十 - f.
2017 / 10 / 21 ( Sat )
「な!?」
 掴みかかってきた彼女をセリカはすんでのところでかわした。鈍い音を立てて壁に取りついた後、女は凄まじい形相で振り返り、再び飛びかかってきた。

「曲者が、アダレムからはなれなさい! いかせません、連れて行かせませんよ!」
「待って、話を!」
 抗弁を試みたが、相手は暴れ叫んでばかりでみなまで言わせてくれない。仕方なく、のしかかる体重を払おうとする。そこでふと気が付いた。

(なんて細い手足……それにすごく軽いわ)
 めいっぱい振り払おうものなら簡単に大怪我をさせてしまう。こんなに弱っていながら、連れ去られんとしている我が子を救いたい一心で、力を振り絞っているのだろう。
 痛々しい。

「この子は奪わせません」
「奪うつもりはないわ、外に連れ出すだけよ! こんなところに長くいていいはずないじゃない! あなたも一緒に――」
「甘言です! そんなことを言って、皆わたくしたちを使い捨てにしたいだけです。もう騙されません、ここ以外に安全な場所なんてありません!」

「違う、あたしは」
 共に連れ出すなり説得するなり――どうにか助けてやりたいという気持ちが迷いとなる。セリカはつい抵抗を止めて、されるがままに任せた。髪が抜かれ、皮膚を引っかかれても、歯を食いしばって耐えた。
 きっと他の何かと天秤にかけられるようなものではないのだ。親の、子を庇護したい想いというものは、セリカの理解が及ばないほどに強固だ。

「ははうえ! ははうえ、やめてください」
 その絶叫を境に、セリカを揺する手が止まった。
 女性は、己の脚に抱き着いた幼児を、緩慢に見下ろした。
「大丈夫ですよアダレム、ここは母に任せて、お前は大人しくしていなさい」
 宥めるような声色に、アダレム公子は謝罪しながら頭を振った。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ははうえ。ぼくは、でます」
「何を! 聞き分けのないことを、お前は……!」
「ごめんなさい。おそとはあぶないから、ははうえはここにいてください。でもぼくは、でる。ここをでます。だって、なにもない。おそとにはせかいがある。みんな……あにうえがいる」
 六歳児の表情は信じられないくらいに穏やかで大人びている。紛れもない、覚悟と慈愛がそこにあった。
 いつの間に、そんな風に考えていたのか。

「あにうえは、おそとにいます。ぼくも、いっしょじゃないと、だめです」
「そんな」張りつめていた糸が切れたように、彼女はセリカから手を放し、よろめいた。「周りの期待に応えすぎたハティルに続いて、お前までもが急ぎ足で大人になるのですね……」

「じかく。もてって、はてぃるあにうえが、いってました」
 アダレムが母の脚から離れる。幼いながらもその顔は誇らしげだった。対する母は、力尽きたようにその場で膝から崩れる。
(すごいな……)
 セリカは蚊帳の外から感嘆した。

 子供は何も考えていないように見えても、ちゃんと周りのあらゆるものを見聞きして吸収しているのだと、聞いたことがある。彼はもしかしたら大人が思う以上に色々と事情を理解しているのかもしれない。
 何と言っても、一番近しい肉親があのハティル公子なのだ。今はまだ鳥やリスを追いかけたい年頃だとしても、この第七公子はいつか兄たちに追いつくのだろうか。

「信じてください。あたしやエランディーク公子は、あなたがたの敵ではありません」
 セリカが妃にかけた言葉は、おそらく届かなかっただろう。近付いて確かめると、彼女は気を失っていた。
 今度こそアダレムの脇下に縄を結び付けた。それから三回引っ張って「引き上げろ」の合図を窓の外のハリャに送る。

「ははうえ、またあとで。ぜったいむかえにきます」
 そう言って、小さな公子は光の方へと上って行った。見ると、セリカよりかはよほど楽そうに窓を通り抜けている。
(なんかぷるぷるしてた。まあ、高いわよね)
 怖いのを我慢しているのだろうけれど、後のことはハリャに任せるしかない。アダレムはもう大丈夫だ。
 ひと息ついて壁に額を当てた。

 鉄が擦れ合い、重く軋めく音に、セリカは硬直した。
 扉が開いたのだ。それ即ち、扉を外から「開けられる」人物の訪れを、意味する。
 ぞっとした。身体の向きを変えようと固まった筋肉を意地で動かすが――

 ――衝撃と共に何者かによって壁に押さえ付けられ、それは叶わなかった。
 打った箇所が痛みに痺れる。セリカは首だけでも振り返らせて、突然の来訪者を見上げた。

「……腹黒ロン毛野郎……!」
 暗がりに光る微笑が恐ろしく美しい。最も会いたくなかった男の姿を認め、毒を吐くしかなかった。
「あはは。何だい、その呼び方。それで行くのかい」





おかしい、アルシュント大陸には強いショタが多いらしいな(デイゼリヒ王子参照)(でもロリたちだっていい線いってるはず)

非常にわかりにくいとは思いますが、アダレムの言う「いっしょ」には以前彼がエランを苦手と言った理由の根本があるような、混じっているような、曖昧なアレがあります。明言してないだけで、アダレムはアストファンもウドゥアルも割と苦手です。

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