15.i.
2012 / 09 / 19 ( Wed )
 魔物は瞬時に大人しくなった。
 念のためにゲズゥは短剣を抜き、羊女の首を掻っ切った。血飛沫のようなモノが吹き出ても、魔物はそれでも暴れない。

 矢に射抜かれた箇所を中心に粒子化が進んでいるのを認めて、ゲズゥは魔物の背から飛び降りた。完治からは程遠い身体が軋む。
 そこから先ずは地面に両手を付いている少女の元へ行った。

「近付いて浄化しなくていいのか」
 ミスリアの傍らに立ち、訊ねかけた。山羊男も羊女も不動のまま質量が減って小さくなっているが、まだ油断はできない。
「……たぶん、大丈夫……だと、思います」
 普段は澄んでいる少女の声も今は掠れている。

「……そうか」
 ゲズゥ以上に魔物という存在を理解しているはずのミスリアがそう言うなら、信じて良いのだろう。
 原理は良くわからないが、彼女が相当な無理をして援護してくれたのもなんとなく感じ取れる。

「ぐ……うっ…………レネ……!」
 弓矢のガキは覚束ない足取りで無残な亡骸の傍へ駆け寄った。
 一連の流れに呆気に取られていた集落の人間も負傷者の手当てをし始め、犠牲者の死を嘆き出す。最初の赤毛の娘以外に、何人かが山羊男にやられたらしい。それ自体は、ゲズゥにとってはどうでもいいことだった。

 魔物が二体とも完全に消えるのを見届け、次にミスリアを見下ろした。
 悲しみに濡れた茶色の瞳が瞬き、涙が白い頬を伝っている。
 他に魔物の気配を感じないか訊くべきだという考えが、ゲズゥの脳裏を過ぎった。だがその問いは無意味だと判断する。他に魔物が居ようが居まいが、もう知った事ではない。

 ――もう少し休ませてやりたい気持ちも無くは無いが。
 ゲズゥは大剣を背負い直すと、ミスリアの首根っこを掴んだ。

「な!? 何ですか」
 少女の驚いた顔が見上げてくる。
「引き上げる」
 荷物が半分ほど部屋に置きっぱなしなのが惜しいが、この際諦めるしかないだろう。

「でも怪我をされた方の治癒をしないと……!」
「無駄だ。こうなった以上、俺らに居場所は無い」
 逃れようと抵抗するミスリアを、彼は両手で抱え上げた。
 庭は集まってきた大勢の人間の声でざわついている。

「どうしてこんなことになったんだ!」
「何週間も魔物なんて出なかったのに……」
「余所者を迎え入れたからだ。他に理由なんて考えられないだろう!?」
「そうね、そうに違いない。聖女さまだからって気を抜いたわ」
「あの二人の所為でこんなことに!」

 予想通りの非難の声と睨み付ける視線。実際に二人の所為だとしてもそうでなくとも、魔物を倒した功績も、もはや関係無い。
 困惑するミスリアを無視して、ゲズゥは山へ向かって走り出した。

_______

 道が途切れて既に三十分以上は経っている。
 こんな暗闇の林の中をこうも速く走れる人間はきっと他に居ないだろう。それもほとんどが斜面だ。自分を抱えて走る長身の青年を一瞥して、ミスリアは場違いな感心を覚えた。

(何だか逃げてばかり……)
 それも今回はシャスヴォルから逃げ出た時とは事情が違う。一体自分たちは今は何から逃げているというのだろうか。
 世間から追い出されたような疎外感を感じ――「天下の大罪人」と呼ばれるゲズゥは何時もこんな気持ちなのかと想像する。否、彼の孤独はこんなものではないはずだ――

「きゃっ」 
 急に取り落とされたように下ろされ、ミスリアは慌てて地に立った。
 振り返るとゲズゥは樹の根元を背に座り込んでいた。ひどく咳き込んでいる。見た目以上に重傷を負っているのかもしれない。

(治さなきゃ)
 ミスリアは歩み寄り、手をかざした。気力を使い果たして億劫だが、かろうじて聖気を展開できた。いつもよりは弱々しい光で傷だらけのゲズゥを包む。

 どれ程の間、そうしていたかはわからない。途中で何度も集中が途切れそうになるのを必死に堪え続けた。これくらいの労力は守ってもらう上での当然の対価である。
 やがて、ゲズゥが「もういい」と手を振って示した。それを待っていたかのように体中から勝手に力が抜け、ミスリアは地面にへたり込んだ。

(なんて一日……)
 今朝がものすごく遠い昔のように感じられる。
 今日の出来事を思い出しただけで疲れが増した。
(……たすけ、られなかった……)
 そしてツェレネの最期が生々しく脳裏に蘇った。ミスリアは反射的に口を覆う。

「私の、所為」
 涙が零れたのも、唇から言葉が漏れたのも、無意識からだった。

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