33.e.
2014 / 06 / 26 ( Thu )
 ――チク、タク、チク、タク……。
 礼拝室にてミスリアははっとなった。追憶の間に自分はいつの間にか机に両肘をついて祈る姿勢になっていたらしい。何枚目なのかももうわからない手紙に、零れた涙が何箇所か滲んでいた。黒いインクが形を成さなくなり、平坦な紙面を波立たせる。

 書き直さなきゃ、と目元の涙を拭いた。
 けれども涙が止まらない。
 これ以上手紙を濡らさないように机から身を引いた。

(こんなに私は涙もろかったかしら)
 などと疑問に思っても、思考は遮断された。
 ついさっきの記憶が蘇り、頭の中を占める――。


「覚えていらっしゃいますね、護衛の方はここから先は進めません」
 日課となりつつあった司教座聖堂へのご奉仕を始める直前、修道女たちが厳しい表情で告げた。ミスリアは中庭(コートヤード)を一度見回した。
 空の深い蒼を表現した外観の大聖堂の敷地内にて、六角形型の中庭を突っ切った先にある水晶の祭壇は、司教が許可した人間しか近寄れない規則となっている。

「心得ています」
 ミスリアは深く頷いた。此処の規則は既に聞き知っている。
 中庭の中心に建つ大理石でできたガゼボの柱に背を預ける青年を見やった。ゲズゥは歩く時に使っている木製の杖を柱に寄りかからせ、自身は腕を組んで目を閉じている。

「では聖女様、本日は庭のお掃除を手伝っていただけますかしら」
「はい、喜んで」
 ほとんどの葉を落とし終えている庭の木々が静かに佇む間に、冬の貯えを集めようと走り回るリスの姿があった。とても和む光景である。

 レーキを借りてミスリアは修道女たちと共に庭の落ち葉を掃除した。三十分もすればそれは終わり、夕方までの間は参拝者に聖気を授けるつもりで、ミスリアは奥の部屋で純白の正装に着替えた。中庭に再び出て、まだゲズゥが定位置に居るのを横目に確認しながら、礼拝堂へ向かった。

(今日も、昨日と同じ……どうして、時間の流れを遅く感じるの)
 それはおそらく「待つ」行為の所為だろう、と自答した。待ち続けた先に、兄弟にとって納得の行く、結論じみた展開があるのだろうか。「待つ」時間が終わった後の行路は自ずと明らかになってくれるはずだ、そう思いたい。

 ミスリアは白い衣を風になびかせながらしじまを横切る。寒さのためか中庭には他に誰も居なかった。
 今日の晩御飯はイマリナさん何を作るのかしら、と至って平凡なことを思っていたら、背後からけたたましい音がした。
 ガキャッ、と音はもう一度、更なる音量で繰り返された。何事かとミスリアは振り返った。

「ど、どうしたんですか!?」
 どうやらあれはT字型の木製の杖が一本ずつ倒れた音だったらしい。ガゼボの大理石の床を打って大きな音を立てたのだろう。
 でもそんなことよりも。

 どんな怪我をしようがどんな無茶な運動を強いられようが、依然として地に足をつけてバランスを崩さない。ミスリアの知るゲズゥ・スディルはそういう男だった。その彼が、まるでいきなり腰を抜かしたみたいに大理石の上に転倒していた。片手を床につき、残る掌で左眼を覆っている。

「まだ全快じゃないのに連れ回してしまってごめんなさい」
 脚の傷が痛んだのかと考えて、ミスリアは駆け寄った。しゃがみ、黒い衣服に染みが無いことを確認して傷が開いたのではないと安堵し、次に顔を覗き込む。

「……しに」
「え……? しっかりして下さい」
 濃い肌色の人は顔色の変化が読み取りにくく、よほど悪くなければすぐに見てわかるものではない。
 しかしその時ばかりは、ゲズゥは唇まで青くなっていたように見えた。苦痛に歪んだ表情とは程遠い、純粋なショックに彩られた顔だった。

「死、に。引きずられる」
「何を言っているんですか」
 不穏な言葉に、様子に、ミスリアは目を瞠った。いつになく消え入りそうな声で、彼は答える。
「この衝撃………………アレの、命が、消える」

 さあっと血の気が顔から引くのを感じた。
 訊きたいことや言いたいことが怒涛のように駆け巡り、胸の内を制しようと、ミスリアは短くて荒い呼吸を繰り返し吐いた。

(また私は無力なの? 間に合わないの)
 違う。断じて違う。間に合わせるのだ、そうでなければ――
(この力は、聖女なんて肩書は、お飾りだわ!)
 迷う時間が無駄だ。

 ミスリアは服の上のペンダントを首から外した。これは水晶の嵌め込まれた聖人・聖女たちのアミュレットとは違う、一般の聖職者が賜るひとまわり小さい銀細工のアミュレットだ。ユリャン山脈に居た頃に一度ゲズゥに貸した物と同じ型。

「行ってあげて下さい! 私は一人で平気ですから」
 そのまま、未だ茫然自失としているゲズゥの首にそれをかけてやった。
「居場所はわかるんでしょう?」
 右手をかざして、治りかけの脚の怪我も素早く治癒を施す。意地だとかけじめだとか、もう言っている場合じゃない。

「間に合うはずが――」
「間に合います! 間に合わせるんです!」
 ガタガタ震え出した大きな両手を力の限り握り締めた。

「これからも一緒に生きて……重荷を分かち合って、年老いて行くんでしょう!? 家族なんですから! 大体、お兄さんより先に逝く弟さんなんて親より先に逝く子供と同じ、あってはならないことなんです!」
 黒曜石に似た目が一瞬だけ見開かれた。

「奇跡を信じて……! 起きます、起こさせます」
 俯き、祈るようにゲズゥの手を己の額にそっと押し当てた。
 ミスリアは一緒には行けない。彼一人の方が機動力が上がる。だから、離れた場所からできることをするしかない。可能なのかすらわからないけれど、できなければ総てが終わる。

 沈黙はそう長く続かなかった。

「…………ああ。そうだったな」
 低い声は本来の落ち着きと生気を少しだけ取り戻したようだった。
「お前は、奇跡を起こす女だった」

 ぱっと顔を上げたミスリアは、手を離した瞬間、ゲズゥが微かに笑うのを見た。
 どういうつもりで言ったのかと問い質す間も無く、そうして玄関まで付き添い、彼を送り出した――。


 ――それ以上、思い出す必要は無い。
 机の上の時計によると、残る時間は四十五分ほどらしい。
 涙を拭いて座布団に膝を揃えて座り直した。

 強く両手の指を絡めて握る。
 ミスリアは心の内で水晶の祭壇と神々にあらかじめ謝罪した。きっと祭壇に祈りを捧げる時刻になっても、自分はイマリナ=タユスの為に祈れない。それは傲慢で利己的な判断かもしれない。それでも、決心は変わらない。

「お願いです、リーデンさん。お兄さまが大好きだというのが貴方の本心なら、どうかゲズゥを独りにしないで下さい」
 そうして遠い何処かでまだ息をしているはずの人の為に、聖気を展開した。

_______

 おおう。ここ書いてた時、パソコンの前でボロ泣きしたのは内緒ですよ。

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