45.d.
2015 / 07 / 09 ( Thu )
 ――あっという間に景色が流れる。
 気が付けば縄を外され、足の下には大地があった。黄緑色の低い草が疎らに群生しているが、察するにこの土地はあまり潤ってないようだ。

 下半身の血行は流石にまだ回復しない。立つのが困難なリーデンを、左右から他人の腕が支えたけれども、礼を言う気は起きない。そんなことよりも周囲をじっくり見渡すことにした。

(へえ。居住区があれ以上にもっと高いとこにあったとはね)
 岩陰からにょきにょきと生えるキノコ、と言えば最もイメージが似ている。木板で組み立てられた、やぐらにも似た印象を受ける家がそこかしこに建てられている。木材は別の場所から運んできたのだろうか?

 やがてリーデンは、二十軒ほどの家をつり橋で繋いで中心を広場にしたような、不安定な場所に連れられた。中央近くの座布団を勧められ、そこにありがたく胡坐をかいた。砂を詰めたみたいなずっしりとした座布団である。

 囲う人だかりから、女が歩み出た。白髪の割合が高い髪を後ろ首で団子にまとめ、他の民と同様に口や鼻を布で覆っている。
 光の加減によっては緋色と見間違いそうな、濃い茶の瞳と艶やかな睫毛が美しい。女は顔の布を顎下まで引き下ろして一礼した。改めて見ると、五十代に突入していそうな者だ。それなのに衰えをまるで感じさせない佇まいと顔つきには素直に感心した。

 女は片手を挙げてざわめく民を静まらせた。真っ直ぐにこちらを見下ろしたかと思えば、目前まで来て片膝をついた。

「失礼致しました、ヴゥラフ」
「へえ、君は共通語が話せるんだね」
 条件反射で、リーデンは非の打ち所のない笑顔を返した。
「はい。これまでのご無礼をどうかお許し下さい」
「じゃあ訊くけどさ、あんなとこで僕らをぶら下げたのは何で?」

「余所者は不運を運んでくると言い伝えられています。都市部に招き入れる前に、風の女神サルサラナに清めていただく為、一時間から八時間ほど谷風に晒すのです。かける時間はお相手の態度次第になります」
 女は流暢な北の共通語で惜しみなく答えた。

「それは旧信仰?」
「いいえ。我が国は教団のみ教え通りに聖獣を崇め奉っております。昔ながらのいくつかの習慣が、生活の中に残っているだけなのです」
「ふうん」
「それから、女性は逆さに吊られないのでご安心を」
「あっそ。あの子たちが無事ならそれでいいよ。後で会わせてね」
 内心では相当にほっとしていたが、周りに悟らせない程度に軽く応じた。

「勿論でございます。お慈悲のほど、ありがとうございます。ヴゥラフ」
 女は胸に手を当てて頭を深く下げる礼をした。
「さっきから気になってたけど、その呼び方なんなの」
「ヴゥラフは、ヴゥラフでございます。我らを圧した者たちから解放して下さった主、ゆえに解放主(ヴゥラフ)です」

「解放主、ね。どう考えてもそれって僕のことじゃなくて……ん? 解放? そこんとこもっと詳しく」
「あなたさまはかつてこの都市に圧政を敷いた憎き敵を滅ぼしたお方なのでしょう? 我々カルロンギィ渓谷の民は解放主にお目にかかったことがありませんが、白と金の、龍のような鋭い眼を持った、若い男性だと聞き及んでいます」

「ああなるほど。そういうこと」
 そこまで聴いてリーデンは合点が行った。なんてことはない、別々だと思っていた噂が実は同じ出来事を指していたというわけだ。

「それはわかったけど、今になって『解放主』相手にこんなに騒ぎ立ててるのは何故?」
「あなたさまのお力を再びお借りしたいのです。新たなる敵からこの地を解放してくださいませ」
「いわゆるお悩み相談ね」
 またまたリーデンは納得した。これで事態の把握はほぼできた――彼らは過去に自分たちを救ってくれたらしい人物が再び苦難の時期に姿を現したことを、偶然ではなく運命の導きだと解釈したのだ。

(本人ですら忘れていた縁か。都市国家カルロンギィ、俄然興味が湧いてきたよ)
 見知らぬ土地で生き延びる上で、恩を売る機会ほど都合の良いものはない。とんでもない面倒ごとが待ち受けていたとしても、ここは乗るのが最善策とする。

「現時点で僕に何ができるか、一つとして保証はしない。でも相談には乗ってあげるから、遠慮なく話してみなよ」
 リーデンは頬杖ついて微笑んだ。

「ありがとうございます、解放主」
 女が涙ながらに一層礼を深くする。その背後では同じように跪く人間や歓声をあげる人間と、とにかく全員が心から嬉しそうにしている。
 こちらにしてみれば愉快な光景だった。



生殺しはまだ続きます、サーセンw

同じ恩を売る目的でも、ここでゲズゥだったら人助け「めんどくせー」に尽きるけど、リーデンは「めんどくさいようなおもしろいような」となるのが兄弟の性格の違いってとこですかね。

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