03.h.
2012 / 01 / 01 ( Sun )
 安穏とした旅にならないのはわかっていたけど、いきなり逃亡生活に入るとは流石に思ってなかった。
 何が悲しくて、会って一日も経ってない異性に背負われながら、深夜に野外を逃げ回らねばならないんだろう。
 
 人生経験が浅いミスリアの想像力は、ここまで及ばなかった。

 ゲズゥの行動や判断に抵抗を感じてはいる。でも、どれも生き延びるためだと頭で理解できる以上、感情でそれを拒むのは間違っている気がする。ミスリアは、社会的に自立した一人前の「聖女」になりたかった。世間の目にはまだ「少女」にしか写らない。だからこそ感情を押し殺し、やるべきことをやれるように鋭意努力中だ。

 自分にとってもまだ自分は「子供」でしかないのだから。

 それに比べ、次々と襲い掛かる怒涛の展開に眉一つ動かさずに冷静に対応するゲズゥは、素直に凄いと思う。
 彼からは戸惑いのようなものがほとんど感じられない。そうやっていつも生き延びるための最短の道を選んできたのだろうか。それとも何も感じない鋼鉄の心臓なのだろうか。

 死ぬはずだった日から、切替の早さがまた凄い。
 今回は脱獄を試みた形跡が一切無いらしいので、生きる気力が低下していたはずなのに、数時間でこの立ち直りよう。

 彼の心の動きに大変興味がある。けど、訊く勇気が足りないので推し量るしかない。

 もやもやと考え事をしているうちに、ゲズゥは淡々と走り続けている。周りの景色が目に留まらないくらい速い。もう彼の底なしの体力に関してはいちいち突っ込んで考えないことにした。調書を読むだけでは知りえなかったことに、今は感謝する。

 あの一体以来、魔物には遭遇していない。
 どこからか慟哭が聴こえる度に、ミスリアは胸が痛んだ。教団で修行を積んだ頃にアレらの性質を十分学んでいた。実践訓練などで浄化したことも多くあった。それでも魔物を浄化したあとは、何度やっても慣れないような、奥深い空虚が残る。
 
 そして今、眠くなってきている。

(いい歳して、おんぶされた状況で眠くなるなんて)

 夜が更けてきたし、連日の疲れもたたってるとはいえ、恥ずかしい話だ。
 ただ、ゲズゥの背中は妙に心地よかった。子供の頃を少し思い出すような。同時に、それとはまた別なこそばゆさを感じる。何故かはわからない。

 睡魔に投降する前に、せめて言おうと思っていたことがあった。ちょうど、ゲズゥが一息ついて立ち止まっている。

「さっき消えられた時は、置いていかれたのかと思いました」
 暖かい背中にコテンと頭をつけて、言った。

 夜盗が現れた時のことだ。見捨てられたと思った瞬間の絶望がまだ消えない。
 言ってどうなるわけでもないけど、これだけは呑み込めなかった。

 二人の関係はまだ、会ったばかりの他人なのは事実である。でも今後は運命共同体のようにならざるを得ない。身代わりになって死んで欲しいなんて欠片も思ってないけど、旅の供として一緒に困難を乗り越えていかなければならないだろう。

 その上でやたら仲良くする必要は無いにしろ、利害ではなく協力関係でありたい。少なくとも、どっちかがどっちかを見捨てるなんてもってのほかだ。結果論でいえば今回は違ったけど。

 ゲズゥが「引き受ける」と言ったからにはそういう解釈をしてくれるのだと思い込んだ。
 思い込みは思い込みでしかなく、結局は話し合うべき点だと改めて思った。

「…………別に俺はそんな半端なことはしない」
 少しだけ頭を振り返って、ゲズゥが応えた。

 どういう意味で言っているのかさっぱり聞き取れなかった。
 もっと話がしたいのに、意識が遠のいてきて返事ができない。

「寝てろ」
 低く響く声が耳にきもちいい。

 安心して目を閉じ、ミスリアはそのまま深い眠りに落ちた。

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04:22:29 | 小説 | トラックバック() | コメント(2) | page top↑
03.g.
2011 / 12 / 31 ( Sat )
 断末魔をあげるひまも無く、魔物は半分ずつになって倒れた。

 残骸はまだ脈を打ち、いつしか尾だけでなく表面中に人面が浮かび上がっている。

「おい、」
 聖女が残骸に手を伸ばしているので止めようと声かけた。ただでさえ座り込んでいる余裕は無いだろうに。まだ、他の魔物が追ってこないとは限らない。

 めくるめく人面に触れそうで触れていない距離で手を止め、聖女は何かを小さく呟いた。
 ゲズゥには聞き覚えの無い言葉だ。知らない言語だろう。

 忽ち(たちまち)帯のような金色の輝きが聖女の指先から展開され、広がった。残骸をまるごと包む。
 これは確か「聖気」、先刻ゲズゥの怪我を治した力である。

 まさか魔物を再生させるわけでもあるまい。どういう意図でやっている?
 懸念はあるが、とりあえず手を出さないでいた。曲刀を鞘に収めて腰にさげた。

 残骸からいまや弱々しく立ち上っていた青白い炎が金色の帯と混ざり合い、銀の光に変わった。

 不可思議な現象だ。

 見ると、苦しげだった人面どもが顔を緩めている。笑顔とまではいかなくても、安堵したような、楽になったような、そんな表情になっている。

 魔物の肉体が粒子化をし始め、浮いている。朝日を浴びて霧散するときに似ているが、その時の欠片はもっと暗い色だったはず。今のような銀色ではないし、ゆっくり浮くのではなく砂のようにサラッと風にさらわれるものだ。

 やがて、残骸は残らず散らばり、重力に反して銀色の粒は文字通り天へ昇った。

 周囲から聖気がなくなっている。
 聖女は立ち上がろうとして、よろめいた。ゲズゥは半ば反射的に手を伸ばして支えた。

「ありがとう……ございます……」
 立ちくらみを起こしたらしい。それでなくとも、移動その他で体力は限界まで消耗されているだろう。

「ちゃんと、浄化しなければ魔物は……何度でも再構築、されますから……」
 それでも説明しようとしている。先ほどの行動の不可解さに自覚はあるようだ。

 浄化。異形のモノを真に消滅させる方法が、それだという。過去から今までにゲズゥはそんな場面に出くわしたことが無いのは、聖女や聖人の知り合いがいないからか。

 興味深い話だが、物事には優先順位というものがある。ゲズゥは聖女の前にしゃがんだ。

「負ぶされってことですか?」
 背後から驚いた声。

「今のお前が走れるとでも」
「……思いませんが……。あなたは、大丈夫なんですか?」
「必要ならやるだけだ」
 
 聖女を振り返れば、彼女は怪訝そうに顔をしかめている。

「でも背中を打ったのではありませんか? 顔の傷も、治します」
「後でいい」

 しばし考え込んでから、聖女はそっとゲズゥの肩に手を置いた。そのまま負ぶさる。
 背中に痛みが無い。ゲズゥは聖女の仕業だとすぐに察した。

「では移動しながら治します」
 そんなことが可能らしい。どういう条件下で発動できるのか不明だが、本当に便利な力である。

 しばらく走ったところで。
 またどこからか、魔物の鳴き声が聴こえた。

 夜盗のところにいたやつらか、はたまた別の個体か。忙しいことだ。

「……逃げても多分、撒けません。魔物は遠くからでも、『聖気』に惹かれますから。たとえ力を使わなくても、聖人・聖女であるだけで集中的に狙われます」
 聖女は静かに語った。

 本来魔物が少ない地帯に急に複数発生したのも、それなら合点がいく。
 そういう情報は早めに言え、と思ったが口には出さなかった。今更、詮無きことだ。
 魔物から逃げること自体が無理だとしても、今走って国境との距離を縮めるのはたいへん有益な選択である。

「彼らは、救われたいのです」
 またしても悲しそうな声で、少女は呟くのであった。

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06:01:33 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
03.f
2011 / 12 / 29 ( Thu )
 近づいてくる魔物のとんでもない腐臭が鼻につく。下水道に放置された死体並にひどい。無視するに相当な気力を要する。
 
 だが背後から襲われるならともかくして、真正面から飛んでくる標的を斬るのはさほど難しく無かった。

 左肩に少女を担いだまま、右手だけで刀を薙いだ。
 魔物の腹部をざっくり裂くと、傷口から紫黒色のどろどろした物体が飛び出た。人間でいえば血に該当する液体だろう。

 ギィェエエエ、と金切り声をあげながら魔物は空中で回転した。痛覚はあるらしい。そのまま落下するかと思いきや、強く羽ばたいて軌道を変え、再び向かってくる。大して深く斬れていないということか。
 
 最初の突撃は横に跳んで難なくかわした。
 またしても魔物は方向転換して戻ってくる。

 今度の攻撃は既(すんで)のところで回避したが、足爪の部分がゲズゥの頬をかすめた。
 見た目より魔物の質量が多く、かすめただけで仰け反った。倒れずにすんだと思ったのも束の間。

 魔物は首から尾をほどき、回転で更に勢いをつけて二人を鞭打った。
 刀を振り上げたが、手首ごと打たれた。そのまま体当たりされ、体勢が崩れる。ゲズゥの背中は地面に強く当たった。

 激痛に耐えつつかろうじて上半身を起こすと、聖女が数歩離れた位置で草の上を転がってるのが目に入った。

 魔物は迷わず聖女を選んでホバリングしている。大きく裂けた口から、よだれと思しき液体を垂らしながら。
 聖女はうつ伏せ状態から上体を起こした。

 異形のモノを目の前にして少女が怯えるのかと思ったが、違った。
 聖女ミスリアは怖がる素振りを見せず、瞳にはむしろ……憐憫の情が表れていた。ゲズゥにはその理由がわからないが、考えるだけ無駄だということはわかる。距離による見間違いである可能性もある。

 魔物は着地した。敵が聖女に集中し、こっちに背を向けている今がチャンスだ。前方へ向ける注意を保ちながら、ゲズゥは傍に落ちたはずの刀を目で探す。

「なんて、哀れな……」
 聖女が悲しそうに呟くのが聴こえて、疑問に感じた。

 一体何に同情している?
 今にも自分の頭に被りつきそうな化け物に?

 考えるだけ、無駄。

 音を立てないように地を這って曲刀を手に取り、ゆっくり立ち上がる。

「……ゲズゥ・スディルさん。お願いです、どうかこのモノを救ってください」
 懇願だった。

 あまりにも聞き取りにくい囁きだったためか。
 呼ばれてるのが自分だと遅れて気付いた。次に、何を願われたのかわからず耳を疑った。

「この者を、楽にしてあげてください」
 魔物が大きく口を開き、よだれが聖女の髪に垂れた。本当に被りつきそうだが、動きが鈍い。獲物を追い詰めた余裕、それとも悦びからか。もともと知能が低い存在だ。生きた動物と違って、狩りを果たしたあとに己が無防備になることを警戒するほど、気を回せていない。

 あの妙な人面尾がまた首に巻きついていて、先っぽが聖女の耳を撫でている。気味悪い光景だ。

 ゲズゥは一歩ずつ、曲刀を腰の下に構えたまま、慎重に踏み進んだ。

 聖女は静かに涙を流している。
 小さいピンク色の唇が音もなく動いて言の葉を紡いだ。

 「斬って」、と。

 その願い通り、ゲズゥは曲刀を両手で握って力の限り振り上げた。
 地から天へと銀色の弧を描きながら、刀は異形のモノを両断した。

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15:12:39 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
03.e.
2011 / 12 / 28 ( Wed )
 すぐ近くに魔物が出現した以上、一箇所に留まるの危険だ。
 夜盗どもの出方を待つまでもなかった。

 咆哮からして最少でも四匹が近づいてきているとゲズゥは推測した。

 聖女は魔物の声が発生している方向を向いて呆けている。腰も抜かしたのか、今だに腕を掴まれたまま自力でしっかり立とうとしない。何を考えているのか表情から読めない。

 この場合、それはゲズゥにとってどうでもいいことだった。
 彼は躊躇なく少女を腰から引き寄せ、肩に担いで走り出し、その場をあとにした。

「きゃっ!?」
 遅れて我に返った聖女が小さく悲鳴を上げる。

 暴れようかつかまろうか決めかねているらしく、小さな手をばたばたさせてゲズゥの背中を上着の上から引っ掻いている。
 
 やっとうまくつかまって、聖女は大人しくなった。今の流れのどこかでヴェールが落ちたらしい。風に揉まれて柔らかい茶髪がゲズゥの顔や首に触れる。暖かい。

 背後ではなにやら叫び声が飛び交っているが、知ったことではなかった。
 いくら何でも一人で四匹以上の魔物を同時に相手にするのは困難だ。

 魔物があの夜盗ども五人を喰らおうとしている間にできるだけ遠くへ逃げるのが得策といえる。向こうには手負いも居て、全体の機動力が落ちている。ちょうどいい時間止めになるはずだ。
 ゲズゥの即座の判断が人道から外れていようと、誰にも彼を責められまい。

 聖女も、黙っていた。
 それでいい。喚かれたって気が散るだけだ。

「ひっ」
 唐突に、聖女が鋭く息を呑んだ。

 後ろを向いている彼女に見えたモノが、ゲズゥにはおぞましい気配として届いた。
 気配の主は二人の頭上を通り過ぎ、そして前方の岩に着地した。

 全身から青白い揺らめきが立ち上っているのが、夜の闇には異様な光景だった。

 人に似て脚が二本あり、膝関節も、胴体の長さも、首も顔も、二つの眼と一つの鼻と二つの耳も、人間と構造が似通って見える。ただし、長く尖った耳まで口が裂け、長さの揃わない牙が何本も生えている点が明らかに違う。
 
 腕の代わりにコウモリのような、膜の張った羽を持っている。ゲズゥは足が速いが、飛ぶ敵になら追いつかれても納得できた。

 尻から伸びる長い尾が何故か己の長い首に巻きついている。
 人間の拳より大きな丸い玉がついてるような尾の先が、にゅるりと前へ伸びてきた。

 尾の先に人面がいくつも現れ、それらはくるくると変動し続けている。何度顔が溶けてまた形作られても、いずれの顔も苦しげに表情を歪めている。叫ぼうとしているようだが声が出ていない。

 ニィ、と魔物が白目をむいて笑う。翼を広げている。
 長い足の爪を向き出しにして飛び掛ってくる。その動きは、猛禽類のようだった。

 ゲズゥは曲刀を構えた。

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23:51:23 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
03.d.
2011 / 12 / 28 ( Wed )
 逆上して飛び出そうとする同胞を、リーダーが制した。
「待てよ」

「あん? なんすかっ」
 止められた濃い肌色の夜盗は松明を片手に、直剣を片手に持ったまま、リーダーを振り返った。

「よく見ろ、バカ。ソイツ、左目がヘン。『呪いの眼』じゃねーかぁ?」
 リーダーが指を指している。

 ゲズゥは倒した夜盗から曲刀を剥ぎ、右手だけでそれを試すように振り回している。刀は、彼の腕より短い。

 顔をよりよく見るために、濃い肌色の男は松明を目前で振った。
 リーダーが言っていたことを確認し、怯んだ。

「でもそんなん滅びた種族じゃなかったんすか」
「だーかーらぁ、たった一人の生き残りが『天下の大罪人』なんだろっちゅー話」
「げぇっ」

 ミスリアの予想以上にゲズゥは有名人らしくて驚いた。
 でもそんなことより、『呪いの眼』の一族が滅んでいたというのは、初耳だった。もともと情報の少ない種族だ。シャスヴォル国内でなければ知れ渡っていない事実か、公にされていないだけかもしれなかった。

「ウカツに手ぇ出したらコイツらみたいになるぜ」
 リーダーは既に倒されてる仲間たちを指した。

「じゃ、引けってんですか」
 不満そうに濃い肌色の男は言う。

「んなこたぁ言ってねーさ」
 酒臭い男が斧を構えて横に走り出した。
 察したようにもう一人もまっすぐ走り出す。

 リーダー夜盗が一丁の斧をこちらへ投げたように見えた。
 ミスリアは動けずに、迫ってくるそれを目で追っている。

 女の子の顔狙うなんてひどいな……と、その場に不似合いな雑念が沸いた。

 すると物凄い力で腕を掴まれ、横にさらわれた。
 斧は空を切り、しばらく回転しながら飛び続け、低木に刺さった。ドカッ、と低い音がする。

「ほぅら助けた。何でか知らんが天下の大罪人の弱点は嬢ちゃんだってことだ」
 輪を描きながら、リーダーの方はまだ走っている。

 正面を猛進してきた方の夜盗が先に二人にたどり着き、直刀を振り下ろす。
 曲刀でゲズゥが応じる。片手はまだ、ミスリアの腕を掴んだままだ。
 
 状況的には不利だろうに、器用な真似をする。何とかしてあげたいと思ったけど、下手な手助けを試みるより邪魔にならないように努力するのが最善に思えた。

 酒臭い方の夜盗がまた斧を投げようと構えるのが見えた。何か警告の言葉を伝えねばと口を開けた瞬間、

 ――オオオオオオオオオォォン!

 獣の慟哭が響いた。それは猛獣が空虚と悲しみに吼えたようであり、なのにどこか人間的な渇望を彷彿とさせるものがあった。呼応するように、数秒後にまた別の鳴き声。複数いるというのか。

 近い。
 ものすごく。

 立って動き回っていた二人の夜盗も、意識ありながらうずくまっていた二人の夜盗も、完全に注意をそっちに向けた。夜に活動する彼らなら、警戒している存在だ。
「この辺りはいつも数日に一匹しか出ないぐらい少ないはずなのに、何で昨日今日とまた魔物がわんさか出やがるんだ!」

 リーダーが天を仰いで舌打ちする。

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01:44:44 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
03.c.
2011 / 12 / 27 ( Tue )
「あれ、カレシに見捨てられた? カワイソー、オレらがいるから泣かないでねん」
 いやらしい声の男が生き生きと言う。奴らは、夜道を歩くカップルを襲うつもりで近づいてきたらしい。最初から二人合わせてやり込めると見積もって。

「別にヤローの方はいらねーよ。何も持って無さそうだったし、せいぜい奴隷としてどっかに売ろうにも安値だったろーよ」
 ミスリアが認識した三人目の男は、背筋の曲がった大男だった。

 気味悪い夜盗どもが今まさに襲ってくる恐怖より、ミスリアにとってゲズゥが居なくなったことの方が遥かに重要事項だ。
 予想できていたとしても、実際に起こると衝撃だった。
 
 見捨てられた。逃げられた。この場面で。まだ、国境が全然遠いのに。
 それどころか、苦労してシャスヴォル国に来た意味すら皆無に等しい。

 ウソツキ、薄情だ、非道だ、なんて怒っても仕方が無かった。人を見る目がなかったというだけの、自業自得だった。
 今にもくずおれそうな膝に力を入れて、なんとか持ちこたえた。

 この場をしのぐことが最優先だ。
 生きたまま売られるというのなら、どこかに逃げる隙があるか……。
 目が潤む。まだ旅立ってもいないのに早速災難に遭うって。なんて醜くて恐ろしい世界だろうか。

「しっかしビックリだぜ。マジ逃げ足はえーし」
「ホントいつの間に」

 夜盗たちの視界からも、ゲズゥは唐突に消えたらしかった。

 まぁいいかそれよかさっさとお嬢ちゃんを捕まえようぜ、と酒臭い最初の男が言う。こいつがリーダーらしかった。
 背筋の曲がった大男の無骨で汚い手が、ミスリアの右手首を掴んだ。

 手首にかかった圧力に反応して全身に恐怖が流れた。灯りに浮かぶ薄笑いに寒気がした。
 怖くて声すら出ない。逃げる隙なんてあるわけない、と本能が訴える。心は絶望に満ちた。

 と、その時。
 何か影のようなものが大男に横から衝突し、男を吹っ飛ばした。

 ミスリアは解放された手をすかさず引いて、さすった。気持ち悪さは消えない。
 一拍ほど、何が起きたのか誰も飲み込めずに居る。

「おい、何だいまの」
 いやらしい声の小柄な夜盗が松明を片手に、飛ばされた男の様子を見に行くと、影が再び旋風のように通り過ぎて夜盗を反転させた。ゴツッ、と嫌な音がする。

 宙に飛んだ松明を目で追ったら、見覚えのある手がそれを受け取った。
 影の正体はゲズゥだ。前が開いたままの上着がヒラヒラしている。変わらず無表情だ。

「コイツ、逃げたんじゃなかったのか。あんまコケにしてくれんなよ!」
 残る夜盗の一人、歯が何本か欠けている男が右手で曲刀を抜いて襲い掛かる。

 ゲズゥは右手の松明で刀を受け止めたが、鉄と木では鉄の方が勝る。松明は半分に切られ、炎の部分は再び宙を舞う。
 しかし切り終わる以前にゲズゥは松明を手放した。間合いをつめ、空いた左腕で夜盗の右肘を掴んで封じ、間髪入れずにみぞおち目掛けて蹴りを入れた。キレイに決まったらしく、相手はうめき声を漏らして倒れた。

 当のゲズゥは落ち着いた目をしてる。
 彼の流れるような動きに、残った夜盗二人は呆気にとられていた。

「……襲ってくれて好都合だな。礼を言う」
 ゲズゥはぼそっと静かに呟いた。
 皮肉のようで、本気で言ってるようにも聴こえる。

 気が抜けて、ミスリアはそのまま膝から崩れて草の上に尻餅ついた。
 ミスリアを背にかばうようにゲズゥが正面に立っている。ズボンのポケットに片手を突っ込んで、まったく緊張感を纏ってない。むしろ息も上がっていない。一体どういう運動神経をしてるというのだろう。

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12:30:18 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
03.b.
2011 / 12 / 25 ( Sun )
 最後の会話から数十分、沈黙の中で歩き続けている。
 ミスリアは段々、くるぶしまである長さのスカートが鬱陶しくなってきた。かといって脱ぐわけにもいかない。一目見て「聖女」のそれとわかる制服は身元を示すに役立つ反面、動きにくいのであった。首都を出て道がなくなったから余計に、草を踏み分けるのが面倒だ。

 着替えや非常食など旅に必要な本格的な支度は、これからする予定だ。ゲズゥ・スディルの処刑を止めるのが先決だったために後回しになった。ミスリアは懐にしまい込んでる貴重品しか所持してない。

 十歩先を歩く青年を仰ぎ見た。
 身長差や体力差があるからどうしても歩幅が違う。ゲズゥには、足並みを揃えるつもりも無いらしい。ブーツが足にこすれて痛いのに、ミスリアはまだ言い出せずにいる。

(まぁ、なんとかやっていけるかな……思ってたより協力的だし)
 それがどこまで表面だけのものかが問題だが。

『死を免れるためなら、人間はどんな甘言でも吐くぞ』

 シャスヴォル国の国家元首の言葉を思い出す。
 甘言を吐くようなひねくれた性格には見えない――なんて、出会って一日も無いのに結論付けるには早いか。

 先が思いやられるけど、それでもどこかわくわくしている自分がいる。
 誰かと長い旅をするのも北へ行くのも初めてだ。不安よりも純粋な好奇心が勝る。

 その時、前を歩いていたゲズゥがふいに足を止めたので、隣に並んだ。

「何か?」
 問いかけても彼は前を見据えたまま、答えない。何かに気づいたのだろうか。
 ミスリアも注意を払ってみる。

 夜のそよ風の匂い。
 どこからともなく響く夏の虫の鳴き声。

 日が暮れて間もないので、辺りは宵闇に包まれつつある。
 辺りは丘と岩と低木ばかりで、民家の気配が無い。

 流石に一晩中歩き続けるには暗い。ミスリアは夜目に自信が無いが、夜通し行動し続けることを提案したからには、ゲズゥは見えているのかもしれない。晴れているのがせめてもの救いで、星の光に期待できる。新月なので月の姿はない。

 再びゲズゥの顔を見ると、彼は眉をひそめていた。

 何かと思って前を向いたら、そこでパッと明かりが灯った。松明の炎だ。複数の人間が前方にいる。そして素早く近づいて来る。岩や低木のそばに潜んでいたのだろうか?

 急に明るくなったので、驚いて何度か瞬いた。目の焦点が合わない。

「嬢ちゃんよぉ、こんなトコォ夜中うろついちゃ駄目だって、母ちゃんに教わんなかったんかい」
 酒の臭いのする男が言った。

「キレイな格好してるな。懐には何かイイモノ持ってたりしねーか、嬢ちゃん」
 いやらしい声のトーンで、別の男が言う。

「別にいいぜ、手ぶらでも。高値で売れそうだよなぁ、聖女とかって」
 うけけ、と三人目の男が喉を鳴らしながら言った。

「やべーよ、オレ我慢できねーからヤっちゃっていい? ダメ?」
「手ェ出したら価値下がるんじゃね?」
 またしても別の声が二つ。

 ようやく明かりに目が慣れてきたと思ったら、大小さまざまな体型をした五人の男が、半円を描くようにミスリアを囲んでいる。

 人生経験が浅いミスリアとて、すぐに状況を飲み込めた。夜盗だ。当然、全員が何かしら血に錆びれたと思しき武器を携えている。

 思わず隣を向いたら、驚愕に身を固めた。
 さっきまで居たはずのゲズゥが忽然と消えている。

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12:26:50 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
03.a.
2011 / 12 / 25 ( Sun )
 全身白装束の少女が物思いに耽ってうろうろ歩き回る様を、ゲズゥは地面に座って眺めていた。彼は首都の外へと続く一本道の脇の茂みに、膝を立ててくつろいでいる。手枷が外され、上着とズボンもそのままもらった。他には何も無い。シャツを着てないので胸板はあらわなままで、裸足、そして見事に手ぶらだ。これから長旅をする以上、身軽なのはいいが、少なくとも丸腰は早いうちに改善しないといけないだろう。靴も望ましい。

 殴られた箇所や傷は、聖女の力で跡形もなく消えている。頭の裏にできていたはずのこぶに触れるが、何も変なところはない。むしろ牢獄生活で首の根元まで長く伸びすぎていた髪の方が気になる。

 晴れ渡った空を見上げれば、太陽が傾いていた。もうすぐ日が暮れる時刻に達する。

 解放されてから二人でずっと歩き続け、人目のつかないような小道を選んで、なんとか首都の周辺近くまで来たのである。

 聖女に関しては、見た目のか弱さから体力も無いのではないかと気がかりだったが、並みの少女よりちょっと下程度でまだよかった。走ったり激しい運動はできなそうだが、歩き慣れているようだ。何度か休憩しつつ、まだ音を上げてない。

 それでも、このペースで五日は間に合うかどうかあやしい。ゲズゥだったら昼夜ほとんど休まずに走れば二日もいらない。最悪、担いででも国境を越えることになるだろう。馬さえあれば楽だが、残念ながらシャスヴォル国首都では一般市民の乗馬が許されておらず、軍馬か荷台を引く馬しかない。馬車もない。

 当面の問題は、今夜の宿をどうするか、である。
 その重大さに気づき、歩きながら聖女が考え込んでいたが、結局いい案が思いつかずもうこんなところまで来た。

 もとよりゲズゥにとっては予想の範囲内だ。むしろそれに気づかなかった聖女の方が考えが甘いということか。

 二人は今まで、それぞれ世界のまったく別の部分で生活していたのだ。聖女を迎え入れるような場所に当然ゲズゥは入れず、またゲズゥが簡単に入れる場所からは聖女が弾き出される。

 聖女ミスリアは道中、教会や医療施設や養護施設で泊めてもらっていたらしい。賃金のかわりに、慰問をしたというわけだ。

 今度はそうは行かない。穢れにまみれた罪人を連れている以上は。

 かといって普通のホテルも駄目だ。この国での「天下の大罪人」と「呪いの眼」の知名度は高い。簡単に泊めてくれる宿が見つかるはずも無かった。

「いっそ、野宿……?」
 足を止めて、ポツリと聖女が呟いた。

 それまで彼女が何をひとりごちても放置してきたゲズゥが、ようやく口を挟んだ。
「もう首都の外れだ」

 くるりと聖女が振り返った。レースで縁取られた白いヴェールが、ふわりと宙に舞う。
「わかっています。首都というものは、教会の配置によってできる結界が守っていますから。そこから出れば、私たちは魔物に襲われる」

 それは教団がアルシュント大陸にある十八カ国すべてに平等に与えたものだ。それぞれの国の首都はそうやって魔物から守られ、夜でも民が出歩けるようになっている。
 教団との関係次第で他の都市にも設置してもらえるが、いかんせんシャスヴォルは首都以外に結界が無い。

 夜を出歩くならば魔物を退けるか退治するかぐらいの技量が必要になる。

 武器さえあれば、気にならないのだが。
 国家元首こと総統が居る首都では迂闊に買い物ができなかった。奴の監視下だと、何かしかけられそうだ。五日のうちに国から出られなかったら討伐隊を送るとは言っていたが、それまでに他の形で妨害されないとは限らない。

「寝なければいい」
「え? どういう意味ですか?」
「屋外で寝てれば食われるが、起きてれば逃げられる」
「それは……ものすごく大変なことでは……」

 聖女は困惑気味に口ごもった。
 一晩中、魔物から逃げ回れというのは、確かに酷かもしれない。

 だが、難しいだけで不可能ではない。朝になれば魔物は一旦霧散する。夜になれば再度形づくられる。そのサイクルに乗じて、むしろ昼のうちに寝るのも戦略だった。ゲズゥは今までに何度も何度もやっている。
 
「首都の結界の中に残って、夜をやり過ごすのは……」
 宿が無いので、ギリギリ結界の中で野宿しようということだ。けど人目につかない場所は限られている。聖女もそれは理解しているだろう。言い出しておいてあまり乗り気じゃない。

「時間がもったいない」
「そう、ですね……」

 はっきりと「私には無理です!」と抗議してこない点を、立派か強がりかと評すべきか。聖女がゲズゥのような体力の持ち主であるはずがないのに、まだそれを主張していない。普通の人間ならば普通に寝たいはず。そうでなくとも魔物を怖がるはず。

 ふぅ、とため息をついてから、聖女が真っ直ぐゲズゥを見据えた。

「私には、土地勘も無ければこの国の夜を経験したこともありません。来た時は違う道でしたし、案内役がいましたもの。あなたがこうするべきだと自信を持って勧めるなら、私はあなたの判断に従います」

 聖女は自分には決断するための材料が足りないからと、それをゲズゥに委ねるという。
 もっと頑固そうな最初の印象が、改められる。
 
 実は、ゲズゥだって何年かシャスヴォルに住んでいないわけだが、大体の土地勘は残っている。

 首都は国の中心からちょっと北へずれた位置にある。
 この道をさらに北西へ進み続ければ街から出て、丘が広がる。その後に農地が延々と続き、農地を抜ければ大きな林がある。林の中の河が国境だ。
 
 ゲズゥは一度頷いて立ち上がり、そして念を押した。

「必要になったら担ぐぞ」
「お願いします」
 十代半ばにしか見えない少女は微笑んだだけだった。

 思春期前後だろうにその歳でご苦労なことだな、と妙な感想を抱いた。

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02.f.
2011 / 12 / 24 ( Sat )
 ゲズゥはミスリアに再び背を向け、手枷をぐいっと引っ張った。つられて鎖が引かれ、先を持ってたらしい警備兵が強引に引き寄せられて扉にぶつかる。

「がはっ! 何をする!」
 勢いで開けられた扉からは、複雑な表情の総統やその他の人間が一同に待機していたのが改めて確認できる。

「はずせ」
 簡潔に、用件だけをゲズゥが兵に言い放った。

「馬鹿言え! 調子に乗るな、下衆が――」 
 ぶつけた額をさすり、警備兵が殴りかかりそうな勢いでゲズゥに詰め寄ったが、言い終わらなかった。

「ひぃっ! の、呪いの眼」
 他の人間も怯むのを見て、ミスリアは疑問に思った。

(シャスヴォル国ではどういう風に言い伝えられてるんだろう? すごい怯え方……。呪いの眼の一族はこの地域にしか居ないらしいし、国外へはまったく情報が漏れないから、私には『呪い』のイメージが沸かないわ)

 首を傾げて想像してみたが、わからないものはわからない。

 警備兵の縋るような視線に、髭を生やした方の側近がうなずき、代わって指示を仰いだ。
「閣下、どういたします」

「そうだな……聖女、ミスリア・ノイラートよ」
 総統は警備兵を押しのけ、部屋の中へ踏み入った。

「はい」
「罪人を罰さない法など、それだけで秩序を乱すこととなる。はじめはたったの一件でも、いずれ社会を保てなくなる」

「瘴気と魔物が蔓延する世界なんてそれだけで秩序を失っているでしょう? これは歯車を元に戻すために必要な措置のうちです」

「……魔物の点に関しては反論しないが、収拾をつけねばなるまい。ゲズゥ・スディルは、今より国外追放の身とし、二度と我がシャスヴォル国の土を踏むことを禁ずる。もしも発見されれば、その場で即座に斬り捨てる。以後、教団がどのような決断を下そうと、覆ることは無いと思え」

 総統は腰にかけていた剣をスラリと右手で抜き、ゲズゥ目掛けて振り下ろした。呪いの左眼の一寸前で止まる。総統のほうが身長が低いので腕が斜め上に伸びている。
 ミスリアは小さく息を呑んだ。

「わかったら、跪いて感謝するがいい。少女に守ってもらって、ひどい社会のゴミだ。返事のひとつもできないか?」
 
 ゲズゥは総統をしばらく睨み、次に蔑むように鼻で笑った。目がまったく笑っていなくて怖い。

「貴様……」

 総統がそれ以上何かを言う前に、ゲズゥがその顔に唾をかけた。

 あまりのことに誰もが呆気に取られ、すぐに激昂した。
 側近の一人がゲズゥを殴り、兵も加勢して、床に押し伏せた。そこに他の兵が近づき、頭を蹴る。

「やめて! やめてください!」 
 ミスリアの叫びもむなしく、何かの熱に浮かれたように何人もの軍人が無防備な青年に暴力を振るい続けた。割って入る体力も勇気もなく、見守るほかない。

「やめんか!」
 我に返った皆が総統を振り返る。顔は既に拭いたあとらしい。
 総統はコツコツと歩み寄り、かがんでゲズゥを覗き込んだ。

「クズこそ怖いもの知らずか。だが、どっちが無様だ? だから、素直に跪いていればよかったものの」
 従えている部下に比べ、統率者の方は明らかに権力者の余裕があった。無礼を働かれたのに総統は涼しげに笑っている。

「……たのまれ、って……こんな……クソの、溜まり場みたいな、国に…………」
 途切れ途切れにゲズゥが言葉を吐く。
 頭を抑えられながらも、頭上の総統を向こうともがいているようだ。唇が切れて血が出ているのが見える。

「――もどるものか」
 囁きのような恨み言だった。
 ほとんど感情を見せなかったゲズゥが、赤黒い憎悪を両目に宿した瞬間だ。

 ふん、と総統は急に興味が失せたようにさがった。

「クズが何を言っても我々には届かん。それよりも」

 総統がミスリアの方に向き直る。
 ミスリアは、動揺を隠すために、ぱっと微笑んだ。ちょっと不自然かもしれない。
「何ですか?」

「五日の猶予を与える。五日目の夜明けまでに国境を越えなかったら、討伐隊を組んで追うから、心しておけ。聖女ミスリアの言い分を受け取った上で、これが我々の譲歩だ。それまでに国外へ出た場合、二度と関与しないことを誓おう」

「討伐隊をかわし切って、国外へ出られた場合は?」

「ありえない。先回りして最精鋭部隊を送るゆえ、いくらこやつとて、少女を守りながら全員を相手になどできまい。我々はそなたを人質に取ることも厭わぬぞ。聖女を見捨てたら、教団をも敵にまわす事になるな。逆にこやつがそなたを人質にとっても無駄だということになろう」
 
 よくできた理屈だった。どの道ミスリアを守り抜けないなら護衛として失格だ。かばう理由がなくなる。

「せめて十日にしていただけませんか?」
「五日だ。そこは譲らない。十分な時間であるはずだ」

「では、了解しました。ありがとう存じます」
 純白のスカートを広げ、深く敬礼をした。

 ちらりと横目で、ゲズゥを盗み見る。彼は以前の無感情な目に戻っていたが、こころなしか、その眼差しは更に虚ろさが増していた。

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02.e.
2011 / 12 / 23 ( Fri )
 それ以上、ゲズゥは言葉を続けなかった。首を横に傾けてコキコキと鳴らしている。
 
 ミスリアは根拠無く、もしかしたら少し間をおけば彼はまた喋り出すのではないかと思い、黙ってることにした。
 机の下のゴミ箱に包帯を捨てに行き、再びゲズゥの前に立ち、両手を揃えて待った。
 その間、彼は一歩も動かなかった。

「…………で、お前は」
 しばらくして確かにゲズゥは沈黙を破った。

「本気で、大陸を縦断する気か」
 無表情なまま静かに問うた。

 聖獣を甦らせる旅を指しているらしい。現在地、アルシュント大陸の南東最先端から北方まで行くには数ヶ月以上かかるとされる。しかも実際はゲズゥが使った「縦断」という言葉から連想できる一直線な道のりとかけ離れている。

「私は本気ですが?」
「酔狂だな」

 道り抜ける国の治安や地形の険しさはじめ、この大陸は少女が旅するにはあまりに危険が多い。だからこそ優秀な護衛が必要なわけだが、どうしても成功率の低い旅だった。

「この先、数々の困難や障害に出遭うことでしょう。でも私の身の安全さえ守っていただければ、他に何もあなたが心配する必要はありません。路銀や衣食住は当然のこと、あなたの怪我や病もすべて私が治し続けますから」
 微笑みながら言ったが、対する彼の表情は変化なし。彼女は話を続けた。

「報酬に関しては、前払いの金銀が欲しければ出します。それから、聖獣が飛翔を終えた度に選ぶ安眠場所からはなぜかいつも宝石などの財宝が溢れ出すと聞きますので、持ち帰れば教団が大金を出して買い取って下さるでしょう」

 呪いの眼が加わった両目で見下ろされると威圧感が倍なので、またしても緊張してきた。ミスリアはうっかり早口にならないように注意している。心の隙を見せられない。

「あなたもまだ人生が終わるのはもったいないと思いません? 一緒に来てくだされば、死刑がなくなることも……」
 言いかけて止めたのは、ゲズゥが踵を返したからだ。
 
 背を向けられたことに、少なからずミスリアは傷ついた。
「あの、どちらへ……?」

 自分が未熟だから失敗した。
 話術も説得力もないからか。お金の話を出したからか。年下のくせに生意気で、あまりに偉そうな態度だからか。何であれ、きっと何かが気に障ったのだろう。火あぶりにされるほうがましと思われるぐらい。

 もうダメだと思った。
 他のどの段階で挫折するよりも、痛い。目頭が熱い。情けなさに俯く。

「……わかった」

 が、返ってきた返事は短く、まったく意図が伝わらなかった。

 ミスリアが顔を上げると、左肩から振り返ったゲズゥの、白い眼の方と目が合う。陽光が金色の斑点に反射してキラキラ美しい。

「引き受ける」
「――え?」

 意外過ぎて頭の中が真っ白になる。
 何を考えているのかてんで理解不能な男だ。せめて今の話のどの部分で引き受ける気になったのか教えて欲しい。なんて、訊ねたところでまた無言無表情で返されそうな予感がして、言葉に詰まる。

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01:59:33 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
02.d.
2011 / 12 / 21 ( Wed )
「どうぞ」

 入ってきたゲズゥは手枷をつけたまま、ところどころ褪せた紺色のズボンをはき、ベージュの上着を羽織っていた。本当に適当なものを与えられたようで、左右の裾の長さが合っていなかった。

 扉が外の兵の手で閉じられる。手枷とつながったままの鎖がつっかえて、完全には閉まらない。

「こんにちは」
 とりあえず挨拶してみた。
 ここは「はじめまして」とも言うべきだろうか? と迷い、今更感は否めないのでやめた。

「私の話をどう思いましたか?」
「………………」

 予想はしていたが、ゲズゥは無反応だった。無口無表情にもほどがある。
 会話ベタどころか、会話する気がないらしい。

 鎖が挟まっているので、扉はまだその分だけ開いて隙間がある。
 扉のすぐ外で待機してる人間にはきっと音が漏れているだろう。意識しないわけにもいかない。

 そうでなくてもまったく何をいえばいいのかわからなかった。事前に用意した台詞が、今になって頭の中からひとつも残らず消えてる。聖女として大口たたいた時とはまったく別種の緊張で体が強張っていた。笑顔が凍りついているともいう。

 ゲズゥの右目は、確かにミスリアと目を合わせていたが、それだけだった。静止した視線の先に、本当に自分がいるのか、まず認識されているのだろうか、とかわけもなく不安になってきた。

(話が通じなかったら、どうしよう。何をわかった気でいたんだろう。たとえ予想通りの性格だったとしても、この人が「正気」である保障なんて、どこにも無いんだ)

 泣き出したいくらい怖くなってきた。やっぱり早まったか。

 でも、目を逸らせなかった。逸らせばあまりにも早い敗北を認めるはめになる。今日までしてきたことが水の泡だ。

 一分ぐらい無言でそのままでいた。

 不思議と、飽きてない自分に気がついて、驚く。間が持たないことを心配していたけど、周囲に満ちていたのはぎこちない空気ではなかった。

 ただただ、落ち着いている。夜の闇を心地良いと思う時の、清涼な感覚に似ていた。

 自分の鼓動も落ち着いてきた。おかげで、ちゃんと目の前にいる青年を観察する心の余裕ができた。

 開いた右目は、髪に合って黒かった。黒曜石を思わせるような深みのある色だ。吸い込まれそうなほどに美しい。

 そしてふと思ったこと口にした。

「あの、包帯を取ってもいいですか?」

 ゲズゥは一度瞬いた。一応認識はされているようだ。

 はっとして、ミスリアは慌てふためいた。両手に枷をされている無防備な状態の、まったくの他人の頭に触れようなんて、失礼極まりない。誰だって嫌がるはずだ。何言ってるんだ自分。

「ごめんなさい! 今のはきかなかったことに……」
 両手を振って謝った。もう本当に泣きたい。
 
 が、あろうことか、彼は身をかがめた。

「ひゃっ!?」

 急に顔が近づいてきたので、反射的に身を引いた。

「………………好きにしろ」

 ミスリアは身構えたままの姿勢で口をあんぐりさせた。

(うそ、喋った――――! こんな声!?)

 低くて、抑揚の無い。声色が沈んでいるようにも受け取れるが、暗さや陰鬱さは無く、綺麗なトーンだった。

 胸がまた高鳴るのを感じて、必死に平静を装った。

 一拍してから、おそるおそると、白く小さな手を伸ばした。相手が身をかがめていながら、多少の背伸びが必要だった。ゲズゥは確かに背が高いが、ミスリアもまた、相当小さいのであった。爪先立ちになる。

 本当にいいのかな、急に噛まれたり体当たりされたりしないかな、とか、さまざまな考えを巡らせたけど、それでも手を止められなかった。

 そっと指先に触れた黒髪は、まっすぐな割りに、やや硬くて太い。

 包帯をとめてる安全ピンを、両手使ってはずした。次に、汗や埃で黄ばんだ布をほどき始める。しゅるり、しゅるりと布がゆるやかにほどけた。体勢のせいか、なかなか巧くできない。

 その間ずっと、ゲズゥは大人しくしていた。時々、額を暖かい吐息がかすめた気がしてくすぐったい。

 ようやく包帯が全部取れた。
 閉じられていた左目が開くのを、間近で見ることになった。

「わ……」
 思わず声を漏らした。

 呪いの眼などと呼ばれるそれは、虹彩の部分が見たことも無い色をしていた。白地に、金色の斑点。瞳孔は、猫みたいに縦に細長い。
 神秘的であり野性的でもあった。

 それ以外は、左右の目は対称的だ。二重の瞼も、少しつりあがった切れ長の目尻も。

「きれいな眼ですね」
 素直にそう思ったから声に出した。感動に表情が緩んだかもしれない。

 ほん一瞬だけ、ゲズゥが両目を大きく見開いた。それが驚いてなのか怒ってなのかわからない。そのまま彼は、一歩さがって離れた。

「どうかしましたか?」
 急なことだったので、ミスリアも驚いて包帯を持った手を引いた。

「……いや」

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23:43:17 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
02.c.
2011 / 12 / 21 ( Wed )
 誰も居ない、窓が一つも無い、閉ざされた会議室の片隅でミスリアはずるずると床にへたり込んだ。純白のドレスが汚れる可能性は置いといて。

(こ、こわかった……)

 ゲズゥ・スディルは廊下で服を着せてもらっている。ノックしてから入るはずだから、もう少しだけ一人でいられる。

 それにしても、無駄に緊張した。寿命が数年、いや、数十年、縮んだといってもいい。

 大見得切ったはいいが、ミスリアは本当にただの少女だった。聖女といっても高い位を持っているわけでもなく、偉い立場の人間とはめったに関われない。教皇猊下にお目どおりかなったのも一度しかない。

 なのに一国の元首と対等に話し合おうだなんて、自分にはあまりにも背伸び過ぎた。それもあんな大衆の前で。本当はもっと早く、それこそ処刑日時が定まる以前に交渉に来たかったのに、勅書が手に入るのが遅れたせいで最中に飛び出すことになってしまった。派手な登場を狙いたかったわけじゃないのに。内心では死ぬほど恥ずかしかった。

 教団を引き合いに出してアピールしたのも、賭けだった。大陸中の国は諸々な面で教団の援助を頼りにしているといっても、個々の差はある。国に干渉できる度合いは与えている恵みに比例してるようなものだ。

 シャスヴォル国は、教団から多少の資源を受け取っている程度だ。人材を派遣されることを拒み、流行り病や戦の際も聖人聖女の能力を求めたりしない。

 恩恵が途絶えるのを恐れて話を呑んでくれるかなんて、ほぼ見込みの無い話だった。

 大体、ミスリア自身にたいした影響力が無い。教団が聖女一人の成功にそこまで期待しているわけがなかった。勝手を許されたのは教皇様のお情けで、シャスヴォル国との折り合いが悪くなりそうなら間違いなくミスリアから切り捨てられる筋書きだ。

 必死に足掻いた結果、どうにか成功したわけだが。
 今になって一気に疲れが押し寄せる。

 だけど、やっと会えた。「天下の大罪人」に。
 間近で見ると、凄い威圧感だった。十九歳なんて、にわかには信じられない。

 大人の軍人と並ぶと、体格差は確かにあった。でも彼は細身の筋肉質みたいで、十分に力は強いだろう。何より、高身長に驚いた。部屋の中にいた人間の中で、傍目にもゲズゥが一番か二番目に背が高かった。これは書類で読むのと、実際に目の当たりにするのとではまるで違う。

 顔はもっと怖い感じを想像してたけど、外れた。

(むしろちょっと格好いい、かも……)

 そんなことを考えている場合ではなかったが。
 なんとしても、利を示し続ける方法を考えねば、いずれ自分は喰われるだろう。命を助けただけではきっと足りない。でも、分かり合えると信じている。

 事件の報告書や記録を読みふけったうちに、天下の大罪人が、実は人が言うほど凶悪な人柄ではないと予想していた。きっと、噂や人の想像が勝手に一人歩きしただけで。

 それこそがミスリアの理想だとか妄想で、考えが砂糖菓子よりも甘すぎる、と仲間には何度も止められた。けど憧れや好奇心にも似た妄信を原動力に、突っ走った。いつ、短慮だと笑われて教団に捨て置かれても仕方ないのはわかっていた。わかっていて、ここまできた。

 子供っぽい錯覚だとは思うけど、どうにも御伽噺の登場人物と対面しているような高揚感があった。

 同時に、気になることもある。
 出会ってから一時間近く経つが、彼は未だに一言も発してない。まさか口が利けないはずないだろうが、これでは内面を判断しようがない。更には、こう見えてミスリアは話が得意な方でもないので、今後、間が持つのか、会話が続くのか心配だ。

 その時、扉がノックされた。

「はい!」

 ミスリアはさっと立ち上がり、スカートの裾を軽くはたいたりして見繕った。

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08:20:12 | 小説 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
02.b.
2011 / 12 / 20 ( Tue )
 大陸の北側のどこかに、地上から既に姿を消した神々の遺産――「聖獣」――の眠る聖地がある。

 数百年に一度、世界中の瘴気を浄化するために聖獣は甦らなければならない。

 それができるのは、然るべき修行を終えた聖人・聖女たちのみ。
 彼らは聖獣を眠りから起こすために世界中のいくつかの聖地を巡礼しながら北へ向かうが、未だ安眠場所に辿り付く人間はいないのか、聖獣は眠ったまま。
 
 最後に聖獣が世を浄化してから既に四百年以上経つ。

 世は瘴気に溢れ、そこから生じる魔物たちが日々、大陸中の人々を脅かしている。
 救えるのは、聖獣が発する清浄な聖気しかない。

 人類が手遅れになる前に、誰かが甦らせなければならない。

_______


 そこそこ有名な神話だった。ゲズゥも何度か耳にしたことはある。しかし四百年も経ってるとなると、聖獣が実際に飛翔して聖気を振りまき、世界中の魔物を浄化したというはっきりとした記述はそうそう残っていない。たとえ記述を目の前にしても、信じがたい話ではある。

 神というのは人間が一方的に「いる」と信じて生きるだけで意味のあるもので、実際に救われているのかどうかなどは捉え方の問題に過ぎない、とゲズゥは考えている。
 どちらにせよ、彼の知る人生には救う神など存在しない。どの現象をどう捉えたところで居るわけがない。

 だが、魔物は確かに実体を持って存在する。それも近年、数が上昇してるのも感じ取ってきた。

 聖女ミスリアの話に多少興味が沸いたので、聞き入ることにした。

「私は聖獣をよみがえらせる旅に出ます。そして護衛として、彼を伴いたい」
 その堂々とした発言に皆はただ、呆気に取られた。

「何故わざわざ罪人を……」
 髭を生やした総統の側近が頭をかいた。頷いて、聖女は話を続けた。

「現在のこの世に於いて、聖獣をよみがえらせることを何より優先するのが教団の方針です。教皇猊下は、そのためなら手段を選ばずとも良い、と仰いました。私は独自で調べ出し、ゲズゥ・スディルの強さを確信した上で猊下に許可を取り、勅書を用意していただいたのです」

 本人は簡単に言っているが、こんな無茶を通す許可を取るためには多くの手続きが必要だったことは容易に想像できる。上司に反対された都度、説得を繰り返したのかもしれない。

 一体自分のどこにそれほどの価値を見出したのか、ゲズゥには実に興味深かった。腕っ節の強さだけではないだろう。

「確かに護衛は強いに越したことはないですが……どうやって従わせるおつもりで? 貴女が手綱を取るとでも? 一度命を助けたからとて、こんなクズが恩を返すはずないでしょう。更生させようと考えてるなら止めた方がいい。失礼ですが、貴女は聖女であってもただの少女です。手に余りますよ」

 黒髪の側近が苦々しい顔で指摘した。

 正論だった。クズかどうかはともかく、確かにゲズゥは一度命を助けられたくらいで恩を感じたりしない。その気になれば、こんな虫も殺せなそうな小娘ぐらい数秒で壊せる。生き方を変える気もまた、無かった。

「それは私の問題です。もし彼が途中で逃げたり、私が殺されでもしたら、教団の方で然るべき対応をします。その際、彼の身柄はシャスヴォル国軍に返し、今度こそあなた方で『天下の大罪人』を処刑して下さい」

 ですからお願いします、と聖女ミスリアは深々と礼をした。

 かなり無理のある言い分とはいえ、聖女は覚悟を決めていたようだ。
 教団にゲズゥを捕らえられるような戦力があるのかどうかまでは現時点で判断できないにしても、妙な説得力を感じた。
 部屋の中の人間の間にも、どこか納得した雰囲気が広がりつつある。

「聖女様、しかしその男は化け物! 生かしてはおけません!」 
 警備兵の一人が耐えかねたように叫んだ。

 ちらちらと、怯えた目でこちらを覗き見ている。『天下の大罪人』が足枷なく手枷だけはめて間近に立っていることが、気に入らないようだ。さっきまで兵士の威厳を保っていたのに。いっそ同情を誘いそうな怯えようだったが、ゲズゥは化け物と呼ばれたことにさえ、何も感じなかった。

 聖女が警備兵を振り向いた。

「『償えない罪は確かにあれど、償う努力を放棄する言い訳にはならない。』 猊下のお言葉です。『天下の大罪人』ほどの者ならば尚更、死をもってしても贖い(あがない)きれないでしょう? 一生をかけて世界に奉仕することで償うべきだとは思いません?」

 なんとなくその言葉からは、きっと教団が死刑制度という概念に反感を抱いていることは想像できた。だが、シャスヴォルは自国内の政治に関して他国や教団の過ぎた干渉を認めていない。聖女が渡ろうとしてるのは、危ない橋だった。

 にっこり笑って言う彼女に、総統は重いため息をついた。

「そういう意味ではない。ゲズゥ・スディルは、『呪いの眼』の一族の生き残りだ。それも調べがついただろうが」

「はい、承知の上です」

 ゲズゥの左目に、皆の注目が集まる。
 
 いつしか看守が気味悪がって、包帯を巻いて隠させた眼だ。本当は眼球ごと潰したかっただろうに、得体の知れない呪いを恐れて触るのも嫌がったのだった。

「けれど『呪いの眼』の明確な危険性を示す証拠は確認されてないでしょう。ただの迷信とまでは言いませんが、そのリスクを背負うぐらいなら私は構いません」
 やはり聖女は動じなかった。
 倍ある体格の大の男に囲まれておいて、随分な度胸だ。

「シャスヴォルは、『呪いの眼』の危険性を確たるモノとして解釈しているが?」
 その事実は、ゲズゥ本人が過去を通して誰よりよく知っていた。遠い昔の日を思い起こしそうになった思考回路を、意識的に中断させた。今はそんな気分ではない。

「どの道目指すは北方です。すぐに彼をこの国の管轄外へ連れ出し、危険は去ることになりますから」

 連れ出せるのならな、と誰かが小声で毒をつくのが聴こえた。

「ならば、目的を果たした後、どうする気だ?」
「教団が裁判します。その際には、総統閣下か他にシャスヴォルを代表する者も同席するはずです」

「ほう……それは、最終的に刑が軽くなるかもしれないという可能性を含んだ言い様だな」
「それもまた、彼の働きと教団の意思次第です」

「直接被害を受けた民らが、それで納得するかね……?」

 しばらく論争は続いたが、結局誰も聖女ミスリアを言いくるめることはできなかった。

「二人で話をさせてください。彼の同意を得られるのならば、何としても私はこの件を通します」
 
「ソレは人の形をした、人間とは別種のナニカだ。人権を与えるに値しない。すぐにそなたは無残に扱われ、死体になるぞ」
 総統は聖女に冷酷に告げた。それは、嘲笑う言葉のようであり、忠告でもあった。

 もはや存在ごと否定されたゲズゥは、なお微動だにせず静観している。

「そうなったら、私個人の責任であって、なるべく誰の迷惑にもならないよう努めます。命を落とすのが私一人なら、大義を思えば小さな代償です」
 聖女ミスリアは、鮮やかに微笑んだ。
 大陸が貴重な聖女一人を失うという損害に関しては、考えていないらしい。

 そうしてそれ以上、誰も口を挟まなくなった。

「いいだろう、隣の会議室を貸す。同意を得ようだなどと律儀なことだな、拒絶するはずないだろうに。死を免れるためなら、人間はどんな甘言でも吐くぞ」
 
 聖女の笑顔は崩れない。ついに諦めたのか、総統は踵を返した。

「誰か、何でもいいからソレに着せる服を持ってこい」
 投げやりにも聴こえる調子で、総統が部下に手を振った。

 そういえば、まだ腰布以外は裸だったと思い出す。

 暑い日だから服がないことは問題にならなかった。さっきは陽に焼けて肌が少しヒリヒリするのが気になっていた程度だ。

 今身なりを整えろと言われるのは、どちらかというと品格を指してのことだろう。それはゲズゥが、社会的に底辺あたりに位置する罪人から、ほんのわずかに格が上がったことを示しているようだった。

 だが所詮はその程度だ。
 呪いの眼も、彼の生きた軌跡も、決して消えたり変わったりはしない。


 他人の、彼に対する眼差しもまた、変わらない。

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02.a.
2011 / 12 / 18 ( Sun )
 なんとも不思議な気分だった。
 まるで赤ん坊の頃、母親の腕に抱かれて眠りに落ちた時のような、夢心地。

 赤ん坊の頃の記憶などあるはずないのに、そう感じるのもおかしな話だった。ましてや、ゲズゥは母とは十二年前に死に別れている。残っている思い出がそもそも少ない。

 触れられた指先から温もりが波の様に広がる。最初に両手を包まれ肌が撫でられるように、次には内の血管、最後に骨の髄まで、暖かい光が踊り込んでくる。何故か心の蔵まで暖まった気がした。

 肉眼には金色の淡い輝きとして映るそれが何なのか、ゲズゥには理解できない。

 光は、ミスリア・ノイラートと名乗った聖女から発せられている。

「終わりました」

 聖女はひとことそう告げると、ゲズゥの手を離した。ぬくもりも離れていく。

 茶色の瞳と目が合った。
 彼女はこちらを見上げて訊いた。身長差のせいで、上目遣いみたいになっている。

「どうですか?」

 ゲズゥは答えなかった。代わりに、自分の手に視線を落とした。何度か拳を握っては開いたが、違和感が無かった。

 ……治っている。 

 杭が打ち込まれていたため手のひらに空いてた風穴が、すっかり塞がっている。まるで、最初から何事も無かったかのように、血の痕すらない。見れば、足首にあった縄の痕もいつの間にか消えている。

 こんな能力を見るのも経験するのも、初めてだった。今まで気に留めなかったが、これなら世間一般が聖人聖女をやたらと敬い崇めるのもうなずける。

 誰かの感心の声が上がった。

「なんとすばらしい! 『聖気』を扱えるとは、やはり貴女は『本物』の聖女様なんですな」
 国家元首の側近の一人らしい男が、拍手を打っていた。口のまわりに髭を生やした、彫りの深い顔の大男だ。

 拍手の音に、はっとした。さっきまでの、世界から切り離されたような感覚からようやく醒める。

 ゲズゥと聖女ミスリアは、国家元首の公務室に移動していた。壁には書棚が並ぶ、広い部屋だった。天井には窓があり、さっきと変わらぬ明るい陽光が入り込む。
 街中の闘技場とそう離れてない距離にある、国会議事堂の中だ。

 まだゲズゥは罪人として、始終手枷を付けられ、警備兵に鎖で引かれてここまで来た。そして警備兵に挟まれて、聖女も同行した。
 聖女が教団の名を挙げて強く圧し、処刑は一時的に取りやめられることとなっていた。

「既に知れたことだ。聖女ミスリアが持ってきた勅書は紛れもなく教団の印を、教皇猊下(きょうこうげいか)の印をも賜っている。当然、それを持つことを許された者が下手な嘘をつくはずない」

 別の側近が言った。長い黒髪を首の後ろで束ねた、細面の男だ。眉間に皺を寄せて、考え込んでいる。ミスリアがゲズゥの怪我を治したことに対しても何かしら不満があるのか、こちらを時々睨んだ。不満を抱いていてもどういうわけか、誰も聖女の邪魔をしない。

「そんなことよりも、総統閣下、勅書には何と?」
 黒髪の男が背後の机に座す国家元首に問いかけた。

 このシャスヴォル国は軍事国家だからか、元首は総統と呼ばれる階位に当たるらしい。
 総統の返事を一同が待つ中、しばらくの沈黙があった。

「有り得ぬ!」

 勅書を読み終えた総統は、急に席を立ち上がった。苛立ちを隠せない様子でいる。
 皆は続きを待った。

「ゲズゥ・スディルの死刑を、無期限に保留しろとのことだ。それも、その聖女の側から離れないことを条件に、釈放しろと」

「馬鹿な! 教団は何を考えている!」
「教皇猊下はどういうおつもりで!」
「ダメだ! 凶悪犯罪者を再び野放しになどできない!」
「さっき処刑を取りやめた時の民衆の反応……閣下の好感度に関わります!」
「しかし逆らったらどうなります? 教団の恩恵がなければ……」

 総統の側近数人から、警備兵や処刑人まで、一斉に騒ぎ出した。
 聖女はというと、やはりまったく動じずに笑みを浮かべている。

「静粛に!」
 総統の一声で、周りが静まる。

「聖女ミスリア」
 総統は聖女の前へと進み出た。

「はい」
 聖女は穏やかに応えた。

「我がシャスヴォル国は大陸のほか十七国と同様、教団のお力添えあってこそここまで繁栄した。しかし我が国は教団の直接の管理下にない。最後に従うかどうかは、我らが決める」

「それで十分です」

「ここには、足らない説明はそなたがしてくれると書いてある。そして、そなたの好きにさせろと。どういうことか聞こう」

「勿論です」
 聖女は一礼した。頭に被ってる白いヴェールが揺れて、柔らかそうな栗色の髪がのぞく。

 一連の展開を、ゲズゥはただ黙って観察していた。歓喜も落胆もなく、まるで蚊帳の外から眺めるように。
 どこかでこの状況を面白がっているのかもしれなかった。

 そして少女は、澄んだ声で語りだした。

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01.
2011 / 12 / 17 ( Sat )
 それは、いつに無く空気の乾いた日だった。
 夏を迎えたばかりの街に陽が燦燦と降り注ぎ、天は数日ぶりに晴れ渡っていた。

 半球闘技場は、見物人で溢れかえっていた。まさに全国、或いは大陸全体から、今日のためにわざわざここまで足を運んできた人々であり、年齢人種問わずに数多く集まっている。南東地方の暑さに慣れずに失神する者もいる。それでも席を立たないのは、まもなく始まるイベントを見逃したくないからだろう。

 数週間前から予定されていた本日のイベントは、闘技などではなく、公開処刑である。
 国家元首自ら、処刑台の傍らの高い椅子に座して参加している。

 ざわめく見物人の視線の集まる先には、木製の柱に縛り付けられた青年がいる。頭上にて両の掌を杭で柱に打ち付けられ、足は血がにじみ出るほどきつく縄で縛られている。腰布以外、何も纏っていない。

 既に三度投獄されて二度も脱獄したからか、警備は厳戒だった。処刑台は数人の警備兵に囲まれている。

 ふいに、俯いていた青年が上を向いた。もしかしたら、気を失っていたところ目覚めたのかもしれない。頭に巻かれた包帯が左目を隠し、右目だけが開かれた。罪人の割と整った顔には何の感情も表れていなかった。観衆にはそれがかえって不気味に映ったらしく、ざわめきは徐々に静まってゆく。

 青年の漆黒の髪が熱風に撫でられ、長めの前髪が僅かに揺れる。

 その時、昇る太陽が青年の真上に達した。それは、処刑が始まる時刻になったことを意味する。

 ドラの音が鳴り響くと、国家元首が右手をかざして観衆の静粛を促した。
 次に、国家元首は一枚の巻物を取り出し、声を張り上げて朗読しだした。それは、罪人の名と罪状をまとめた書状だった。


 「天下の大罪人」と大仰な呼び名を持つその男は、まだ二十歳にも満たない。


_______


 火あぶりにされるには最高の日和だな、と処刑される当人がこともなげに思った。乾いているだけに、すぐに焼けて死ねるだろう。

 顔のまわりを蜂みたいな虫が飛び回っていて五月蝿かった。おかげで、国家元首の声がほとんど聞き取れない。
 強姦殺人、強盗殺人、みたいなことを言っているような気がする。当然、身に覚えはあった。

 死を前にした罪人の罪状を読み上げるという行為に何の意義があるのか、彼にはわからなかった。
 ただ、わかっていることもある。公開処刑とは他の民に対する見せしめであると同時に、ある種の暇つぶし、いわばエンターテインメントだ。観衆の顔を見れば明らかだった。中には、感動しているように号泣する人間もいた。これは、純粋に彼の死を期待して安堵しているようにも見えた。

 自分が焼け苦しむ様を想像して、面白がり、泣き喜ぶ人間さえいるという現実を、彼は特に何とも思わなかった。それを望むのはその者らの勝手であり、数えるのも億劫なほど罪を犯してきた彼にとっては、恨まれるのは日常だった。敵討ちに遭って死んでもそれはそれだ。

 心残りが無いわけではない。生きることに執着がないわけではない。強いていうなれば、飽きただけかもしれなかった。
 
 生き物は生まれた瞬間から死に向かって生きている、と誰かが言っていた。死に対して恐怖は不要、死ぬまでにどういう風に生きるかが勝負である、と。
 その理論でいくなら、彼のたった十九年の人生はどうか。

 確実に近づく「終わり」を想って、彼は一瞬だけ物足りなさを感じ、やはりすぐにどうでもよくなった。

 手の傷の血は乾き、痛みはすっかり麻痺し、足首に食い込む縄もそれほど気にならなくなっている。もう、何が起きたとしても受け入れて終われるだろう。包帯に隠れていない方の右目を、静かに閉じた。

 国家元首の声が止まっている。どうやら、「この罪人が処されることに異議を唱える者が居るか? 今こそ、名乗り出よ」、と言ったらしかった。

 この問いは形式的なものに過ぎない。この国では公開処刑に至るケースは珍しく、ここまで持ち込まれた時点で罪人の死は決定事項だった。誰が何を申し出たところで、大抵は覆らない。

 誰もいないな? 再度確認する声が響く。

 処刑人が一歩、二歩、歩み出る気配を感じた。

「待ってください」

 それはその場にはあまりにも不自然な音だった。
 鈴が鳴ったかのような、少女の澄んだ声。やや息が切れているようだが、それでもはっきりとした意思を帯びていた。

 思わず目を開けた。

 闘技場の通路を軽く駆けて近づいてきているのは、確かに十代半ばか前半くらいの少女だった。全身に纏った白装束に土埃がつくのも気にせず、まっすぐに処刑台に向かっている。どこかで見たような服だったが、思い出せない。

 国家元首の前で足を止め、少女は両膝を着いて敬礼をした。

「待てとはどういうことだ、娘。処刑を待てとでも? その服、修道女か? いや、聖女? 顔を上げよ」

 元首は顎に手を当て、奇妙なものを見るような目で見下ろしてる。

「はい。いかにも、私は教団に属する聖女」

 少女は顔を上げて応じた。

「ミスリア・ノイラート、と申します。どうか私の話を聞いてください。天下の大罪人、ゲズゥ・スディルの処刑を、取りやめて頂きたくて参上しました」

 ゲズゥは、開いている右目を細めて聖女ミスリアを凝視した。気づいて、彼女が明るく微笑みを返す。


 何が起きたとしても受け入れるつもりでいたが、流石に彼は驚きを覚えていた。

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