06.g.
2012 / 01 / 25 ( Wed )
 前触れなく地が揺れた。
 ミスリアは飛び跳ねて、危うく食器を取り落としそうになった。
 
「じ、地震……?」
 身を固くしてしばらく待った。しかし一度きりの揺れだったのか、あたりは静まっている。
 安堵し、洗い終わったばかりの皿を向き直る。

 頭上のキャビネットに手を伸ばした途端、また大きく揺れた。右手から皿が滑る。

(やだ、割れちゃう……! 自分の家じゃないのに!)
 少しでも衝撃を和らぐために身を挺すべきだと頭ではわかってても、体は自己防衛本能に正直で、勝手に飛び退いた。

 皿は割れなかった。突如現れた別の手によって支えられ、あるべき場所にしまわれる。

「あ、ありがとうございます。さすが速いですね……」
 ゲズゥは淡々とキャビネットに食器を戻した。思えば長身の彼こそ、踏み台のお世話になる必要のあるミスリアよか、遥かにその作業に向いている。

 食器が全部キャビネットに納まり、ゲズゥがそれを閉めた。

(食事の時に食卓を囲うのは嫌がるのに、片付けは手伝うんだ)
 協調性があるのかないのか、相変わらず、何を考えているのかまったく読めない男である。

(美味しいとも不味いとも言わなかったけど、残さず食べてくれたわ)
 今はそれだけでよしとしよう。そういうことを思いながらゲズゥの背中を見ていたら、彼が口を開いた。

「地震の揺れより、魔物じゃないのか」
「え……」
 それはつまり、地を揺らすほど重いまたは大きい魔物がすぐ近くに来ているということ。

 ミスリアは、出かける際に神父アーヴォスが残した注意を思い出す。

 ――戸締りをしっかりして、教会の結界から絶対出ないようにしてください。「忌み地」の封印が古くなり、修復しきれない速さで綻びが生じています。この近辺の魔物は数こそ少ないんですが凶暴で、強大です。いいですかノイラート嬢、くれぐれも外へ出て行かれぬよう――。

 そこでまた地が揺れた。
 静かな夜に、身の毛がよだつような笑い声が響く。

 気がつけばミスリアは、ガラス張りの戸に指を触れ、声の主を探るように闇を見つめていた。夢中で探したけども、どう目を凝らしても月明かりに庭しか見えない。もしやここのアングルが悪い?

「お前にはアレが、どう聴こえる?」
 ゲズゥの低い声で我にかえった。いつの間にか隣に来ている。黒曜石に似た右目と呪いの左目が、じっとミスリアの答えを待っている。
 芯まで見透かすような眼差しに落ち着かないけど、平静を装った。

「どう聴こえると言われましても……そうですね、説明しにくいんですが……」
 笑い声が止んだ――と思えば今度は慟哭が響く。

「私たち人間は言語を持ち、自由に思考をする生き物です。けど魔物は『言葉』を扱う能力が崩壊してる場合が多いので、感情を形にできず放出してるとでも言いましょうか。私にはああいった奇声が、想いとして直接脳に届いてるような、心を打っているような、何ともいえない揺さぶりを覚えます」
 言いながらも、胸が締め付けられて苦しい。
「『言葉』……?」

「多くの魔物は、死んだ人間の魂を素(もと)としてます。彼らはかつては表現できた感情を持て余しているのです」
 それは教団に属する人間にしか語り継がれない真実だ。一般論では魔物は瘴気のある場所に自然発生する現象となっている。案の定、ゲズゥは瞠目した。

 魔物の慟哭は獲物を威嚇するような唸り声に替わった。音量から判断すると、まさに教会の結界のすぐ外に待ち構えているのだろう。

「ご存知ですか? 魔物は決して他の動物を襲うことなく、人間のみを狙うんです」 
 恐怖よりも深い悲しみに打たれて涙が零れた。
「彼らの餓えは、肉体の空腹からくるものではありません」

 地が再び揺れ出し、ミスリアはバランスを崩した。ゲズゥの腕に支えられ、なんとか転ぶことだけは免れる。咄嗟にその腕にしがみついた。
 頻繁になった揺れだけで想像すると、大きな子供が地団太を踏んでいるみたいだ。結界に阻まれて、業を煮やしているのだろう。

 ミスリアはゲズゥの顔を見上げた。するとさっきと同じ眼差しが、じっと彼女の次の動きを待っているように、見つめ返してくる。
 時々、彼がこうして自分を観察していることは知っている。何をするわけでもなく、静かに見るだけ。

 最初は狩人のような、野性の捕食動物のような視線だと思って冷や汗かいたものだが、慣れてくるとそれはどちらかといえば子供が蟻の行列を観察する眼差しと同じだと思った。悪意ではなく興味や好奇心に基づいている。
 一呼吸してから、ミスリアは発話した。

「お願いがあります」
 ゲズゥはミスリアから腕を離すと、内容を聞く前に頷いた。
「行くか」
 どこに置いてあったのか知れないが既に長剣を手に持っている。心なしか声が楽しそうだ。理由が何であれ、一緒に外へ行く気になってるのは有難い。

 ミスリアは胸元を押さえ、服の下のアミュレットを確認した。

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コメント
--無題--

お久しぶりです。昨日ようやくコンテストの原稿を提出しました(><;

今回は比較的平和だな~と思って読んでいたのですが、結局は『嵐の前夜』ということになりそうですねorz

カイルたちの発言を読んで改めて思ったのですが、精神的に成熟しているとはいえ、ミスリアは一人では何もできない子どもなんですよね。だからこそ、わらをもすがる思いでグズゥに頼っているとカイルは思ったのかもしれません。

以前いただいたコメントの通り、グズゥを選ぶのはれっきとした理由があるからなのでしょうが、それが逆に周囲の不安を煽ってしまい…。最近読んだ本の中にも、愛する配偶者の身内が過剰に干渉してくるせいで、最後には配偶者そのものを嫌いになって別れてしまうというのがありましたが、ミスリアはどうなのでしょうね?(ーωー

これからもマイペースですが、少しずつ作品を愉しませて頂きますね(^^*
by: sun * 2012/05/23 19:41 * [ 編集] | page top↑
--波乱万丈--

sun様、お久しぶりヾ(*゚д゚*)ノ
原稿お疲れ様です! 結果楽しみですね♪

慌しい物語にするつもりは無かったのですが、休息タイムがなかなか取れませんね、彼らは^^;

ミスリアにとっては大事な理由でゲズゥを選んだつもりでも、周りにしてみればその理由も大したことないように思われるかもしれません。カイルは心配しつつもミスリアを信じているので、忠告する度合いを決めかねている感じですね。

配偶者の身内の話は興味深いです。二人に周りが干渉してくるのは実はそれぞれの思惑やよこしまな感情があったりすれば、皆の方が全体がよく見えていることもあるので、難しいですね。他人の話をどれくらい鵜呑みにしていいのか、ずいぶん後にならなければ本当のところはわからないってこともあるでしょう。

ミスリアにも、迷いながらもしっかり問題を見つめ続けてもらいます(・∀・)


のんびりと、また何時でも読みにいらしてくださいね*^ヮ^)♪
by: 甲姫 * 2012/05/24 06:53 * [ 編集] | page top↑
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