29.a.
2014 / 01 / 23 ( Thu ) 木の根が土から抜け出す音に、慄然とした。 一瞬たりとも無駄にできない。河の中に倒れた大木の上を這って進んでいたゲズゥは右腕を伸ばし、やたら落ち着いた様子の子供を掴み上げては後ろの岸へと思いっきり投げた。 そして激流に喰われつつある樹から転がり落ちて、自分自身は何とか滝を落下せずに済む。 破いた衣服を結び合わせて作った即席の命綱が、ピンと張ってゲズゥを揺さぶった。己の腹部と近くの樹を繋げただけの頼りない物だ。 流されていた大木が視界から消え、次いで大きな衝突音が響く。 川底が切れ落ちる先がここからだと少しだけ見える。高さは5ヤードも無いのがかえって危険に思えた。落ちた先に尖った岩でもあれば、頭蓋骨を割って終わりだ。運良く落ちた先が深ければ即死は免れるかもしれないが、逆に溺れる危機が増す。 水を呑み込まないよう注意しつつ、とにかく綱を上って岸に戻ろうと努めた。指が寒さにかじかんで思うように動かない。川水の冷たさは刺すような痛みをもたらし、今にも四肢の自由を奪わんとする。 抗う時間が長ければ長い程、体力を消耗してしまう。流れに身を任せられたらどんなに楽なことか。 それでも無理矢理にでも手を動かすしかない。指先ではなく掌に集中して力を込め、拳を握るようにして綱を掴む。 河岸に手が届きそうでまだ届かない距離に達した途端、命綱が軋む気配を感じた。布が破れそうなのか――。 ふいに小さな影が岸を降りてきた。 影の正体、聖女ミスリアは破れかけている箇所とゲズゥの間に入り、綱を握って引こうとしている。だが先程もう一人の聖女が言ったように急傾斜で足場が悪く、丸く滑らかな石の上を白いブーツが滑っていく。 どう考えても無謀な試みだ。 「はなせ」 「いやです」 大きな茶色の瞳に映った頑固さと必死さに、何故かゲズゥは焦りを覚えた。 「放せ! 俺とお前の体重比じゃどうにもならない」 気が付けば声を張り上げていた。ただでさえミスリアは非力だ、綱を引くどころか摩擦で掌が擦り剝けているに違いない。 「嫌です! 放しません。私だけが生き残る結末なんて、受け入れませんっ……!」 泣きそうな声が返る。 だからと言ってこのままではどうしようもない。 二人とも流されて絶命、となってはそれこそ最悪の結末だ。 残る時間はせいぜい五秒。岸にさえ手が届けば或いは助かるだろうか。 それを成す為の手段を、今は一つしか持っていなかった。もはや渋っている場合では無い――。 ゲズゥ・スディル・クレインカティは脳から己の「左眼」に向けて、とある命令を発した。 一瞬もしない内に「左眼」が応えた。 ぎゅるり、といった形容しがたい感触と共に左の眼窩に違和感が芽生え――次には、違和感ごと「左眼」が身体を離れていった。 |
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