18.c.
2012 / 11 / 27 ( Tue )
 誰もが黙然と見守る中。ふわりと、甘い香りが舞った。
 ヴィーナが頭領の正面に回ったのだ。不敵に腕を組み、半透明の長い袖を風になびかせながら、自分の倍ある体格の男をしっかり見上げている。

「不公平も何も、表社会の人間が付ける通り名なんて無意味に等しいわ。それより、こんな狭いところでやり合うより後でちゃんと決闘すればいいんじゃない?」
 ねっとり絡みつくような甘い声を発する彼女の表情を敢えて形容するなら――妖しげ、だった。

「そうだな――」
 怒るのかと思いきや、頭領は同意を示した。
「ええ。それにアナタの為に宴の準備がしてあるのよ」
「おお! お前は相変わらず気が利くな」

 ちょうど腹も減っていたことだし、と彼は続けた。
 頭領はまたしても笑い出し、そうしてあっさりと、緊迫した場面が今度こそ終わった。

(簡単に主導権を握った彼女が、本当は一番の大物なのかも)
 ミスリアには到底真似できない。あのまま一人で相対してたなら怖気付いて逃げ出していたかもしれない。
 未だに平常運転に戻らない心臓をそっと撫でる。

「よし、皆飲んで食うぞ! 客も一緒だ! イトゥ=エンキ、案内してやれ」
「はーい」
 闘技場のギャラリーは頭領とヴィーナの後に次々と席を立ち始めていた。お祭り騒ぎが好きなのだろう、わかりやすい興味の移り変わりだ。
 背後のイトゥ=エンキはミスリアの肩を離すと、今度はゲズゥの腕を指で突付いた。

「皆単純っつーかさ、頭の方にばっか気を取られてたから忘れてるみたいだけどさ。お前、スッゲー跳躍力な。あと、嬢ちゃんに対してけっこー過保護?」
「そんなことありませんよ」
 過保護という表現に対し、苦笑い交じりにミスリアが抗議した。
「あるだろ。まー、なんも考えないで飛び出したって印象も強いか」

 ゲズゥは無言で首を鳴らしている。会話に入って来る素振りは特に見せていない。

「嬢ちゃん生きてる? 頭はあんなカンジに空気読まないっつーか好き勝手やる人種だから。姐さんとはお似合いなもんだよ」
「は、あ。熊を素手で倒せそうな方だと思いました……」
 失礼とは思いながらもうっかり口を滑らせてしまった。

「年に何度か一人で狩りに行ってるらしいぜ。流石に素手は無いけど」
「本当に!?」
 熊など並大抵の人間が一人で倒せるような猛獣では決して無いはずだ。しかも彼らは知能の低い魔物と違って賢い。

「ほんと。その内どっかで無茶して死ぬんじゃないかなー、とオレは踏んでる」
「え……」
 けろっと言ったように聴こえたのに、何気なく瞥見したイトゥ=エンキの端整な横顔は、ふざけていなかった。
 それが何を意味するのか、知り合って間もないミスリアには推し量れない。どうしてか、今の言葉に含まれていたのが心配ではなくもっと複雑な感情のように思える。

 人々の波に倣ってミスリアたちも歩き出した。ミスリアとイトゥ=エンキが並び、その二歩ほど後ろをゲズゥが歩く。彼は何か思案に暮れているのか、眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。
 バルコニーを降り、闘技場を去って、一同は洞窟の迷宮へと潜り込んだ。急な暗がりと壁の灯りに目が慣れるまで、ミスリアは何度か目を瞬かせた。

「……イトゥ=エンキさん」
 ぽつりと、ミスリアは前へ視線をやったまま呼びかけた。こんな立ち入ったことを訊いていいのか迷うけれど、思い切ることにした。
「ん?」
「貴方は、お頭さんのことをどう思っているんですか」
 小声で言いながら、目を合わせた。紫色の瞳が少し驚いたように見開かれた。

「どうって言ってもな、大岩みたいなおっさん? 初対面はオレもビビッて腰抜けたよー」
 求めていたのと方向性の違う答えが返ってきて、ミスリアは呆気に取られた。しかも悪びれずに普通の大きさの声を使っている。
「それは……何だか想像が付きません」
「ところが事実なんだよ」

 穏やかに笑う彼を見上げて、ミスリアは不思議に思った。
 この人の取り乱している姿が想像できない。

「いつ頃のお話ですか?」
 ミスリアが訊ねると、イトゥ=エンキは顎に手を当てた。
「そりゃー、十五年前だな」

 最近聞いたような、馴染みのある数字だった。

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