35.i.
2014 / 08 / 31 ( Sun )
「……私は甘いですね」
 唇を噛んだ。護衛になると決めてからまだ日が浅いリーデンの方が、既に先の先まで考えていたのだと意識すると、自分が情けなくなる。

「あははは! そんな泣きそうな顔しないでよ。僕も兄さんも油虫並のしぶとさを備えてるから、『その時』なんて簡単には来ないって。十四歳からそんなんだと将来がヤバイね、もっと気楽にしたら?」
「善処します」
 ミスリアは苦笑を返し、話はそこで終わった。

 しばらくして二人は診療所に着いた。
 あの医者は何処かへ出払っているらしく、従業員の一人である看護婦が迎え入れてくれた。

「奥の聖女様の件ですが、実家から迎えを出すと連絡が入りましたよ」
 暗い廊下を進みながら看護婦が事務的に告げた。
「それなら一安心です」
「…………そうですわね」
 眼鏡の向こうの看護婦の瞳には何か含みのある光が過ぎったが、すぐに彼女は顔を逸らして戸に二回ノックした。

 どうぞ、と静かな声が返事をした。
 部屋の中は薄明るかった。カーテンが全開にされていても、外の日光が少ないだからだ。
 この前と違ってレティカは背中に枕を重ねて起き上がっていた。加えて、頭に巻かれていた包帯などが無くなっている。

 拘束具もめっきり減って、現在は前腕を押さえるベルト一本だけだ。動きは制限されているが、本のページを捲るだけの自由はあるらしい。
 手元の本から顔を上げ、聖女レティカは長い睫毛を何度か上下させた。

「先日は失礼しました」
 開口一番に彼女は謝罪した。「貴女に非はありませんのに」
「いいえ、お気になさらず。具合はいかがですか?」
 ミスリアは自力で車輪を回してベッドに近付いた。背後では気を遣った看護婦とリーデンが廊下に留まり、戸をそっと閉めている。

「少し落ち着きました。落ち着きはしても、気分が良くなりませんけれど……お医者様は、わたくしが最も必要としているのは時間と休養と仰いましたわ」
 そう答えたレティカの表情は疲労に彩られていた。医者にかけられた言葉を、まるで遠い場所での出来事みたいに語っている。

「私で良ければ話を聞きます。あ、でも、私よりも迎えに来る方の方が話しやすいと言うのなら――」
 他に相談相手が居ないと勝手に決めつけたみたいな申し出だったと気付いて、ミスリアは弁明しかけた。
「いいえ。あの家に、わたくしの話し相手などいませんわ」
 レティカは弱々しく頭を振った。

「思えばわたくしが一番肩の力を抜いて接していられたのが、エンリオとレイでした」
 ふっ、と痩せこけた面貌に自嘲的な笑みが浮かぶ。
「二人はわたくしの為に死ぬ覚悟を決めていたのに、わたくしには彼らの命を背負う覚悟が無かった。なのに誤った判断の道連れに…………」

 彼女は両手の拳を睨んだ。手首には切り傷の痕が幾つか残っているのが窺える。
 握り締められた拳の上に自分の手を重ねようか逡巡して、ミスリアは思い止まった。懐の中に腕を滑らせ、小包を取り出す。

「実は預かっている物があります」
 包み紙を開いてみせた。直ちに聖女レティカは息を鋭く吸った。
「エンリオのナイフですか」
 いつしか碧眼が濡れていた。

 彼女はレイの剣を物置に仕舞ったことをぽつぽつと話した。落ちぶれても騎士の家――その家に伝わる剣を、目に入れるのが辛くても捨てることはできなかった、と。

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