33.f.
2014 / 06 / 27 ( Fri )
 ゲズゥ・スディル・クレインカティは、身一つで全力疾走していた。
 常に持ち歩いている大剣ですら、邪魔になるからという理由で置いてきている。

 走りながらも右や左でさまざまな物にぶつかる。横から後ろから罵声を浴びせられている気がするが、更に速度を上げて走れば誰も追って来ることはなかった。
 買い物籠を持った女にぶつかり、服を売る屋台や果物売りをも弾き飛ばした。視界の端々に果物の色が散らばる。構わずにひたすら走った。

 鬱陶しいことにこの街は広い。道が入り組んでいてしかも障害物が多すぎる。野原を駆け抜けるようにはうまく行かない。
 舌打ちした途端、ゲズゥの脳内にはあの猿みたいに身軽に動く聖女の護衛の姿が浮かんだ。そういえばあの男は屋根の上を飛び回っていた。

 体格と体重が原因で、自分が同じことをすれば建物の中の人間に振動が伝わるだろう。差し当たり、文句を言われる前に次に跳び移ればいい。地上を行くよりはずっと邪魔が少ないはずだ。
 狭い路地に入って塀の上に跳び上がった。そこから近くの建物のバルコニーに上がり、外壁を伝って屋根に上る。

 人口密度の高い街であるだけに、屋根と屋根の間の隙間も小さい。ゲズゥは難なく走り進むことができた。
 時折、屋根上警備兵の喚き声が聴こえるが、やはり構わずに走り抜ける。

 今度は前方のバルコニーに警備兵が居た。こちらに気付いてクロスボゥを構えようとしている。そうなる前にゲズゥは加速して迫り、兵の横面を殴り飛ばした。バルコニーの手すりに足をかけて踏み台にし、またもや屋根の海を泳ぐ。

 疲労は感じなかった。感じる余裕も無かった。
 町の外に出た頃には、自分がどの方角を向いているのかも掴めなくなっていた。

 ――方角なんてどうでもいい。向かうべき先は、「左眼」で感じ取るだけでいい。
 畑が並ぶ場所で一旦立ち止まって、ゲズゥは自らに三十秒の休憩時間を許した。外の気温は低いのに、首周りは汗で濡れている。

 リーデンの命が消えかかっていると感じ取ったのは間違いないが、感じ取れる生命力の強さに何故か揺れがあった。即死する種の致命傷を受けたのではないのだろう。

 これならまだ猶予があるやもしれない。
 三十秒数えてからゲズゥはまた走り出した。

 尾行してでも一人で行かせるべきではなかった、などと悔やんでも後の祭り。拒絶しかしなかったのをやっとのことで譲歩して、それでアレの気が済めば、ようやく普通に仲が良かった頃に戻れるなどと期待していた。

 昔々に寄り添った温もりも、しょっちゅう転んでは泣き喚いていた声も、無邪気な笑顔も、今でも思い出せる。
 誤りだったのだろうか――元の仲に戻れなくても良いから、これまでのように危険から守る努力を選ぶべきだったのか。過保護にすることはリーデンの矜持を傷付ける、そう知っていながらも。

 ――教えていただくわけには行きませんか? リーデンさんが何処へ何をしに行ったのか。
 そういえば数時間前、教会へ向かう道すがらにミスリアにこの話をしたのだった。空は曇り、ゆるやかに吹く風が肌寒かったのを覚えている。

 答えないという選択肢もあった。だがもう、限界だった。何年も同じ距離感をぐるぐる回るしかできない自分たちには第三者の介入が、意見が、必要だった。
 だから話した。事の始まり、死に際の従兄と交わした約束から、何もかもを。村を滅ぼした五人の実行犯を見つけ出して殺す、その目的を果たす為に生きてきたことを。

「従兄がついに息を引き取った時、自分が泣いていたかどうかは覚えていない。ただ、周りが赤く燃え盛っていたにも関わらず……寒かったのを、覚えてる」

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