41.g.
2015 / 03 / 18 ( Wed ) メイド長と他二人の若い女使用人が老人にまとわりついた。 世の中には様々な老い方があるはずだが、この場合は遺伝だろうか、歳の割には老人は背が高い。歳と共に年々太くなる人種でもなかったようだ。寝間着の下から見えるふくらはぎからくるぶしまでの素足は、骨が見えるほど細い。「まだか、まだ捕えられんのか、役立たずどもめ」 「さあ戻りましょう、旦那様」 女たちの声音は先程よりも柔らかくなっている。 「どうせあやつらがまたわしと陛下を引き裂こうとしとるだけじゃ――」 老人はヘーゼルの両目を必要以上に動かしていた。あの速さでは、視界の中の何物にも焦点を当てていない。 裸足で歩き回る主人を女たちはそれぞれの肩を強引に掴んで支えながら方向転換させた。老人は尚も呻いたり呟いたりしているが、お構いなしに連れ去られて行く。 「申し訳ございません」 後に残ったメイド長が深く頭を下げた。白の混じった茶髪は一筋逃さずまとめられているためか、深い礼をしても全く乱れない。 「いいえ、とんでもない」 両手を振ってミスリアが否定する。 「旦那様はここ数年の間に多少の記憶力の衰えを見せてはいたのですが……こんな風に取り乱すようになったのは、本当に最近なのです」直立の体勢に戻り、両手を揃えてメイド長は語った。「こんな――奇行、に走るようになったのは」 ゲズゥは僅かに眉目を動かした。確かに老人は尋常ならざる行動を取っている。今夜は体調が悪いせいか大人しいが、他の日は喚きながら屋根に上ろうとしたり、木の枝を窓に向けて振り回したり、夜中に屋敷中の人間を地下室に召集してポケットの中身を改めたりと、偏執病(パラノイア)の兆しを見せている。 「奥様が亡くなられて久しいのですが、せめてお嬢様がいらっしゃれば……」 頬に手を付け、メイド長はため息をついた。 「あの、あやつら、とはどなたのことかわかりますか?」 ミスリアは奇行や家の事情については言及しなかった。髪にかかる半透明のヴェールを指先で撫でながら、メイド長を見上げている。 「ええ、政敵を指しているのだと思います」 「政敵ですか」 「旦那様は帝王陛下の長年の側近ですし、先王陛下とも懇意にしていただいていたのです。このように精神的に追い込んで、失脚させようと企む輩は数え切れぬほどおりましょう」 メイド長は主人の変貌を他者の仕業だと決めつけているようだった。 「間接的に失脚させるのであれば、自分に疑いがかかることもありませんね……」 声を低くしてミスリアは呟いた。 「政敵だけではありませんわ。民から恨みを買うような案件も幾つか過去に扱ったことがあります」 「そうですか……」 つまり敵を特定できない程度には恨みを買っている――被害妄想と片付けるには複雑すぎる身の上だということだ。同じく他人の憎悪を引きずって生きるゲズゥから見ても、閣僚とは実に面倒臭そうな人生を歩んでいるように思えた。 前触れなく、再び廊下の方が騒がしくなった。 最初は老人がまた逃げ出したのかと思ったが、近付いてくる気配が弟のそれだと気付いて、ゲズゥは気を引き締めた。 コツッ、と鋭く足音が止まる。入口に立ったリーデンは、手の甲で口元の血を拭っていた。 その背後では狼狽する衛兵とメイドが何人かついて来ていた。一拍置いて、一同は応接間に入った。見慣れぬ暴力の痕跡に使用人たちは怯えの色を隠さない。 「ごめん、取り逃がした」 リーデンは不機嫌そうに言ってシャンデリアの明かりの中に踏み出した。いつの間にか「カラーコンタクト」が落ちたのか、銀の前髪の間から窺える左眼は本来の白い瞳と縦長の瞳孔をむき出しにしている。 その左目の周りは殴られたかのように腫れて変色し始めている。 「リーデンさん! そのお怪我は――」 「平気。君を煩わせるまでもない」 席を立ち上がったミスリアを、リーデンは一言の元にあしらった。騒ぎ立てる屋敷の住人には目もくれずに、ゲズゥに目配せした。 「兄さん、ちょっといい?」 リーデンはクイッと首を逸らした。席を外すからついて来い、の意だ。首肯し、後について部屋を出た。 |
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