右しうる者がいるとすれば、おそらく聖女ミスリア・ノイラートがその筆頭だろう。そう思ったのもまた、勘に過ぎなかった。世の中にはそれを「信頼」と呼ぶ者も居る。

『ジェルーチ、ジェルーゾ! 牢・研究所の周辺と裏口を確かめろ。こいつらは陽動だ。他にも部隊が居るはずだ』
 咆哮が空間に響いた。反響によって、この場所はそこそこ広いながらも天井と壁があるのだと理解できた。
「あいよー! じゃーオイラは牢と研究所! ルゾは裏口な」
「めんどくさい、けど…… わかった……ヤンが言う、なら」

 その叫びの応酬が交わされる間、呪いの眼を使用して情報を手短に伝達した。
 ――そういうことだから。そっちは任せたよ、兄さん。
 返事は無いが、伝わったに違いない。

『健康そうな女だな。よこせ。そいつにも、孕ませる』
 既にヤン・ナヴィはこちらににじり寄り始めていた。
 ずる、ずる。
 人間の腕ほどの太さをした無数の触手が這いずっている。背後の人々は固唾を飲む者が多数を占める中、松明を持って前に押し出る者も居た。

 ――未知の化け物はよく見えた方が恐ろしいのか、見えない方が恐ろしいのか? 答えはそれぞれだろう。

 触手の繋がる源に、大型猫の頭部があり、その更に上には人間の男の胴体があった。男の肩や背中には歪な突起の影が見える。頭蓋は膨れ上がっており、眼窩に瞳らしい瞳はなく、どろどろとした液体が漏れ出ている。後ろ首からは大きな翼が生えているように見えた。

 右腕は蛇、左腕は百足。
 最初に抱いた感想は、化け物は化け物でもどこか神話的な姿だな、である。神話の類には疎いリーデンだが、何故だかそう感じたのだった。

「あー。うちのマリちゃんは触手お断りなんだ、ゴメンね」
 リーデンはぐっと顎を引いた。覚悟を決めた仕草などでは決してなく、耳飾りを揺らしてチャクラムの重みを噛み締める為であった。
(本能的な危険信号を、わざと無視する日が来るなんてね。人生、何があるかわかったもんじゃないね)
 柄にもなく、剣と盾を構えた。
 さながら神話に登場する英雄のように、そうして彼は大いなる不浄の者に挑んだのだった――。






48終わりです。執筆のろくてすみませぬ。
触手プレイw

今回はこのまま49に入るのであとがきはなしっす。では!

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