21.c.
2013 / 03 / 08 ( Fri )
「その方は、今はどちらに?」
 辺りを見回しても、話題に上った人物の姿がない。
「順調に進んでんならぼちぼち家に着いてんじゃないかな」
 ゲズゥと並んで歩くイトゥ=エンキが口を挟んだ。

「無事にご自宅へ戻れたのでしょうか」
「さあなー。でも嬢ちゃんはできるだけのことしたんだ。後は坊ちゃん自身の問題だろ」
「……はい」
 口で同意はするが、本音では、突き放した言い方だと思った。

(でもこの二人にしてみれば、きっと私の方がおかしいんだ)
 今のミスリアたちには見ず知らずの他人の世話を焼く余裕が無いのも事実だった。あったとしても、ゲズゥもイトゥ=エンキも自発的に人助けをしたがらない。利益に繋がらない限りは、他人が苦しむ場面では傍観に徹するだろう。

 それを勝手に冷たいと感じるのは、傲慢かもしれない。

「私たちが今ここに居るということは、あの後、うまく交渉できたんですね」
「まあな。ヴィーナ姐さんが気まぐれに味方してくれたのも大きいな。でなきゃお前らが揉み消されたかも。あのオヤジは自分の敗北なんざ何とも思っちゃいないが、外部の人間にそれを見られたのが面倒だと思ったんだろ。まあ、それで敗北した相手を消したら大々的に負けを認めてるってことにもなるけど……」

「そう、ですか。ヴィーナさんが」
 ミスリアは何と言えばいいのかわからず、あの妖しく光るサファイア色の双眸を思い出していた。
 それはともかく、揉み消す判断が下されなくて良かった――。

「ところで嬢ちゃん、腕に力入る? この布ほどいてやろうか」
 イトゥ=エンキが顔を寄せて問いかける。次いで温かい手がミスリアの手首に触れた。
「お願いします」
 驚きを隠して、答えた。

「ん」
 彼は頷いてから、手を動かした。濃い紫色の布を弄り、瞬く間に結び目を次々とほどいている。
 待っている間にミスリアはポツリと漏らした。

「イトゥ=エンキさんは、寂しくないのですか」
 ――十五年過ごした場所を離れたのに。

「別に。仲間意識はそれなりにあったけど、最初から部外者のつもりで接してたからなぁ。アイツらだって、オレが居ても居なくても同じだよ」
 と、顔を上げずに彼が言った途端、ゲズゥが怪訝そうな顔になった。
「どうしました?」

「……泣きつかれていた。老若男女に」
「あー、あれはー、ほら。その場の熱みたいなもんだから。一日経てば忘れて、元の生活に戻るだろ」
 尚も顔を上げずにイトゥ=エンキが軽くあしらった。表情が前髪に隠れて見えない。ゲズゥはもう一度顔をしかめたが、何も発言しない。

「よし、取れたぜ。今度は自力で捕まってるんだな」
「ありがとうございます」
 ミスリアは自由になった手首を、そっと撫でおろした。布に縛られていた箇所には薄い痕が残っている。
「さーて、あとちょっとだ。こっから三十分走ればもう樹海に着くぜ」

 イトゥ=エンキが親指で指した方向は、坂だ。ミスリアはついでにゲズゥの背後を見やり、そこにそびえ立つ山々を目にした。どうやら寝ていた間に随分進んでいたらしい。山越えがほとんど終わっている。

「捕まっていろ」
「あ、は――」
 ミスリアが返事を返し切らない内に、ゲズゥはもう走り出していた。首に手を回すのが間に合わなくて、ミスリアは彼の胸筋辺りでシャツを握った。

(凄まじい瞬発力ね)
 荷物などものともしない素早さで「静」の状態から「動」の状態に移ったのである。これから一生鍛えても、ミスリアが同等の身体能力を身に着ける日は来ないように思える。

 一方のイトゥ=エンキもゲズゥの右に並んで走っていた。黒髪を後頭部で束ね、上着を着ずに動きやすいシャツ一枚の姿である。
 ふとこちらの目線に気付いたイトゥ=エンキが、にっこり笑う。
 それをきっかけに、ミスリアは叫んだ。

「イトゥ=エンキさん! 一息ついたら、ご家族の話、聞かせてくださいね!」
 彼はにやりと口の端を吊り上げた。
「いいぜ! 樹海の中に入れたらな!」
「楽しみにしています!」

 坂の下に、根元から折れた大きな樹が横たわっている。先にゲズゥがそれを飛び越え、数秒遅れてイトゥ=エンキが続いた。再び走り出して間も無く、彼が口を開く。

「オレさー、実は子供の頃は家の外に出られないくらい体が弱かったんだ」
 こともなげに告げられた過去の話に、ミスリアは息を呑んだ。

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13:59:33 | 小説 | コメント(0) | page top↑
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