06.b.
2012 / 01 / 19 ( Thu )
 ミスリアは絶句した。
 滅びた「呪いの眼」の一族がかつて暮らした場所。それが忌み地になるということは、彼らにひどい災難があったことを意味する。

「カイル、それは確かですか?」
「少なくとも僕はそう聞いている。あの地域はもともとシャスヴォル国の領内で、一族が滅びた後に国境がずらされたそうでね。ミョレンに押し付けようとしたみたいだけど、結局『忌み地』になったから放置状態。両国の民からも秘匿されている事実だね」

 丁寧に語るカイルの声に耳を傾けていたが、別の音にふと気づいた。

 ぽた、ぽたり、と水滴が零れ落ちるみたいな。ミスリアは音源を突き止めようと視線をさ迷わせ、そして見つけた。
 ゲズゥのマグカップを持つ手が、激しく震えている。コーヒーが幾筋か、その手を伝って垂れ落ちている。今にもカップを握り壊しそうなのを堪えているようだ。指関節が心なしか白い。

 そうだった。
 当事者の彼にとっては、この話題は決して他人事ではない。瞳に、数日前に見せた憎悪の色が濃く浮かんでいる。ミスリアは知らず身構えた。

「あの時、何があったのかは公にされてないので僕も知らない。生き残ったのは、一人だけだと聞いているけどね」
 カイルはまっすぐにゲズゥを見据えて言った。威圧感に応じて額に脂汗が滲み出ている。

「…………」
 今やゲズゥの全身から強烈な怒気がほとばしっている。静かな感情が、かえってこちらの背筋を冷やす。
 二人が下手に動けば躊躇無く噛み殺しそうだ。また、黒ヒョウのイメージが沸いた。

 しばらく、三人とも静止したままだった。

 やがて飽きたようにゲズゥが小さく息を吐き、コーヒーを一気に飲み干した。カップをテーブルに雑に置いて、立ち去る。
 ミスリアはそっと胸を撫で下ろした。

「どこ行くんですか?」
 まだ恐ろしさは残るけど、訊かずにいられなかった。

「煙草」
 珍しくゲズゥから返事があった。中庭へと続く大きなガラス張りの戸を、横へ引いて開けている。

「ってそれ、叔父上の葉巻と火打石。いつの間に……」
 ゲズゥが手にしてるものを見て、カイルは苦笑した。
 ぴしゃり、と音を立てて戸が閉められる。

「――なんていうか、不思議な人だね」
 カイルは別に、気を悪くしてないように見えた。額の汗をナプキンで拭き、片付けのために立ち上がる。

「ちょっと後ろめたいなぁ。ああいう言い方したかったわけじゃないんだけど、こっちだって情報の少なさに切羽詰っているんだ。あの魔物と対面すれば、きっとわかるよ」
 ミスリアは頷き、片づけを手伝った。二人でシンクの中に食器を集める。

「君らと此処で会ったのも何かの縁かもしれないね。ミスリア、一緒に来てくれるかい? 君がいれば心強い」
 食器を水で洗いながら、カイルがミスリアにそう頼んだ。
 ミスリアは、チラリと中庭の方を一瞥した。煙以外、ゲズゥの姿が無い。
「私は構いませんけど……」

「君に戦闘能力がほぼ皆無なのは知っているよ。彼がいなきゃ不安だよね、きっと」
「えっ、そういうことでは――」
 ――ないのだけど、なんとなく恥ずかしくなって俯いた。自分の運動能力の低さは自覚している。教団に居た頃、まったくといっていいほど剣技も筋力も身につかなかった。確かに、ゲズゥの桁外れの強さが無ければ今までに何度か死んでいる。

「まぁ、それでなくとも関係者が居ると何かわかるかもしれないし是非とも同行を願いたいね」
 テキパキと手際よく、カイルが皿やコップを洗っていく。
「そうですね」
 洗い終わった食器をタオルでミスリアが乾かし、磨いた。

「彼と話してきていい?」
「どう……ぞ……?」
 説得でもするつもりなのだろうか。
 思えば今までの短い間、ずっとゲズゥの方が主導権を握って旅を進めてきた。他人の言葉に左右されるのかどうかあやしいところだ。

 ミスリアの力の無い返事にカイルはにっこり笑い、水道の水を止めた。

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