15.j.
2012 / 09 / 22 ( Sat )
 しばらく平和だった場所に魔物が急に現れたのは偶然かもしれないし、必然だったかもしれない。
 魔物は性質上、聖気に惹かれて寄ってくる。自分が事の元凶だった可能性はどうしても否めない。
 考え出すとそうとしか思えなくなり、両手で頭を抱え、髪の毛をかき乱した。

「……彼女の未来が絶たれるくらいなら、私が代わりに死ねば良かった!」
 半ば自暴自棄、半ば本心からの言葉を吐き捨てた。
 将来の夢を持たない自分と、夢を持って輝いていた少女とでは、早世して可哀相なのは後者だ。自らの聖女としての使命と意義は、棚にあげるとして。

 無意識の独り言に、返事があった。

「馬鹿馬鹿しい」
 頭上から降ってきた苛立ちを含んだ声色に、ミスリアは少なからず驚いた。
「もしお前が代わりにやられていたとしてあの娘が死なずに済んだのか? 助かったかもしれないが、結局死んだかもしれない。正解の無い仮定を立てても時間の無駄だ」
「それはそうですけど」
 ミスリアは顔を上げた。距離は近いのに、暗過ぎてゲズゥがどんな表情をしているのかは見えない。

「単にお前が生き延びてあいつが死んだという事実があるだけだ」
 彼のあまりに冷淡な物言いに、ミスリアは身震いした。
「……恐ろしいほど正しくて、理にかなったことを言うんですね。私はそんな風には割り切れません。私とさえ出会っていなければって、どうしても思うんです!」
 つい身を乗り出し、ゲズゥに食って掛かった。普段なら考えられないことだが、今のミスリアは相当気が滅入っている。

「ならこれからはずっと野宿して行けばいい。何処の村や町とも誰とも関わらずにな」
 ミスリアに釣られているのか、ゲズゥもいつになく大きな声を出している。
「最悪、そうします。私は今まで甘かったんです」
 唇をきつく引き結んで答えた。

「お前のその責任感が、馬鹿馬鹿しいと言っている。聖女が与える恩恵はそれ以上に価値の無い物か? 世界とやらを救いたければ、犠牲にいちいち反応するな。所詮その程度の覚悟か。それこそ甘い」
 漆黒の前髪が揺れて、ゲズゥの呪いの左眼が顕になっている。光源は無いのに金色の斑点だけが光沢を放っているように見えたのは、錯覚かもしれない。

「私はっ……! 世界を救いたくて旅に出たんじゃありません!」
 視線を逸らさず、言い放った。
「じゃあ何の為だ!」
「言わなければいけませんか!?」
 夜を裂いてしまいそうな叫び声をあげて、ミスリアははっとなった。

 どこからか、小動物が逃げる音がする。
 後には奇妙な静寂が残った。
 やはり暗くてわからないけれど、ゲズゥが驚いた顔をしているみたいに感じた。

(どうしよう)
 ミスリアは俯き、袖で涙を拭った。
 思えば――言い方はひどいけれど、ゲズゥはウジウジと自責の念に囚われていた自分を諭してくれていただけである。
(私の方からこんな旅に巻き込んだんだもの)
 真意ぐらい話すべきだろう。でも、心の準備がまだ出来ていない。話せばまた、馬鹿馬鹿しいと一蹴されそうでもある。

 逡巡していたら、長いため息が聴こえた。
 ミスリアは反射的に顔を上げた。どうしたんですか、と訊いていいものか迷う。

「……十九年生きて、こんなに喋ったのは初めてな気がする」
 いつもは無機質な印象を与えがちな低い声が、この時は明らかな呆れを帯びていた。
「わ、私もこんなに怒鳴ったのは生まれて初めてです……」
 似たような告白を、ミスリアも返した。何故か恥ずかしくなって目を逸らした。

「別に、理由なんて言わなくていい。俺とお前は、互いを生かすという利害が一致する関係だ。それ以上の思惑を共有する必要は無い」
 もう一度ため息をついてから、ゲズゥは立ち上がった。
「………………はい」
 ミスリアは頷きながらも、少しだけ、寂しさが胸を突くのを感じた。

「それより、もう寝る」
 再びゲズゥはミスリアの首根っこを掴んだ。
「え」
「ここに居たら狼に襲われる」
 それだけ言うとゲズゥは傍の樹を登った。ミスリアを一本の枝に置いていき、彼自身は逆側の太い枝の上で横になった。

(狼って……)
 此処からは危険なユリャン山脈に入らねばならないのだと、今更ながらに思い出した。
 今だって、朝日が昇るまでにまた魔物に襲われるかもしれない。ちゃんと休めるか不安になる。

「あの、狭い範囲でなら、数時間ほど結界を張れると思います」
「……」
「カイルに水晶は預けてしまいましたけど、聖人と聖女のアミュレットには小さな水晶がついてますから」
 十字の形に似たアミュレットの左右の棒がちょうど下に曲がったところに、それぞれ紫色の水晶が付いている。滅多なことが無い限り、なるべく使わない決まりである。また、水晶は貴重なので、これは聖人聖女以外の他の聖職者のアミュレットには無い。

「狭いって、どのくらいだ」
「えーと、今の私に残る力だと、人一人囲めるくらいでしょうか……」
 そこまで言って、言いだしっぺのミスリアは肩を落とした。一人しか囲めないのなら結界を張る意味が無いに等しい。
「なるほど」
 その一声の後、本日三度目にミスリアは首根っこを掴まれた。

(私は猫じゃないのに――)
 抗議の一つも出来ない内に、今度は何か暖かい所に落とされた。

(ええぇえええ)
 そこはゲズゥのお腹の上だった。ミスリアはぎょっと驚いて身じろぎしたが、落ちないようにか、いつの間にか腰回りをきつく抱かれている。
(これなら一人分の広さでも二人囲めるけど!)
 慌てるミスリアに対して、ゲズゥは今にも眠りそうな様子でくつろいでいた。片腕で枕を作って、多分目を閉じている。

 こうなってはやむをえない。
 これは生きる為に必要なこと、意識してはダメ、と自分に言い聞かせながら。

 ミスリアは水晶に祈りを捧げ、結界を組み立てた。
 それが終わると同時に自分の意思とは無関係に、ゲズゥに重なるように前に倒れ込む。

 この体勢はマズイ。何とかどかなきゃ、みたいな考えが頭を過ぎるけれど、疲れと眠気で動けない。

 一定のリズムをもって上下する温もりと心音の心地よさに、ミスリアは身を委ねた。

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