09.e.
2012 / 03 / 02 ( Fri )
 誰の話なのかすぐに思い当たってミスリアはあからさまに嫌そうな顔をした。別段、カイル自身に非があるわけでもないのに一歩後退る。
 ゲズゥは思い出そうとしてか一度目線を右上に泳がせ、次にジュースを飲み干した。

「……笑いながら俺を刺した女か」
 さも大したことない縁であるかのように彼は無機質にその言葉を連ねた。
「うんまあ、その人で間違いないよ」
 カイルは小さく笑ってキッチンカウンターでジュースを二人分、ティンカップに注いだ。掃除をし出した時に着替えた、簡素な水色のシャツの袖を捲り上げる。

「彼女――シューリマ・セェレテ卿は第三王子派の中でも特に過激だよ。あの時は教団を引き合いに出して追い払ったけど、今後も気をつけた方がいいね。買出しは僕だけで行くよ」
「はい……」
 ジュースの入ったカップを受け取り、ミスリアはゲズゥの右隣の席に座った。

 教団との関係が薄い国であるゆえに、ミョレンの王位争いの概要をミスリアは詳しく聞いていない。中でも、王のいない状態で後継者がどのようにして決まるのかなどどうにも思い至らない。そこに長い間、政を放置していい理由が果たしてあるのか。
 国民が現在の体制に不満を抱くのは当然といえる。一方で、今朝の典礼で会ったやたら明るい人々は政府の存在を丸ごと忘れようとしてる風にも見えた。

「忌み地の浄化が済んだら発つでしょ? 引き止めて悪いね」
 カイルも椅子を引き、テーブルに向かって座る。
「引き止めただなんて、そんなこと無いです。私にとっても貴重な経験になります」
 かぶりを振った。よかった、と笑ってカイルはカップからジュースを一口飲む。

 ミスリアが隣のゲズゥを一瞥する。
 彼は肘をテーブルにつき、顎を手の甲に乗せて支え、またしてもどこを見てるのかわからない目を、ガラス張りのドアの向こうの中庭へ向けていた。外はもう薄暗い。

 「呪いの眼」の一族の村と最も関係が深いゲズゥが、一連の展開をどう思っているのか尚不明である。最初は足取りが重そうだったのに途中から走り出したり、ずっと口が堅いのかと思えばサラッと恐ろしい過去を語ったり、一体どういう気持ちでいるのだろう。本人にすら把握し切れてないのかもしれない。変わり果てた故郷がその目にどう映る?

(本当は向き合いたいのかしら)
 どんな人間にとってもそれは勇気の要る行為だった。嫌な出来事や記憶であればあるほど、苦難だ。特に子供の頃の記憶なんて、古過ぎてそれこそ強い感情と結びついたエピソードしか残らない。

「ところでミスリア、最初の巡礼地の位置は確認した?」
 カイルの問いかけにはっとして、ミスリアが右を向く。
「はい、確か山脈を越えた先の町にあるんですよね」

「うん。ミョレンを西に抜けないといけないし、まだ先は長いね」
 他国の内情に巻き込まれてうっかり足止め食わないように、とカイルはやんわり忠告してくれた。

 ミスリアは頷いて、両手で包んだカップの中をじっと見つめた。黄金色で半透明な液体の表面が揺れる。

 わかっている。これは巡礼地までの単なる通過点に過ぎない。

 始まったばかりのこの旅の最終目的は聖獣を眠りから蘇らせることだ。決して世直しの旅ではないし、自分なんかにそんな大それた真似が出来るなどと自惚れていない。ミョレン国の民がどういう生活をしていようと、少女一人に手伝えることなど限られている。
 少なくとも頭の中ではそういう理屈で片付けていた。

「………………山脈……」
 ぼそっとゲズゥが呟いた。他にも何か声を出していたが、聞き取れなかった。
「はい?」
 ミスリアが訊き返しても、ゲズゥはテーブルの上の燭台を眺めるだけで返事をしない。

 短い沈黙の後、カイルがまたジュースを飲んだ。ミスリアも真似をする。
 酸味の強いアップルサイダーと違った爽やかな口当たりと味わいがあって面白い。これは近頃アルシュント大陸各地で流行り出した、加熱殺菌法や濾過の結果だろう。

「ジュース美味しい? 隣町からのお客様の差し入れだって」
「はい、甘くていい香りです。この季節に林檎って珍しいですね。秋が収穫期だったはずでは」

「巨大な地下保管庫があるんだよ。いい感じに冷えるから色んな食べ物が季節遅れで食べられるよ。林檎は果物の中でも冷やしたり乾かしたりすれば特に日持ちがいい」
 なるほどそういうやり方があったとは知らなかった、とミスリアは納得した。

 ふとカイルが腕時計を見た。

「僕はあの兄妹の様子を見てくる。君たちも夜更かししないようにね」
 ゲズゥの肩を一度ぽんと叩いてから、カイルは廊下の方へ歩き出した。と思ったら、ぴたっと止まって振り返った。

「そういえば『現代思想』の最終巻が出たけど、読んだ?」
 カイルの話題転換の唐突さにそろそろ慣れてきているとはいえ、これはまた一段とわけがわからない。確か有名なノンフィクションの本のタイトルだったか……。

「いえ、そのシリーズは私には難しすぎて読んでません……」
 タイトルからして、そんなコアな本を理解できるほどミスリアは哲学の勉学に励んでいない。

「教会の書斎に全六巻揃ってるから暇を見つけて目を通してみるといいよ。今は叔父上が使ってて書斎に入れないけどね」
 手をひらひら振りながら、カイルはダイニングエリアを去った。

 理解できないから読んでいないといってるのに何故か彼は強引に勧める。
 ミスリアは首を傾げた。今のやり取りは一体何だったのだろう。

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