65.c.
2016 / 12 / 19 ( Mon ) 両腕が肩まで痺れるほどの反動が後に続いた。よろめきそうになるのを、腹筋に力を入れて防ぐ。めげずに何度か剣を振るった。 そうして肘から下が麻痺するまでに、そう時間はかからなかった。立ち位置は始終同じでも、雪の所為か、足がすっかり重くなっている。息が重苦しい――と意識した矢先。 呼吸ができなくなった。 突き飛ばされて、深い雪に沈んだ。起き上がろうとしたのも束の間、腹の上に硬いものが圧し掛かった。 「がはっ……!」 喉が熱い。鉄の臭いが溢れ、鼻や口から滴った。 何かしら内蔵が破損したのだと数拍後に察する。 右のみに偏った視界の中で、無数の光が明滅した。腹を潰さんとする重圧は円柱の形をしていた――即ち、聖獣の足。足についている四本の指の内の一本が、ちょうどみぞおちを抉る位置にある。 絶叫していたのだと思う。己の血液に溺れながら、喘ぎ声しか出せなくなるまでに、ずっと。 「兄さん!」 駆け寄ろうとしたリーデンも、獣の太い尾によっていとも容易く薙ぎ払われた。 『無謀』 そこに含まれていたのは残虐性と慈愛の両方だった。解せない、と感じた頃には、何故か激痛が治まっていた。喉や口周りを浸していた血も跡形もなく消えている。 かと思えば、改めて踏みつけられた。今度は叫びのひとつを上げる間もなく治された。 子供が玩具にするように、何度も持ち上げられては地に叩きつけられる。破壊される都度、間を置かずに治癒された。 ――純粋な聖気の集大成に触れていると、こうなるのか。 いかなる暴力に晒されてもすぐに温かい光に包まれて復元する。これが、ミスリアが使っていた「奇跡の力」の上位互換。 なるほど、人間がこんなモノを思い通りにできようはずもない。オルトがあっさり諦めたのも賢明な判断だったと言えよう。 『納得したか? ヒトの剣では「聖獣」に干渉できぬ。できたところで、いくら鱗を削いでも、愛しき聖女は引き剥がせまいよ。わかったら聖泉の域から去れ。我はこれから大陸を浄化するゆえ、これ以上は汝の相手をしていられない』 重圧が離れた。 ゲズゥが上体を起こしたのと同時に、巨大な影が地面にかかる。 「待て!」 焦燥に硬直した。我に返るなり、跳躍し、切りかかる。やはり無様に叩き落された。 両手両膝を地につけたまま雪に噎せる。頭の中に、感心混じりの声が響いた。 『執念深さもヒトの可愛さよな』 「人外に、何が、わかる……! 返せ!」 喚き散らす。無駄なあがきだとしても、止められなかった。従来の合理的な自分は何処かへ引っ込んでしまっている。 耐えられない。この先の寿命がどれほど残っているのかは知れないが、これからもこんな掃き溜めのような世界で生きなければならないのかと想像すると――凄まじい破壊衝動に駆られる。 割れるまで、壁にでも頭をぶつければ、打ち忘れられるだろうか。ミスリアと出会ったがために知ってしまった、穏やかな空間を。 喪失の弊害に狂っていくのがわかる。誰でもいい。憎まなければ、保てない――! 振り上げた右腕が宙に止まった。自身のそれとよく似た骨格の手が、前腕を掴んでいる。振りほどこうとすると、更に強く掴まれた。 「……ねえ、人間が可愛いと思うなら、譲歩してくれないかな」 『譲歩しようにも、どうしようもない』 「んーん、嘘だね。君はまだ、何かを隠している」 横合いから口を出したリーデンをじっくり眺めやってから、聖獣が緩慢に頷いた。 『賭けでもするか、愚か者ども』 かけ、と兄弟で異口同音に訊き返す。 『結果を左右する術が無くとも、聖女が元に戻れる可能性は皆無ではない。そういうことだ』 それを聞いて、身体から力が抜けるのを感じた。大剣と共に、腕を下ろした。 |
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