41.f.
2015 / 03 / 18 ( Wed )
 玄関前で鎧姿の衛兵とすれ違った。兵らの構えには緊張感が無く、通り過ぎるゲズゥへの関心も薄い。主人の気の迷いに形だけ付き合っているのが明らかだった。
 扉の左右に立つ二人はこちらを認めて、交差させていた槍の構えを解いた。自力で戸を開けろでも言わんばかりに、衛兵は一度もこちらを見向きしない。

 流石は身分がモノを言う社会である。聖女本人に対しては誰もが我先にと媚びたものだが、身元不明の護衛連中なんぞは目を合わせる価値も無い、とみなされているのだろう。わかりやすくて結構なことだ。

「やっほー、お疲れ」
 玄関ホールから応接間までの道のりの途中でリーデンが待ち伏せていた。珍しくいつもの派手な民族衣装ではなく、一般的な麻の生地を使った衣服に身を包んでいる。手に持っているのは見る者の記憶に残らないような土色のコート。装飾も皆無な、極めて地味な品である。

「どうだったー? 面白いことあった?」
「特には」
「ちぇっ。あーあ、暇だなぁ。宝物庫でも漁りに行こうかなぁ」
 コートの袖に腕を通しながら、リーデンは祖国の言語で不満を吐いた。

「……やるなら気付かれない程度にしておけ」
「億が一にもバレたりしたら聖女さんの責任になっちゃうからね。持ってくのは小さいモノに留めておくよ」
 そう答えてウィンクした弟を観察し、ゲズゥは思った――既に屋敷から物色したか、または誰かをタラシこんで成果を挙げたな……。
 思っただけで、特に咎める気は無かった。使えるモノは全て使うべき、という姿勢には共感している。

「一応新月だ。気を付けろ」
「わかってるよ。そっちこそ、お姫さまをちゃんと守ってね」
「当然」
 会話もそこそこに切り上げ、互いの配置を入れ替えた。ゲズゥは長い廊下を進み、明かりが漏れる左手の部屋に足を踏み入れた。

 一見、明るく広い応接間には二人しか居ないようだった。妙にクッションが波打った楕円形のソファの端にミスリア、そしてその背後に直立して控えているのが確か屋敷の数多い使用人の中でも位の高い、メイド長である。目尻の皴が目立つ中年の女は、意識的に感情を抑え消しているかのような無表情でゲズゥを見つめた。

「おかえりなさい。今日も変わりなかったですか?」
 と、ミスリアが普段の笑顔で問いかける。その手にはこじんまりとしたティーカップとソーサーが握られていた。ゲズゥは「ああ」とだけ返答をし、部屋の中を見回した。右手は剣の柄を握ったままだ。湾曲した刃を外側に向け、肩にほとんどの重みをのせて支えている。

 コーヒーテーブルの上に、ミスリアのティーカップと同じ柄の丸いティーポットが置かれている。薄く焼かれたタイプの陶磁器で、白く塗られたベースに青で精巧な絵が描かれている。その隣に中身が半分減ったカップがもう一個あった。おそらく、毒見も兼ねてリーデンが飲んだのだろう。

「お疲れ様です。レモングラス・ティーはいかがですか」
 使用人の女が北の共通語で話しかけてきた。反射的に眉根を寄せた。
 北の共通語はある程度聞いて話せるが、音節に慣れていないので面倒だ。咄嗟に話す気にはなれない。首を横に振るだけで応じた。即座にメイド長は使われなくなったティーカップを片付けて、奥の部屋へと消えた。

 それを見届けた後にゲズゥはテーブルの前まで歩み寄った。左手の手袋を脱いでポケットの中に残し、茶請けとして出されていたビスケットを一枚取る。口に入れると、薄味でバターの微かな風味がした。食感は少しパサついているが、味そのものは好ましい。近くに漂う蜂蜜とレモングラスの香りとの相性も良い。

 ふいにミスリアが何かを言いたそうに顔を上げた。しかしピンク色の唇が開いた瞬間に大きな物音がしたため、言葉は声になる機会を得ない。ミスリアが素早く振り返り、ゲズゥも音のした方に目線を向けた。対象物は今向いている正面の延長線上にあった。

「見ている……誰かがずっと、何かが、わしを見ているのじゃ……」
 壁伝いに寝間着姿の老人が近付いてくる。壁紙に爪を立てた痩せ細った手がガクガクと震えている。
「旦那様! 寝室にお戻りになって下さい! 今夜はご気分が優れないのでしょう? どうか横になって下さいませ」

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