三 - g.
2017 / 03 / 26 ( Sun )
 まだ何も始まってもいないのに、終わってしまったのだろうか。特別な絆は無理でも、せめて良好な関係でありたかったのに――気まずいままでこれから数十年を過ごすことになるのかもしれない。最悪、破談になって国に追い返される可能性だってある。
(どうしてあんなこと言っちゃったの)

 隠されたものを暴きたい欲求か。あれは熟考しない内にうっかり出てきた言葉だったのだろう。
 落ち着いて省みれば、目に見えぬ秘密にそこまで怯えていたわけではない。どれほど恐ろしい素顔だろうと工夫すれば見ずに済むし、どうとでもなりそうなものだ。
 いずれにせよ人の心の傷を抉って良い理由はどこにも無い。

(あー! ひとりでうじうじ悩んでも答えが出ないし、もっと落ち込むだけだわ)
 ――散歩にでも行こう。
 強固な防壁に守られている宮殿だ、夜中に敷地内を徘徊しても安全なはず。
 部屋着姿のまま、バルバが整理整頓してくれた箪笥の中から適当な外套を見繕って肩に羽織る。被り物は要らないが、寒さ対策として外套のフード部分だけはしっかり被る。

「よ、っと」
 小声で気合を入れながら、窓枠に手をかける。この窓はガラスの張られていない、両開きの木製の戸がかかっている種のものだ。
 セリカにあてがわれた部屋は中庭の一角に面している。窓の外をかれこれ十五分は眺めていたが、まるで人が通らなかったのである。つまり窓から庭へ抜け出す分には、誰にも見咎められる心配がない。

 たかが二階、壁伝いに地上に下りられる高さである。後ろ向きに身を滑り出させて、壁を軽く蹴った。
 両手両足をついて着地する。多少の衝撃が関節を襲うが、後を引くほどではない。
(上出来だわ)
 沈んでいた気持ちがほんの少し上昇する。

 夜空はまだ晴れ渡っていて、蝋燭を持たなくても足元が見える。
 まずは中庭の方へ足を向けるも、気が変わって前後回転した。セリカ自身から発せられているプリムローズの香りとは別の、爽やかな花の香りが鼻孔をくすぐったからだ。
 これはマグノリアではないだろうか。セリカが生まれた時期に重なって咲く花、つまりはまだ早いはずだ。

(季節外れに咲いてるのかしら?)
 見てみたい。その気持ちに導かれるままに、香りのする方へ歩んだ。
 建物を回って匂いを辿った先は、防壁に向かっていた。と言っても壁が背後に見えているだけで、それほど近付いてはいない。
 五十歩ほど歩いたら、目当ての巨木と出会った。

 セリカは口をあんぐりと開けてそれを見上げる。
 所狭しと白いマグノリアの蕾をつけた木が、佇んでいた。楕円のような形をしたひとつひとつの蕾は、おそらくセリカの掌の上には収まらないほどに大きい。
 幻想的な輝きだった。まるでこれまでに浴びた月の力を燐光に変換して、再び大気に放っているような印象である。

「きれい……」
 近付き、思わずそう口に出していた。満開であればさぞや素敵だろう。
 信じられない異変は、その時に起こった。
 ざわり。
 木の葉や花の蕾が震える。マグノリアは、想像をなぞるように一斉に花開いた。

「え、ええ!?」
 こんなことがあるのかとセリカは仰天した。美しかった光景に不気味さが差し込まれる。
 後退った一瞬の間に、気付く。
 何かがおかしい。そう、花弁から青白い燐光のようなものが立ち上っているのである。それに、大気に漂う匂いが――

 ――汚濁、腐敗。
 うっと呻いて口元を覆った。耐え難い悪臭に襲われ、胃腸がぎゅっと捩れる。
(普通の木じゃない!)
 それがわかったところで四肢の反応が追い付くわけでもなく。逃げようとして、足が何かに引っかかった。
 後ろに倒れつつ、目は素早く問題の箇所を捉える。

 引っかかったのではない。絡め取られたのだ。
 人面のようにも見える凹凸を表面に浮かび上がらせているそれは、木の根、なのだと思う。
 凄まじい力で足首が引っ張られた。
 世界が逆転する。

 悲鳴を上げる間もなく、セリカの喉は、ひゅっと嗚咽を漏らしただけだった。
 地面が遠ざかってゆく。
 逆さに滲んだ視界の中で、羽織っていた外套がヒラヒラと長い時間をかけて地面に舞い落ちるのを見た。

 放心した。
 風になびく髪、ぶらんと垂れ下がる両腕、ずり落ちる衣服。
 なんて無様な格好だ。死がすぐそこに迫っているというのに、セリカはそんなことしか考えられなかった。




お客様の中にアルシュント大陸初心者はおりますでしょうか?
腐臭がしたら警戒してくださいネ

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