31.c.
2014 / 04 / 17 ( Thu )
 あれほどまでに好き勝手に他人を害しながら、全く邪魔されない人間などそうそう居ないだろう。イマリナ=タユスを拠点とした裕福な商人の元に嫁いでからは悪化したようで、女の外面の良さに磨きがかかればかかるほど裏では非行が積み重なった。しかも、主に少数民族や貧窮の者を追いつめる類の悪事だ。
 経歴から態度まで、鬱陶しいと感じない点の方が少なかった。
 だがゲズゥはその程度で取り乱すような性分ではない。報いは相応に――怨みを方程式に当てはめるように、それまで葬ってきた仇たちにしたように、淡々とすら呼べる手つきで女に惨たらしい最期を迎えさせようとした――

 最中に、存在だけは聞き知っていた、その女の養子が現れた。夫の亡くなった知り合いの子供か何か、そんな縁だった気がするが、とにかく邪魔だからと気絶させて横にどけようと動いた。
 子供は抵抗した。養母を助けようと死に物狂いで暴れ叫んだ。

 二人の間を飛び交う言葉を聴いて、次第にゲズゥの胸の奥では「羨ましい」を通り越した憤りが渦を巻いて嵐を生み出した。

「……俺がリーデンにしてやれなかったことを、あの女は養子にできていた」
 重々しく呟く。事細かに思い出せば、やはり黒い感情も一緒になって蘇る。
 ミスリアは言を挟まず、真剣な面差しで続きを待った。

「夫のみならずあの女の身近な人間は全員が闇に生きていた。なのに共に暮らしていながら、子供の瞳は無垢だった」
 今でさえ、子供は親の身の潔白を信じている。或いは一生信じたままで、復讐心さえ乗り越えられれば親の生きた道を辿ることなく真っ当に成長するだろうか。

 女が養子に向けて怒鳴った「お前はこっちに来るんじゃない!」という警告の真意をゲズゥは瞬時に読み取っていた。
 一緒に暮らしていながらも汚れた世界から一線を画し、己の本性を隠しながらも子供を守り抜こうとしていたのだ。

 それは自分が弟に与えてやりたかった、理想の具現化だった。
 否、一緒に居られなくてもいいから、なんとしても闇から守ってやりたいと思っていた。

 拾ってくれた老夫婦は二人も子供を育てるのは無理だと断じた。選ぶならば、無愛想で不気味な兄ではなく、愛らしい弟の方を育てたいと。
 ゲズゥは異を唱えなかった。せめてリーデンだけでも平穏な暮らしができるなら、と考えて潔く身を引いた。

 離れることになってもいいから普通に幸せに生きて欲しかった。毎日腹一杯、温かい食事を食べて欲しかった。そして、一族との終わらない悪夢から解放されて欲しかった。
 結局願いは叶わなかったが。

 ――冷静に考えれば、あの女と比べても仕方ないことぐらいわかっている。

 離れようと判断をした時のゲズゥは僅か八・九歳程度で、しかも地位や収入源も無ければ頼れる知り合いすらいない、人間一人を庇護できるような状況ではなかった。

 そもそも、思い描いていた理想は都合が良すぎた。同じ屋根の下に住んでいながら世界を住み分けようなどできるはずが無かった。だからこそそれを成し遂げた女が余計に腹立たしく思えたわけだが。

 わかっていた。
 だが、無垢な子供の瞳に映る己の姿に不覚にも驚いたのだ。穢れた自分を睨む子供に弟を重ねてしまったかもしれない。ひどく惨めな気分になり、頭が混乱した。

 激昂した、かもしれない。
 一時の激情の所為か実はその辺りはよく覚えていなかった。女の息の根が止まったのを確認した後は速やかに惨劇の場を去って、養子がどんな様子でいたのかなんて見向きもしなかった。

 思えばこうしているのは罪滅ぼしではなく、自身の無力さを呪っての自傷なのだろう。気が済むまで血を流したいのは、自分の方だ。
 ――たった一人を守れなかった悔しさを紛らわせようとして。

 ぽつぽつと語り終えたゲズゥは、その時になってやっと傍らの少女に目の焦点を当てた。瞬く度に大粒の涙が次々と溢れる程、ミスリアの瞳は濡れている。

「何故泣く」
「貴方が、泣かないからです……!」
 わけがわからない返答に、ゲズゥは無言で眉を吊り上げた。ぽたぽたと涙が手の甲に落ちている。
「でも、ちょっとだけ、安心しました」
 ミスリアは目元を左手の袖で拭いながら続けた。

「私はずっと、ゲズゥが感情に乏しいとか何かが人として欠落してるとか、実は心の中が空っぽだったらどうしようって、思ったりしたんです。でも違うんですね。何の変哲も無い石を裏返せばその下にたくさんの虫が生きているとわかるように、空虚に見えても、心の奥では色々な想いが蠢いていたんですね」

「……正直だな」
「す、すみません。空っぽだとか虫だとか、ふ、不快にさせてしまいましたか?」
 露骨に怯む少女が、何故だか段々と可笑しく見える。

「いや、わかりやすい例えだった」

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