59.e.
2016 / 07 / 08 ( Fri )
「うん、こんばんは」
 特に断りなく隣に腰を掛ける。ミスリアはきょとんとした表情で見上げてきた。
「あの……」
 消え入るような声の後、大きな茶色の目があちらこちらと泳ぎ出した。心の内にある質問を、口に出そうかどうかを決めかねているようだった。

「どうしたの」
 この正直者の少女が何を訊きたいのかなど、簡単に想像が付く。だが敢えて本人が自分から言い出すまでを待つのは、リーデンのちょっとした悪戯心であった。
「えっと、その……ゲズゥは、一緒じゃないんですか」
「さあ。それなりに近くに居る気がするんだけどね。その辺の樹でも揺すれば落ちて来るんじゃない」

「そんな、虫みたいに」
 ミスリアは苦笑した。
「心配しなくてもお腹が空けば勝手に出てくるよ。聖女さんは気になる――」
「いいえ」
 食い気味に返された否定の言葉に、俯き加減に傾かれる頭。これは早目に本題に入らないと口のみならず心の窓まで閉ざしそうだな、とリーデンは判断した。

「ずばり君の悩みってアレでしょ。『いつか来る別れ』に関係してるんだよね」
「…………」
 呼吸に僅かな乱れが生じたのが聴こえた。しかしそれを除けば、反応が薄い。胸板は規則的に上下を繰り返し、目線は隠れたままだ。

「こっちは否定しないんだね」
 ひたすらに、沈黙があった。
「ねえ聖女さん。もしもの話だけどさ」
「……はい」
 ようやく顔が上がった。光を映さない双眸がこちらを向く。

「もし君が兄さんの為だと思って何か大事なことを隠してるなら、思い直してね」
 ぱちり、ぱちり、と静かに瞬く瞳。
「知らないことを知った時にどんな反応をするかなんて、その時になってみないと本人にだって予想できない」
 リーデンがそう言ったのと、ミスリアの唇がぎゅっと引き結ばれたのは、ほぼ同時だった。

「こういうことに『前科』がある僕が言うのも説得力無いかな? 相手の為だと思ってやってることが、実際は相手の気持ちを完全に無視してるなんてザラでしょ。話し合って、ぶつかり合って、こじれてもまた歩み寄るのが人付き合いってもんじゃないの。先回りして向こうの気持ちを読んでるつもりでも、そういうのって、あんまりうまく行かないよね」

「そう……ですね」
 囁きのような肯定が返る。
「あの人が壊れたとしても、君がそこまで責任を感じる必要は無いんだよ? 結局のところ、どんな環境や出来事に直面しても、心の状態は本人の自己責任でしかないんだ」
 だから思い切って打ち明けてしまいなさい、とリーデンは言葉の裏から念じた。

「そんなつもりは、ありません。私が臆病で、楽な方へ逃げたがっているだけです」
「ふむ。君には君の心を守る権利がある。たとえそれで誰かが傷付いたとしても、ね」
 目が合うように、ミスリアの顎を指先でそっと方向転換させた。

「ありがとうございます。そう言われると、少しだけ楽になります」
「相談に乗ってあげたいのは別に僕がいい人だからってワケじゃないよ? 君の精神状態が気になるのは、君のことが好きだから、だよ。そこんとこ憶えといてね」
 ちょん、とミスリアの小さな鼻に人差し指を当てた。
 照れ臭そうに笑って、彼女は応じる。

「あ、ありがとうございます。私もリーデンさんのこと、好きですよ」
「それは嬉しいね。でも僕以上に君と付き合いが長くて、多分僕以上に君のことを見ている人を、いつまでも無知という闇の中に閉じ込めないであげてね」

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