10.b.
2012 / 03 / 08 ( Thu )
「……村の跡地」
頭から手を離し、億劫そうにゲズゥは発話した。
「はい」
ふと、彼が故郷のことを口に出して「忌み地」と一度も呼んでいないことに気がついて、ミスリアは申し訳ない気分になった。なんて不吉で不名誉な呼び方だろう。
後で謝るべきかも知れない。カイルにも伝えておこう。
「跡地がどうしたんですか?」
「封印とやらに、広げなくても通れそうな穴を見つけた。昨日走ってたついでだ」
「え……」
ミスリアは今しがた言われた内容を脳内で整理する。人が中には入れそうな一方で、中に居た人間と変わらない大きさの魔物も出てこれるということ……?
「あの中は昼間でも魔物が闊歩してるんじゃないのか」
ゲズゥが静かに付け足した。ちなみに午後になったばかりの時刻である。
「可能性はありますね」
根拠は、封印の中の草の色。水分が足りて陽光が足りないのは、光だけを遮る何かの存在があるからだ。しかし封印の中の空は広く、建物も無く、木々がすべて枯れているので木の葉が草の栄養を横取りしているなんて道理も成り立たない。ならば、陽光を遮るものは何なのか?
おそらくは瘴気があまりに濃すぎて光が行き届くのを邪魔をしていると考えられる。人の目に見えようが見えまいが、瘴気にはそういう特性もある。薄い雲や膜みたいなものだ。
それより重要なのは、何故ゲズゥが今その話を持ち出したのかである。まさか、魔物が封印から逃れて近くの人々を脅かすことを心配していまい。
「…………聖人と司祭は当分戻らない。今のうちに行って……」
彼は文を途中で区切って、言い終わらなかった。言葉に詰まっているようだった。ぼんやりと遠くを見つめる目になった。
(戦力的に二人が居てくれた方が楽そうなのにどうして敢えて居ない時を狙うの? 魔物と相対してる内に見られたり聴かれたくない展開になるって予想しているとか? 一人で感傷に浸りたいとか?)
悶々と考えたってどれも推測に過ぎない。
ミスリアはゲズゥの横顔をじっと見上げた。黒曜石を思わせる右目がひどく空虚に見えた。
目の前にいる人の心を汲んでやれないことを、急にもどかしく感じる。下手なことを言って傷つけたくはないけれど、黙り込んでいたって分かり合うことは益々不可能だ。
分かり合える保障なんて勿論どこにも無いけれど。
ミスリアは拳を握って、小さく一歩を踏み出した。
「すみません、」
そう話を切り出したら、ゲズゥが顔を上げた。解せないものを見定める風に目を細め、頭の角度を僅かに変えてミスリアの方へ耳を寄せてくる。不意に距離が近づいたので心臓が勝手にドキッと大きく鳴った。
「……何を思っているのか口に出してくれないとわかりようがありません。でも、話したくないのなら無理に話さなくていいです。私はできれば聞きたいんですが……ごめんなさい……うまく言えなくて」
ミスリアは耳が赤くなるのを感じた。
かけるべき言葉がわからないから正直な気持ちを話そうとしたはいいけど、恥ずかしい。
どうしてこんな流れになった? そう、彼が村の跡地に行きたそうにしているから。でもよく考えてみれば、ミスリアが誘われたわけでもない。一人で行ってくるから大人しく待っていろ、と言う話だったら、随分と余計な口を挟んでいることになる。それでも止められない。
「私は同じ体験をしたことがないので貴方が何を感じているのかわかりません。たったひとり取り残される気持ちなんて……」
語尾へ向けて段々と声が沈んだ。
親類縁者が全員いなくなっただけでもひどいのに、ゲズゥはどこへ行っても呪われた一族の生き残りとして迫害され続けてきたのだ。七歳の孤児にとってこの世間がどれほど生きづらかったのか、容易に想像がつく。
だからといってその後に彼が重ねた罪を正当化するつもりは無いが――本当に、十二年前に何があったと言うのだろう。
「厳密に言えば、ひとりじゃないんだがな」
返ってきたのはほとんど聞き取れないような呟きだった。聞き間違いかと疑うほどに。
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