30.i.
2014 / 03 / 31 ( Mon )
「なに、すんだよ!」
「お願いです、思い直して! 一日だけでもいいんです、引いて下さい!」
 骨と皮と髪ばかりの栄養不足な子供が相手では、ミスリアでも取り押さえることは可能だった。
 揉み合いながらも説得を試みる。

「今日の行動が明日からの貴方をどう変えていくのか――まだわからないかもしれませんけど、信じて下さい! 大切な人の仇だとしても、殺すのは、それだけは、いけません!」
 並べ立てている言葉に説得力があっても無くても構わない。止めたい、ただそれだけだった。
 組み敷いたような体勢になり、ミスリアは少年の痩せこけた顔を見下ろした。昨晩は虚ろな印象を与えた瞳が、今日は怨念に血走っている。

「うるさいいいいいい!」
 少年のどこにそれだけの力があったのか。
 刹那の激怒。少年はミスリアの頬を引っ掻き、下アバラに膝蹴りを入れた。痛みに蹲るほかなかった。

 視界の端で、ゲズゥが屈んでいるのが見えた。片手で鉈を拾い上げ、長い柄から差し出す。

「落し物だ。返す」
 己の血液がべったりとこびりついた刃に対して、彼は平然としている。普通は自分がとめどなく血を流しているだけでも仰天しかねないが、それは一般人の定義であって、今更ゲズゥに当てはめられるものではないとミスリアは知っていた。

「――――なっ……」
 逆に少年の方が動揺した。
 ミスリアはかろうじて上体を起こして目を凝らす。仇討ち少年は、これまでの激しい意識状態から醒めかけているようだった。

「う、あ……あ…………」
 ガタガタと全身を震わせ、鉈を受け取ろうとしない。
(怯えてる?)
 自覚が芽生えたのだろうか。行為の恐ろしさを、理解したのだろうか。

 変化に気付いたとすれば、ゲズゥはそれらしい素振りを見せなかった。彼は空いた手で少年の右手を掴み、強引に鉈の柄を握らせた。
 その過程のどこかで細い手首に深紅が付着していた。少年は戦々恐々と血痕を見下ろす。

「ああああああああああ」
 正気の色を映し始めていた瞳は恐怖に一際大きく見開かれる。
 そして昨夜と同じく、少年は足早に逃亡した。辺りに草が繁茂しているだけあって小さな人影が消えてなくなるまでに一分もかからない。

 ぼんやりとその後ろ姿を見送っていたらしいゲズゥが、やがて短くため息を吐いた。レンガの山を背もたれに求め、地面にずるずると座り込む。
 ミスリアは蹴られた箇所をさすりながら、何度か咳をした。次いでふらりと青年の隣まで近寄った。

「頬」
 見上げる黒い瞳は相変わらず平静だ。
「ちょっと引っ掻かれただけですよ。痺れはしますけど、大丈夫です。それより脚の怪我を見せて下さい」
 治癒しやすいように、彼の左隣に膝をついた。

 ところが、伸ばしかけた手は止められた。濃い肌色をした大きな手がミスリアの右の手首を長袖の上から握り締める。
 驚き、探る眼差しをゲズゥに向けた。心なしか血色の悪くなった顔が視線を返す。

「いらない。これはけじめだ。治さなくていい」
 思わずミスリアは何か言い返そうと口を開きかけた。けれども手首を締める強い力からゲズゥの決意の固さがひしひしと伝わってきて、言い返すはずだった言葉も失われた。

「…………ではせめて、お医者様に診ていただきましょう」
 と提案すると、「わかった」と彼は頷いた。握り締められていた手首も解放される。
「しばらく休めば歩けるようになる。……多分」

 はい、と小声で相槌を打ち、ミスリアはショールを破いて応急処置に当たる。コートを開くと想像以上に革が濡れていて重く、その下に現れた麻ズボンに大きな赤い染みが広がりつつあった。
 決して長く放っておけるような傷ではない。

「やっぱり少しだけでも聖気を使わせて下さい」
 包帯代わりの布を巻きながら、不安を隠せない声で言った。止血の為、傷口には充分な圧力を加えて、巻き終わった包帯をしっかり結んで――

 ――反応が無い。

 見れば、気付かぬ内にゲズゥは瞼を下ろしていたらしい。 
 反射的に彼の首筋に人差指と中指を押し当てた。幸い、指先にはちゃんと生きた人間の血管が脈打つ感触が伝わった。しかし異様に速いのは気のせいではない。
 おそらく失血のショックで気を失ったのだろう。

 涙がこみ上がった。
 何とかしなきゃと思ってまた片手を伸ばすも、躊躇して何もできない。

 苦しみを少しでも少なくしてやりたいと思う反面、気持ちを汲んでやりたいとも思う。ここまで譲らないからには、何かしら深い理由があるはずだ。知らないまま踏みにじっていいとは思えない。
 この切なさは何だろう――妙な衝動に駆られ、ミスリアは青年の横顔に手を伸ばしていた。

(そういえば寝顔? を見るのは初めてなのかな……)
 ゲズゥは大抵の日はどこか目に入らない場所で寝ているか、ミスリアよりも遅く寝て早く起きている。
 よく人の寝顔は万国共通で無邪気だと言うが、これは厳密には寝顔ではないし、無邪気どころかやたら苦しそうである。

 ミスリアは余った布きれで汗の粒を拭ってやった。
 苦渋に寄せられた眉根も、不自然に速い胸板の上下も、見守るしかできないのがたまらなくもどかしい。

 衝動を生み出す渇望の正体を、ミスリアは知らなかった。
 知らないまま、ゲズゥの左手の下に己の右手を滑り込ませ、思いっきり握る。
 もう視界がぼやけてよくわからないけれど、その上に涙の滴が零れ落ちる気配を感じた。



以下あとがきになります


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唐突エンド常習犯到来。すいません。
ホント私ってば構成力があやしい。あはは。

仇討ち少年も、ずっと昔からやるつもりだったエピソードです。

ちなみにこのシーンは当初の予定では少年がナイフでげっさんの腹辺りを何度も刺しまくる感じの流れだったんですが、色々考えてる内に没になりました。
鉈で一回ぶっ刺したくらいじゃあ物足りねーよ! なんてお怒りの読者様がおりましたら(?)、そちらのバージョンで想像して飢えを満たしてみてください。


でんでんのカオスな成り立ちは徐々にオープンされると思います。おかしいなぁ、この人と並ぶとげっさんが常識人に思えて来るマジック。

さらっと呪いの眼の特性も二つ?ほどバラされてますが、薄々皆様勘付いてましたでしょうか。げっさんがいきなりペラペラと喋り出したのには私も驚いてます。まあ彼が一番話したくない部分はまだ伏せられたままですけど。

色々とストーリーラインが混線中でますます構成力を問われる所ですが、この先もどうかお付き合いください(涙



では31でお会いしませ~う~

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