44.e.
2015 / 06 / 22 ( Mon )
「行ってしまわれるんですか?」
 ティーセット越しにミスリアは友人に訊ねかけた。質問の冒頭に「もう」と付かなかったのは自ら心を律したからである。人にはそれぞれ都合があるし、これでも何か月も同じ町で過ごせたのだから贅沢は言えない。
 言わないけれど、しゅんとした表情を向けてしまっても仕方がないだろう。

「うん。しばらく気ままに行動できて良かったよ」
「何か特別なご用事ができたのですね」
 向かいの青年は、調べ事やら人と会ったりしていた合間にも聖人としての仕事をこなしていたのだ。自然と、また何か頼まれたのかと考える。

「教皇猊下から勅令が届いてね。『慰問がてら、ある場所に向かって欲しい』みたいな内容だよ。猊下は僕を試されているのか、認めてらっしゃるのか、まあ行ってみれば少しはわかるかもね」
「その場所とは?」
「追って連絡をするって。とりあえずは本部に戻るよ」

 そうですか、と答えてミスリアはミントティーを啜った。カップの中が空になると、待ち構えていたかのようにカイルがすかさずおかわりを注いでくれた。琥珀色の液体が純白の陶磁器の中で揺れる。

 ヴィールヴ=ハイス教団本部は、アルシュント大陸中北部の非法人地域に位置している。ミスリアの旅の終着点である聖獣の安眠の地も北にあると言い伝えられている以上、いずれ通過する可能性は高い。そう思うと寂しさも多少は薄れた。

「一度結ばれた縁は消えない」
 穏やかな声のした方へ、ミスリアは顔を上げた。
「たとえ二度と会えなくても、明日死に別れる運命だとしても、片方が記憶喪失になっても片方が憶えている限りは――互いの存在を知らなかった日々に決して戻らない。その縁さえあれば、いずれは別の形になってでも、再び出逢えるでしょう――」

「カイル、それは……」
「以前、猊下に謁見した時にいただいたお言葉だよ。すごいと思わない?」
「……はい。あの方らしいですね」
 ほう、とミスリアは吐息を温かいお茶に吹きかけた。立ち上る湯気が鼻先をくすぐった。

 ――認識していない人間に想いを馳せることはできない。
 たとえば墓場を歩く時、知らない人間の墓石の前で立ち止まることが幾度あるだろうか。刻まれた文字を、その人の名前と人生を謳う文句を、じっくり読んでみることは。

 一度(ひとたび)目を通すだけでも繋がりは生じるというのに。読んだからと言ってその家族に会ったり、会話をしたり、互いの人生について語り合うだろうか。そんな可能性は極めて低い。試みてもなかなか果たせることではないし、日頃の生活というものはそれほど暇ではない。

 だからこそ、人は短い一生の中で結んだ縁を、できるだけ大切にするべきなのだ。
 それを持っている喜びを忘れてはならない。

「これからも手紙を出しますので、またお話しましょう」
「勿論。そうだ、ミスリア。まだ言ってなかったけど」
「何ですか?」
「僕は、枢機卿を目指そうかなと思ってる」


今週は毎日更新とか目指してみたいものです!

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