十 - m.
2017 / 11 / 16 ( Thu )
「……違うわね、もうちょっとしたら大公サマか。ね、エラン、あんた大丈夫なの。あんなに嫌がってたのに、それでいいの」
 ふいに近付いてきたと思ったら、セリカはぽすんと肩に頭をのせてきた。被り物がずれているせいで前髪が垂れ出ている。
 エランはなんとなくそのひと房の髪を見つめながら、彼女の背中をそっと撫でてやった。

「大丈夫じゃなかったら、セリカが骨を拾ってくれ」
「やだ」
 駄々をこねる子供のように、首筋に顔を擦り付けてくる。
「どうせ一時的だ。約定通りに街道を開設できなかったら、お前の国に何をされるか」
「それもそうね」
 異国の姫はくすくすと静かに笑った。

「ところでお前……身だしなみに不可解な点があるが」
 再会してからずっと気になっていたことを口にした。腕の中のセリカはびくりとなって姿勢を正した。
「え、うん? 色々あってスカートが破けちゃって……その、深く考えないで」
「鎖骨あたりに傷もあったような――」
「転んだのよ! 転んで擦りむいたの」
 そうか転んだのか、とエランは反射で答えたが、全く納得できなかった。何故しどろもどろとしているのか、まるで隠し事をしているようではないか。

「失礼いたします。ご報告が」
 見計らったかのように、タバンヌスが部屋の入口から、姿を見せずに声だけをかけてきた。
 入口まで行って、続きを話すよう促した。背後でセリカが「ちょっとあんたは黙ってなさい!」と騒いでいる気もするが、後回しだ。

 実は先ほど――タバンヌスから切り出された話はそのようにして始まった。
 問題は後に続いた内容だ。耳朶を通り、脳に至って、言葉の羅列が意味を成した時。胃から煮えたぎるような熱さがほとばしった。
 部屋から飛び出る。控えていたタバンヌスを押し退け、廊下の床に横たわる男を蹴った。
 無心で。どこを狙うわけでもなく。蹴った。
 その内に、男は目を覚ました。

「――ずいぶんな……ご挨拶だね……!」
 鼻血を垂らして何か言っているようだが、構わずに蹴り続ける。
「ちょ、ちょっと! エラン! やめ――ねえ、あんた止めなさいよ!」
「止めてよろしいのですか」
「よろしいっていうかこれ死んじゃうでしょ!?」
 後ろからタバンヌスに羽交い絞めにされてやっと、エランは息をついた。まだ腹の虫は収まりそうにない。血まみれになって苦しげに咳き込んでいるクズ男を見下ろし、吐き捨てる。

「おはようございます、アスト兄上。私の妃に暴行を加えてくださり、大変ありがとうございます。私から心ばかりのお礼です」
 体内では腸が煮えくり返っていながら、舌が練り出した言は凍てついていた。最後にもう一度だけ、顔を蹴っておいた。

「お前、は……やっぱ、いい性格……してるね」
 自慢の美形も鼻が折れていては影も形もない。何かを言われているが、無視する。
 廊下を見回すと、異変を聞きつけた者が遠巻きにこちらの様子をうかがっている。
 タバンヌスに放されたと同時に、袖が引っ張られた。振り向くと、セリカが申し訳なさそうな顔をしていた。

「あんた、自分がめちゃくちゃにされても冷静だったのに……。あたしは平気よ、タバンヌスに間一髪で助けてもらったし。怒ってくれて、ありがとう。本当に平気だからね」
「…………わかった」
 今、彼女に不安そうな顔をさせているのは自分だ。そう思うと、頭は多少冷えていった。
 壁に片足をかけ、身を屈めて、第二公子本人とすぐ近くの数人にしか聴こえないように囁く。

「どう対処するかは、大公家の威信と尊厳、そして外交に関わる。秘密裏に処理するなら死刑は論外か」
「生ぬるいよ」
 アストファンは嘲笑ったが、エランも嘲笑で返す。
「安心してください。牢に投げ込む以外にも、自由を奪う方法なんていくらでもある。きっとご期待に添えますよ」

 衛兵を呼びつけて、これでこの件はひとまず終いとする。必要以上に奴と同じ空気を吸っているのも嫌だ。セリカの手を引き、歩き出す。
 まだ、父への最後の挨拶をせねばならないのだ。エランには、別れに対して特に感慨が無いように感じられたが、本人を前にすればまた違ってくるだろう。

「きっと大変なのはこれからよね」
 廊下を度々振り返りながら、セリカがぽつりと言った。
「他人事みたいに言うが、お前もだ」
「え?」
「葬式、即位式、結婚式と息をつく暇もない。大体お前、この国の服にまだ慣れてないだろう。結婚式の衣装は相当に息苦しいんじゃないか」
「う、わぁ。ドタバタしてて忘れてた……絶対めんどくさい……」
「今更やっぱり帰るってなっても、帰す気はないが」
「わかってるわ。結婚式のひとつやふたつ、やってやろうじゃないのよ!」

「頼もしいな」
 本心からの感想だった。この先の人生にどんな難事が降りかかろうとも――この娘が共に居るのならば、それだけで頼もしい。
 エランは口元が緩むのを止めなかった。

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