33.d.
2014 / 06 / 19 ( Thu ) ――回想を中断し、ミスリアは手をぎゅっと握りしめる。 あの時の感触がさっきのことのように思い出せる。それが、どうしようもなく苦しい。ふいに自らの呼吸音が嫌になって、思わず息を止めた。狭い部屋の中で、壁にかかった時計がチク、タク、と一定のリズムで鳴っている。それはとても控え目な音だけれど、防音設備がそれなりに整っている礼拝室の中ではやたらと大きな音として耳に届いた。 ミスリアは右手の指の背を左手で一撫でしてから、再び羽ペンを取った。
また、記憶の断片が蘇る。 リーデンがいなくなり、食事を食べ終えた時間になってもゲズゥの不機嫌は全く治まらなかった。いつもなら心地良いはずの彼の沈黙が息苦しくなり、ミスリアはつい口を開いてしまった。間が持たないことがこれほど気にかかったことは今までになかったのに。 試しに「なんとか言ってください」と訴えたら、「外に出る用事は無いのか」と返って来た。 なので別にその日にやろうと思っていたわけでもない用事を無理に考え付いて、二人は街に出たのだった。 (でも、探そうと思っていた聖女レティカは見つからなくて……巡礼について色々と訊きたいことがあったのだけど) 聖地や聖獣に至る道のりなどに対する疑問に関して、一年も旅をしていると言っていたので、彼女の方がわかることもあったはずだ。そう思ってミスリアはまずは街道近くの演壇を探した。居ないとわかって次は大聖堂を訪れ、そしてレティカ一行が魔物狩り師連合と何処かに引き篭もっているらしいことを知った。何処であるかまでは聞けなかった。 考え付いた用事も空振りとなってしまった。 その日はそのまま諦めて、買い物をして帰った。残る時間は屋内で過ごした。 次の日は大聖堂に行って礼拝に参加したり、ご奉仕に励んだ。その際、大聖堂の敷地内は安全だから護衛としてついてきてくれなくてもいいのに、とゲズゥに怪我の療養するように提案してみたりもした。返答は「聖職者だろうと他人は信用できない」といった旨のもの。やけにはっきりと断言するものだから、ミスリアは彼の言い分に従った。 更に次の日、偶然街中で強面で大柄な騎士風情の人間を見かけた。女性ながらスカートではなくズボンを履き、肩から足の先までを鼠色の鎧で覆っていた。 「レイさん! こんにちは」 「……聖女ミスリアと、護衛の方。こんにちは」 レイは鎧に包まれた腕をガシャリと組んでぶっきらぼうに答えた。 「貴女が此処に居るということは、聖女レティカも近くに居るのでしょうか」 話がしたいという願望をまだ捨てきれないミスリアはきょろきょろと周囲を見回した。レティカの姿も無いが、エンリオの姿も見当たらなかった。人混みの中に紛れている可能性も否めないけれど。 「レティカ様とエンリオならすぐ後ろの役所に。魔物狩り師連合と河辺の件で再討伐の作戦を練っているはず」 「再……討伐!? 教団本部の応援と指示を待たないってことですか?」 「本部を待ってたら数か月、下手したら一年は放っておかれるかもしれないからと……封印を施せる前に民に被害が及ばないように……レティカ様はそれが心配で。司教様も同じ気持ちで」 「そう……ですか」 理にかなっているようで、やはり何か違和感があった。作戦を練り直したり人員を増やしたくらいでどうにかなるような次元の問題だったとは思えない。あれだけの人命が失われた直後で、性急さの裏に何かありそうな気がした。 「失態を挽回しようと躍起になってるだけじゃないのか」 「!」 ゲズゥの無機質な意見が違和感の正体を暴いて疑問を凝縮した。 レイは身動き取らずに、ただ両目をギロリと光らせた。 「そうだとしても、私はレティカ様の決断に従う。そちらはどうされる? 聖女ミスリア」 「私は……」なんとなく隣の青年を見上げた。珍しく、黒曜石を思わせる右目には明確なメッセージ――やめておけ――と浮かび上がっていた。それでも、放っておけない気持ちは同じだ。「都合が合えば、討伐には参加します」 レイは一言「ありがたい」と伝えて一礼した。詳細が決定すれば使いを出させるという約束を口にしてから、彼女は踵を返した。 その後は大聖堂でまたご奉仕に励んでから、帰路についた。 リーデンがどうしているのか何もわからないまま三日過ぎ、今日に至る。 |
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