06.f.
2012 / 01 / 24 ( Tue )
 開いた目に最初に飛び込んできたのは、絵画だった。

 描いた者は青、赤、黄色の三つの原色に白を混ぜたりして色合いを調整したようで、他の色は使われてない。ディテールが一切描かれておらず、全体を見通せばぼやーっと何かがそこにあるような曖昧なものだ。印象派芸術と呼ばれるジャンルに該当するのだろうか。闇市で見たぐらいの認識だから自信は無い。

 もしかして、描いた人物は飛翔する「聖獣」を表現したかったとか? 聖堂の天井に描かれる絵画といえば、まさか魔物を飾ってるとは考えにくい。少なくともゲズゥには、黄色い光に包まれた巨体が茜の空を飛んでいるように見える。その巨体の腹を見上げてるような気分だ。散らばっている青系の点が何なのかまでは彼には想像つかない。

 翼を広げて輝くソレを見上げても、神々しいだの尊いだの思わなかった。芸術を解さない、感性に乏しい――と言われればそれまでだが。

 ゲズゥは起き上がった。窓から射し込む陽の傾きからして夕方近い時刻らしい。
 後ろを手で支えながら、首をならした。木製のベンチにしてはまずまずの寝心地だった。やはり木の枝の上が一番だ。

 剣を研ぐに適してそうな石を庭から拝借して物置部屋に動かしたのを思い出し、立ち上がる。
 廊下で聖女と鉢合わせした。聖女は小さく笑みを浮かべてから、書斎のある事務所みたいな部屋に入った。ゲズゥは特に何も考えずにその入り口に立って、聖女を観察した。窓からの陽射しが躍って幼い顔に影を作っている。

「結構いろんな本が並んでますね……何か読みますか?」
 仮に観察されてることを気にしてるとしても、表に出していない。
「いい。俺は字が読めない」
 ゲズゥの言葉に、聖女は本をめくる手を止めた。目を丸くしている。

 字の読み書きができる人間が少数派であるアルシュント大陸では、珍しくないことだ。文字が、専門職に就く人間以外に開放されて二百年経ってない。大陸中に学校を普及させようという社会運動があるようだが、その夢が実現される日までまだまだ遠い。
 中には庶民以下に読み書きの能力を断固として許さない国とてある。シャスヴォルはここ数年でその制度が廃止の方向に進んでいるが、元々そうだった。

 ゲズゥは必要最低限に南の共通語とほか数ヶ国語が読めるが、それはあくまで実生活に直結するような単語ばかりで、文章となると別だ。

 そうだったんですか、と聖女が困ったような表情を浮かべる。
 しかしゲズゥは特に気にしてない。そんなことより剣のことを思い出し、物置部屋へ移動した。

 小さな窓が一つしかない部屋だ。蝋燭を灯し、砥石と長剣と水を含ませた布を準備してから胡坐をかいた。
 シャッ、シャッ、と丁寧に刃を研ぎ始める。
 一分ほど経った頃、どういうわけか開いた扉にノックがあった。

「私もそっちに行っていいですか?」
 躊躇いがちに訊く聖女は手に革張りの分厚い本を持っている。
「何で」
 短く聞き返した。物置部屋は狭く暗く椅子も無く、読書には向かないだろうに。

「……り…………から……」
 聖女は消え入るような声で何かしら呟いたようだが、聴き取れなかった。俯きながら、もじもじと挙動不審だ。
「は?」
「ひとりは、つまらないから」

 茶色の瞳が濡れているように見えるのは、光の加減の所為なのか、それとも――?

「……好きにしろ」
 女子供という無駄話の多い種の中で、この聖女はまともな方だった。物分かりが速くて余計な詮索もしない。そこにいられても邪魔にならないだろう。
「ありがとうございます」
 聖女は踏み台に腰掛けて、本を開いた。
 
 それ以上互いに関ることなく時が過ぎた。
 ページの捲られる音が、こっちのシャッ、シャッ、という音の間を時折挟む。
 単調な作業に心が安らぐようだ。

 最初は緊張気味だったらしい聖女も、次第に本にのめり込んだのか外界を意識から除外している。同様に、ゲズゥも丹念に剣を研ぐことに集中した。
 布で拭って刃の研ぎ具合を確かめた何度目かの時に、顔を上げた。小窓から夕焼けの端が見える。いつの間にかそんな時間になっていた。

「晩御飯にしましょう。私、つくります」
 聖女が分厚い本を閉じる。
「何か食べられないものとかありますか?」
「…………味の濃いもの」

 大真面目に答えたつもりだ。対する聖女は少し笑い、がんばります、と言ってキッチンへ向かった。

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