26.a.
2013 / 08 / 29 ( Thu ) 煌びやかな光景には現実味が伴っていなかった。 いくつもの大きなシャンデリアに照らされる華々しい部屋。テンポの速い陽気な音楽。輪になって踊るたくさんの踊り子たち。豪華な食卓には何種類ものみずみずしい果物や豚の丸焼き、色とりどりのチーズなどが並べられている。その一切を、たった数人の男が独占している。ふかふかの長椅子にてくつろぎ、自分たちを中心に回る踊り子の輪を眺め、ワインを口に運び、大声で談笑する貴族風の五人。 広い部屋を満たす他の数十人の人間のほとんどが、彼らの為だけにこの場に居る、奴隷や召使や兵士だった。たとえ飢えていても許可無しではチーズの一口も味わうことが許されない身分。当然、多くが虚ろな表情をしていた。 皆、強制されてこの場に居るのが瞭然としている。膝をつく奴隷たちの列の後ろからミスリア・ノイラートはそう評価した。 中心の長椅子に座す男こそが、城主の「ウペティギ様」。 首もとの開けた緩やかな衣に包まれているのは、首も腰もどこにあるのかわからないような肥満体だった。太陽と無縁そうな、血管が透けるほどに色素の薄い肌。細い両目の周りは薄紫色に腫れ、唇も不自然に分厚い。最初に姿を目にした時、何故かガマガエルを思い浮かべ――否、比べてしまっては蛙の方がかわいそうである。 城主ウペティギは、下品な笑みを浮かべた。 歳のほどは四十路半ばだろうか。短く剃られた頭髪は白髪の割合が多いし、顔には皴が刻まれている。 彼は始終立ち上がることも無く、食べ物は召使が運んであげている。ウペティギが踊り子に拍手を送る都度、高価そうな首飾りや腕飾りが弾みで鳴った。その音色さえどうしてか耳障りに感じた。 そんな怠慢の権化のような男に、早くも先程話した女性たちが群がっている。どうやら既に気に入られている娘は手錠を外してもらえるらしい。そして自由の身になる代償は、貴族の男たちに酌をしてやるなり食べ物を食べさせるなり、とにかく媚びることだと見て取れた。 (貴族って、何だったかしら) 平民の出のミスリアには貴族の人間と関わる機会は少ない。教団で出会った上流階級の人間は何人か居るが、どれも、こんな風ではなかった気がする。しかし関わったのが教団という限られた場所であったため、彼らが城に帰るとどう振る舞うのかまでは知る由が無い。 (この人数が結束すれば逆らうことは簡単そうなのに。誰もその気が無いのは怖いから? それとも別の理由が……) 奴隷や召使はともかく――兵士に至っては、たった数人の貴族に抗わないのは幼少の頃から従うべきと刷り込まれたからなのか、それとも何か褒美をもらっているのか、定かではない。 ミスリアは視線を大理石の床の上にさまよわせた。 危険な考えである。 仮に皆を奮い立たせることに成功しても、それは後先考えずに下せる判断ではない。 自分よりも小さい少女二人を横目に見た。彼女らの上腕にそれぞれ、古い焼印がある。それはつまり、二人がこの城に連れて来られた以前から誰かの所有物だった事実を示している。そんな人間がこの部屋に他に何人も居ることは容易に想像が付いた。彼女らの将来が何処にあるのか、逃げ出した先に生きる術があるのか――。 (私だって、ここから逃げ出しさえすれば終わり、でもない) 城の位置もわからなければ土地勘も無いし、地図や身分証明書はいつの間にか紛失している。更に最悪なことに商売道具のアミュレットも無い。 (ゲズゥを探そうにも、もう遠くに消えている可能性だってあるものね) 考えたくはないが、現実的にありうる話だった。 八方塞がりである。ミスリアは膝だけでなく拳も静かに床に付いた。手錠に繋がる鎖が無情に音を立てる。 ミスリアの心の葛藤は人知れず続いたが、一方で貴族らの会話が盛り上がっていた。 「聞いたか? 大公閣下がそろそろ次女を嫁がせるらしい」 「ほう、相手は誰だろうな。ヌンディークの公子か、それとも帝国……」 「それよりもどうやら都市国家郡の情勢に変化が……」 「ミョレン王国の人間が絡んでいるという噂は本当だろうか」 「南西海岸の戦火が広がっていると聞いて……」 「帝王陛下の次の側室候補が……」 貴族の男たちは噂話を交わしている。ミスリアは耳を澄ませて内容をできるだけ拾った。どこぞの王室や貴族の結婚事情はあまり気にしても仕方ないけれど、政治的な問題は旅路に影響を及ぼさないとは限らない。 ――旅が続けられると前提して。 (都市国家郡とミョレン国がどうしたの?) 何か引っかかるものを感じたが、それが何なのか特定できなかった。空腹のせいか頗(すこぶ)る気分が悪く、集中しづらい。 (もう何時間も、何も口にしてないから) それでも、考えることを諦めるのだけはできない。ぼうっとしそうになる度に手錠を揺らしてその重みを確かめた。 「そういう話もほどほどにしようぞ。さあ、宴だ宴! 新しい娘が入ったというのは、どれだ?」 ウペティギのしゃがれた声が響いた。 その声を合図に、ミスリアと二人の幼い少女らの鎖が引っ張られた。 (い、痛い……!) 一瞬だけ表情を歪めてしまった。すぐにミスリアは無表情に戻る。 「この三人です」 鎖を引いた兵士が無機質に答えた。 「おお、これはまた小さいな! だがどれも充分に可愛い。よし! 何か面白いことをしろ!」 音楽もいつの間にか止まっており、広い部屋はしんと静まり返った。 「どうした? 芸だ。誰一人何もできないと言うなら兵士に玩具としてマワすぞ?」 ウペティギが「まわす」と口にした瞬間、部屋中の兵士が気味悪い笑みを浮かべた気がして、ミスリアは震えた。何をされようと最終的には殺されるだろうと直感した。 二人の少女はやはり寄り添ったまま、激しく震えている。心の中では声も出せずに泣いていることは、彼女らの目を見れば明らかだった。それはミスリアの心を揺さぶるには十分だった。 ――自分が生き延びる為だけでなく、二人の為にも何とかしなければ――。 「……う」 「う? どうした、栗色の髪の娘よ。はっきり言え」 「……歌が、得意でございます」 声が消え入らないように腹に力を込めつつ、ミスリアは力強く答えた。 |
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