32.f.
2014 / 05 / 15 ( Thu ) 翼幅が四フィート程度のエイの上は狭い。 幸い今は物理法則を無視した魔物が重力に逆らってくれているおかげで、河の中に逆戻りしなくて済んでいる。二人仲良くあの渦の中に落ちたらどうなるのかなど、知りたくはない。こちらの心配を察したのか否か、エンリオが近くの別のエイに向かって跳び、そのピンと張った尾を掴んだ。 彼は飛び移った勢いのままスイングし、尾を離してくるくると宙を舞って行った。リーデンもその後に続き、エイの背中を踏み越えて岸に戻った。 直に土を踏みしめるのには何とも言えない安心感を覚えた。 振り向けば、エンリオが用無しになった魔物たちを次々とナイフで撃ち落としていた。それが終わると、彼はリーデンに向き直って一礼する。 「助かりました。見かけによらず腕力があるんですね」 「よく言われるよ。君はなんていうか、曲芸師みたいだね。雑技団でもやっていけそう」 「わかります? 実はサーカス団で育ったんですよ」 「へえー」 河の方面からを目を離さずに、二人は戦陣の方へと一歩ずつ慎重に後退る。 「で、何かわかったの」 リーデンは早速本題へ移った。 訊ねた途端、エンリオの童顔が翳った。 「かなりまずいかもしれません」 「具体的にどうまずいの?」 「…………あの一帯の川底そのものが、魔物です」 蒼白になった顔でエンリオがぐっと唇をかみ締めた。 「は? 川底が生きてるって?」 川底に潜む魔物に足首を掴まれたのではなく川底の触手に捕えられたのか、と奇妙なイメージが脳裏に浮かび上がる。 「いいえ、生きてるって表現は不適当ですが……。パッと見ただけでは、川底がそうなのか単に底に横たわっている巨大な魔物の塊が在るのか、どちらとも言えませんね。ただ、敵が無尽蔵に分離して現れるのは間違いありません。あの塊をどうやって討伐すればいいのかわかりませんけど、こうやって分離してきた魔物を倒していても底が尽きることはない……そんな予感がします」 「なにそれ、普通にやってても無意味じゃん。もう忌み地でいいんじゃない」 エンリオの話は、聞くだけで脱力してしまう、無限に終わらない戦いを示唆している。 何故だか首の後ろがぞわぞわと粟立った。野性の本能が、その場を離れろと警告を出している。 「外的要因が見つかれば――」 「おっと、伏せてね」 エンリオが顎に手を当ててひとりごちるのを遮り、リーデンが右の踵を軽く地に叩きつけた。ブーツの爪先に仕掛けた刃物を発動させる為だ。 素直に身を伏せたエンリオの頭上で回し蹴りを繰り出す。 降ってわいた魚の魔物が真っ二つに裂け、どろどろとした液体が四方に飛んだ。 横から来るもう一匹が、リーデンが手を出すまでも無く、木製の杖によって殴り飛ばされた。 「引き際だな」 いつの間にか近くまで来ていたゲズゥが、静かに言った。リーデンと似た左右非対称の瞳は、ただならぬ空気を湛えていた。 「同感だよ」 これまでの短い人生経験からして、野性の本能には従うべきなのは重々承知していた。兄まで同じ危惧の念を抱いているというのなら、選択肢は一つだけ。 他の誰が何と言おうと、この世には確かに手を出してはいけない領域というものがある。見極められなかったら、死あるのみだ。リーデンは魔物狩り師の美学はよく知らないが、戦っても勝てない相手と対面したことはいくらでもある――それが人間にしろ、人間以外にしろ、勝てないのなら戦わないのが正解だ。もしくは相手の土俵から引きずり出せるならそれもいい。死を覚悟して戦うのは、本当に逃げ場が無い時だけ。 「引き際って、どういうことですか……?」 ゲズゥの後ろにくっついてきていた聖女ミスリアが心配げに訊ねた。それにはリーデンが淀みなく答えた。 「多分だけど、長居したらその内ヤバイのが出て来る。だから逃げるんだよ、この地域の討伐隊全滅記録に組み込まれたくなかったらね」 |
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