09.c.
2012 / 02 / 28 ( Tue )
 その時、二人の子供が不安げに歩み寄ってきた。揃って薄茶色のくるくる巻き毛をした兄妹だ。

「あの、聖人さま」
 十歳ぐらいの兄がおそるおそる声をかける。その背に、やや火照った様子の妹が隠れる。
「どうしたの?」
 カイルは子供たちに柔らかく笑いかけた。

 一人喋りだした兄によると、妹がこの頃風邪っぽくて困っているという話だった。親は畑仕事で忙しく、医者を呼ぶお金も無いとか。ここの教会に来ればどんな病気も無料で治せる聖人に会えるという噂を聞きつけて、典礼の日に合わせて離れた村から訪ねてきたらしい。

「遠路はるばる頑張ったね。いいよ。ちょっと、じっとしててね」
 すぐにカイルは聖気を展開した。妹の額にそっと手をかざし、暖かい金色の光の帯で包む。妹はやがてまどろみ、目を閉じた。五、六歳ぐらいの女の子の小さな体をカイルは腕で支えた。

「もう大丈夫。中で少し寝かせようか」
「あ、ありがとう! ありがとう、聖人さま!」
 妹を腕に抱えたカイルの後を追って、兄の方は小走りになる。

 微笑みながらミスリアは三人を見送った。

「すみません、聖女さま」
 いつの間にか横に来ていた、猫背で細目の中年女性が申し訳なさそうに言う。まっすぐな金と銀の入り混じった髪を後頭部の上のほうにだんごにまとめている。

「こんにちは。何でしょう?」
「実は膝の調子が悪くて……みてはもらえませんか」

 ミスリアは快くその頼みに応じた。
 女性の膝を治したら、またいつの間にか治してほしい怪我があるという誰かが現れた。その後もまた誰かが治してほしい箇所があると申し出て、あっという間に列が出来上がっていた。

 戻ってきたカイルも参戦して、気がつけば二人は日が傾くまで治癒を施し続けた。
 最後の一人が帰ったところで、二人はパティオの椅子に深く腰を掛けた。テーブルの上のお菓子や飲み物はほとんどなくなっている。神父アーヴォスは教会の中に入って、中庭は今や無人だ。

「いつもこんなことをするんですか……?」
 すっかり疲弊しきってミスリアが訊く。
「そんないつもってわけじゃないけど、割とね、ふとした流れでこうなることもあるよ」
 カイルが木版を使って汗ばんだ顔をパタパタと扇いでいる。確かに今日は外が晴れて暖かかったので、長袖の白装束を身に纏っていた彼には暑いだろう。ミスリアだって長袖なので暑い。

「昨日の今日で疲れてるよね、ごめん」
「カイルが謝ることじゃありませんよ。楽しかったです」
 頬にくっついた髪と白ヴェールを手でどけて、ミスリアは笑ってみせた。
「それはよかった」

 なんとなく二人は黙って空を見上げた。
 薄紫と茜の織り成す見事な色合いに、感嘆するほかない。明るいのに空には影がかかっているように見えて、不可思議な光景だった。

「…………最近考えたのだけど」
 カイルは視線を空に向けたまま、静かに発話した。
「はい?」

「戸籍や出生証明書という制度はまだこの大陸では主流じゃないんだよね」
「そうですね」
 あまりに突然の話題に、ミスリアは驚かない振りをして相槌を打った。視線は同じく空に注がれたままである。

「僕らの生きる社会では、よほど名の知れた人物が被害者でなければ政府が『殺人』として罪を咎めることもないね」
「そう、ですね……?」
 話についていける自信をなくして、ミスリアの語尾がひね上がる。

「『天下の大罪人』はね」
 しばらく誰も使わなかったその単語にミスリアは絶句した。
「確認されてるだけで犯した殺人は二十五件、証拠不十分とされているのが十八件。知られていないだけで他にもあるだろうね。小国ひとつ滅ぼしたって噂もあるし」

「それはただの噂でしょう!」
 知らずミスリアは声を上げていた。近くでたむろしていた雀たちが驚いて飛び去る。
「うん。でも、これは考慮すべきことだと思う……」
 カイルのほっそりした輪郭が陽を浴びてほんのり赤い。琥珀色の真剣な瞳が鮮やかだ。

「名の知れた人物とは簡単に言えば誰が浮かぶ?」
「え……重要な役割の人間や、上流階級とかですか」
 平民以下と違って、貴族の出である人間は赤子が一人欠けても大事になる。

「そう。さて、彼が暴挙の限りを尽くした相手は果たしてお貴族様や将軍ばかりだろうか。平民や庶民、または奴隷階級になら悪事を働いたか、否か? 特定な人物にのみ非道であったのか? 現時点では情報が足りないからどうとも言えない。でも、それらの事実が何であるかによって彼の人格はまったく別の解釈を要すると思わない?」
 そこでカイルはにっこり笑った。

(まったく別の解釈って何だろう?)
 ミスリアは頭を抱えて考えたが、難しくてわからなかった。

 聖人・聖女としての実力とは無関係に、自分よりカイルの方が頭がいいとは常々実感していたことである。いや、自分の方が至らないだけなのだろうが。
 考えようとしても、頭が益々こんがらがるだけだった。

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