ついにというかなんというか
2017 / 06 / 08 ( Thu ) |
六 - b.
2017 / 06 / 07 ( Wed ) 短い回想の旅から戻って来ると、頬が熱くなっているような気がして、つい指で触れて確認する。そして実際に熱かった。意識してしまうとますます恥ずかしさがこみ上げる。 「ねえバルバ。エランを見なかった?」気を紛らわせようとして、侍女の背中に向けて問いかける。 「公子さまは、夜にひとりでどこかへ行ったきり、戻らないのですよ」 振り返った彼女の双眸は憂いに揺れていた。心臓が冷たい手に掴まれた気がした。 「ひとりって……タバンヌスは一緒じゃなかったの」 「あの方は公子さまに命令されて、姫さまの護衛のために屋根上に残りました。でも明け方まで待っても公子さまが戻られないので、通りがかりの兵士に交代を頼んで行かれましたよ」 バルバが目配せする。その目線が指す方へ、二人で歩んだ。屋根から下りる梯子の前には、武装した見知らぬ男が立っていた。二、三ほどその者と問答をしたが、目ぼしい情報は得られなかった。 胸騒ぎがする。次にどうすればいいかわからずに、セリカは一旦自室に戻った。身体を拭いて着替えを済ませ、もう一度バルバと共に宮殿内を出歩く。 気のせいだろうか。やたらと静かである。元々広い宮殿とはいえ、誰かとすれ違うまでに数分かかった。 最初にすれ違った女中たちは共通語が不得手で、話しかけてもあまりはっきりと受け答えをしてくれなかった。次に庭園で遭遇した官僚たちもよそよそしく、相手にしてくれなかった。 諦めて朝食に向かおうかと回廊を進み出し、その矢先に小さな人だかりを見つけた。まだ成人していないような年頃の少年と、後ろにぞろぞろ続く男性が四、五人――少年は自分より幾まわりも年上の者たちに向かって助言や命令をしているようだった。話の内容は断片的に聴こえてくるも、難しい話をしているらしいことしかわからない。 セリカたちは速やかに頭を下げて道を開けた。鋭い目付きと隙が無い立ち姿をしたこの少年は、確か第六公子のハティルだ。 「姫君。おはようございます」 そのまま通りかかるかと思いきや、少年は足を止めた。 「おはようございます。ハティル公子」 微笑み、顔を上げる。 あちらから話しかけてくるとは運が良い。更に運の良いことにいつの間にか人だかりが解散していた。目の前にはハティルと、付き人らしい壮年の男しか残っていない。 お約束の天気の話題を済ませてから、お伺いしたいことがあります、とセリカは本題を切り出した。 「どうぞ。僕に答えられるものなら」 「では遠慮なく――エランディーク公子が何処(いずこ)にいらっしゃるか、存じませんか」 「エラン兄上ですか。僕は会ってませんけど、まだ寝ているという可能性も……。兄上と何かお約束を?」 ハティルの声も表情も、本気で驚いている風に感じられた。 (昨日あたしたちが夕食を一緒したのは知れ渡ってるはず。ならその後は、どうかしら) セリカの腹の底で勘のようなものが働いた。慎重に返答すべきだと判断する。 「いいえ、約束はしておりません。ただひと目お会いしたいと思った次第です」 「エランなら所領に帰ったって聞いたぞー?」 回廊の先から人が近付いて来る。歩きながらパンを頬張って食べかすを巻き散らすこの行儀の悪さ、第三公子ウドゥアルだ。 (所領に帰った……? 言伝もなく? 「聞いた」って、誰に) 最後の疑問はハティルが代弁してくれた。すると第三公子は、大臣が言ってたんだぞ、と答えた。 (ウドゥアルは口裏を合わせてるだけ、それとも本当に何も知らないの? 情報の発信源はその大臣か、別の誰かか) セリカはいくつかの引っかかりを感じたが、敢えて何も追及せずに公子たち二人の会話を静聴した。 「帰ったって、こんな時にですか。ベネ兄上みたいに火急の用事でしょうか」 「ルシャンフ領なんて蛮族しか住んでないんだし、なんかあったんだろ。そんなことより、結婚式なくなんのか? せっかくいい肉にありつけると思ったのに。親父殿は、面会謝絶だ。おれももう帰っていーか?」 「帰ればいいんじゃないですか」 兄の質問に、弟は投げやりに答えた。 そこでセリカは無難な礼の言葉を並べて、その場をやり過ごした。拭えぬ違和感を胸に抱えたまま、彼らの後ろ姿をそれぞれ見送る。 「ひどい……。姫さまのお立場はどうなるのですか……」 二人だけになると、バルバがやるせなく呟いた。 「――嘘」 「姫さま?」 「嘘よ。エランは、そんなことしない。何かがおかしいわ」 そう断言すると、バルバは怯んだようだった。もしかしたら自分は今、かなり険しい顔をしているのかもしれない。 「え、ええ、しっかりしてそうな方ですものね。無責任な真似はされないと、わたしも思います」 「無責任……そうね」 それだけではない。夜中にいなくなったという事実の異常さは変わらない。 百歩譲って、既に延期されている結婚式よりも重要な案件が所領で発生したとしても―― 「堂々と妃を連れ回すと、あいつは言ったわ」 「はい……?」 「伴侶にそれを望むと。だからどんなに急いでいても、ひとりで発つわけない」 低く呟きながらも、セリカは思考回路を最大速度で回していた。 |
六 - a.
2017 / 06 / 05 ( Mon ) ――作り笑いをして過ごす一生で、隣にお前がいてもいい―― 優しく語りかけるような声が頭の奥に残っている。そうだ、あれは意識を手放す直前の会話だった。どういう意味か詳しく訊きたかったのに、結局睡魔に勝てなかったのだった。 これからもずっと肩を並べて作り笑いをしようという誘いだったのだろうか。 ――夢から覚めたら、今度こそみなまで問い質そう。 その想いを抱いて意識が浮上する。 ところが目が覚めた直後にセリカがまず感じたのは、羞恥心と焦りだった。勢いよく上体を跳ね上がらせ、周囲を見回す。身体にかけられているふかふかの毛布。柔らかい絨毯。そこかしこに残る、残り香のようなもの――そこまで観察して、セリカは唐突な寒気に身を震わせた。 現在地は、エランの屋根上の居住空間で間違いない。日の高さからして、まだ早朝だ。何故か当のエランの姿はどこにも見当たらないが、近くの物置棚によりかかって眠るバルバの姿は見つけられた。 (いないか……むしろ、よかったわ) セリカはほっと息を吐き出して寝床から起き上がった。どうもあの男の匂いやら気配やらに包まれているようで変な気分だ。他人の寝床なのだから当然とはいえ、変なものは変なのである。 それにしても酒を少し飲みすぎたのだろう、頭が鈍く痛む。 (あれ? 昨夜、かなり恥ずかしいことを口走った気がするんだけど。何だったかしら) それ以前に、自分が寝床を使ったのなら、エランはどこで寝たと言うのだろう。頭を抱え込んでなんとか思い出そうとするも、記憶があやふやである。 セリカがそうして唸っている間に、バルバも目を覚ました。 「あっ、姫さま! おはようございます!」 「おはよう……あんまり大声出さないで……」 げっそりとした様子で注意してやると、侍女は両手で自身の口を塞いだ。バツが悪そうに笑って、彼女は毛布を片付け始めた。 セリカも手を貸そうとした。が、「ここはわたしに任せて、姫さまは休んでいてください!」と追い払われてしまった。仕方がないので、顔を洗って水分補給もして、身だしなみを整える。それから空模様を見上げた。 まだ幾分か、頭がぼうっとしている。セリカは目を閉じて、まとまりのない思考に耽った。 _______ 「貞操観念!」 その頃にはセリカの視界は大分ぼやけ始めていたが、多分、いきなり妙な単語を突き付けられたエランディーク公子は怪訝そうな顔を返したのだろう。 「――について、ちょっと話しましょうか。昨日のことですが! だ、抱きしめてくれたのは、あたしを落ち着かせる為であって下心があったわけじゃないのはわかってます!」 何のことかすぐには思い至らなかったのか、エランはしばらく目を伏せて黙り込んだ。やがて「ああ、あれか」と言って視線をまた合わせてきた。 「下心が無かったと何故言い切れる」 「なっ――あったの!?」 「どちらとも言えない」 彼は喉を鳴らして笑ったようだった。 「だったら何も言うな……! 話の腰が折れたじゃないのよ」 「……要約して話せ」 「あのね。まだ正式に結婚してないんだし――守って欲しい、いいえ、守るべき線があるというか、ね。今後は無断で触るのを控えて欲しいんですよ」 「なるほど。許諾を得てから触ってくれ、と」 「きょ――ええ、まあ、許可を取ってからだったらいいん、だけど。ちょっと! ここ笑うとこじゃないんだから!」 セリカは膝を叩いて不平を訴えかけた。悪い悪い、と彼はあっさり謝って笑いを収める。 「お前はいつも必死だな」 「それはどーも。あんたはもう少し必死に生きてみれば? 何もかもどうでもいいみたいな、すまし顔してないでさ。その方が人生楽しくなるんじゃない」 「肝に銘じておく」 素直に応じたエランに、うん、とセリカは満足気に点頭した。 _______ |
規定枚数
2017 / 06 / 04 ( Sun ) 公募に出そうと意気込んだ次の日に、既存の話だけで400字詰め原稿用紙250枚を超す長さがあると判明。規定枚数は100~400枚だよ☆彡
やべえよ、まだ黒赤は半分しか話進んでないんだよ。 書き終わってから本格的に削ろう… 既にちょっと見直したんだけど、なかなか思い切って削ることができないね。登場人物の数を減らすとか、世界観説明や描写を省くとか。場面を減らそうにも大抵の場面には役割があるし、会話を減らすとテンポが不自然になりそう。ちびちびと要らない台詞とかを削ってみたけど、せいぜい数ページしか稼げない。 誰か、規定枚数がもっと多くてウェブから投稿できる公募を教えて(他力本願 10万字以下で面白い話が書けない私が悪いのかもしれないけど…いやあ道のりは長いね…。 どうも変なプレッシャー感じて、続きをのびのびと書けないー そういうことなら、公募目指すのやめた方がいいのかもしれないなぁ。さみしいなぁ。 ウェブ投稿以外に術が無く、海外住まいでは受賞しにくそうな匂いがするところも手が出せないので、自然とオプションが狭まる。以前エブリスタで賞とった時、住民票? 出せみたいに言われて、じゃあ(そんなもん存在しないから)賞金見送るわ。ってなったのがまだ記憶に新しい。アイリス恋愛ファンタジー大賞なら海外OKって明記してるけど、あそこのラベルカラーが私に合わな過ぎ問題。よほど無茶しないとかすりもしないだろうなww <ミスリアはかすりもしなかったよ つらたん… |
5・6合間 あとがき
2017 / 06 / 02 ( Fri ) |
五と六の合間 - c.
2017 / 06 / 01 ( Thu ) ――言い返しても無駄だ。 代わりに、繰り出される斬撃の一つ一つにエランは慎重に対応した。アストファンが他の手を使ってくる可能性も考慮して、一定以上に接近を許さない。使っている刃物の種類は同じだ。長さも同等。注意すべきは身長差、即ち間合いの長さである。 (踏まえるべき点を踏まえていれば、やり込められたりしない!) 度々弾ける火花につい目を逸らしてしまわないよう、瞬きのタイミングを計った。 動悸が多少速まったが、あくまでエランは冷静だった。 昔から稽古をサボってばかりだった、この兄の性質も熟知している――攻撃にキレは無いし防御も遅れている。何よりも殺気はあっても根気が無いのだ。数分打ち合っている内に焦れたのか飽きたのか、アストファンは舌打ちして後ろに跳んだ。 逆にエランは思い切り踏み込んだ。みぞおちを刺さんと切っ先を突き出す。横跳びでかわされる。 ペシュカブズを横薙ぎに振り払った。今度は兄はかわしきれなかった。ただでさえはだけていた絹の衣服が避けたのが、暗がりの中で確認できた。 燭台から離れつつあるため、視界がどんどん悪くなっている。暗闇に慣れたなら慣れたで、火花が余計に眩しい。 ふいに、死角である右側から寒気がして―― 剣撃が飛んできた。 受け止めたはいいが、相殺し切れずに身体が後ろに傾ぐ。持ち直す暇は無い。 敢えて倒れた。頭が地を打った痛みが冷めやらぬまま、横に回転して起き上がる。 (上!) 予感がした。 膝立ちでナイフを水平に構え――直後、強烈な衝撃が降りかかる。 右腕が激しく痺れた代償に敵方の刃の動きが止まった。好機とばかりに、空いた左手で土を掴んで投げる。 「くっ」 アストファンが反射的にしゃがんで顔を背けた、その一瞬に。エランは逆手に構えたペシュカブズを斜めに振り上げた。 狙うは首筋。湾曲した刃が、形の良い顎の真下を捉える―― ――パシン! 左手で右の拳の軌道を止めた。勢い余って、第二公子の命をうっかり絶ってしまわないようにだ。 「……解せませんね」優勢に立ったエランは、やがて冷ややかに呟いた。「私を殺しても兄上には益が無いでしょうに」 未だ俯いているアストファンが、喉を鳴らして笑い出す。 エランは不快感に眉根を寄せた。思わず、刃をもっと強く押し当てる。 「そうだね。私には、益が、無いね」 その一言ずつがゆっくりと。やたらと強調するように、発音された。 ぞわり。 どす黒い危機感がエランの背骨を駆け上がった。最悪の事態を連想する。 「――! だめだ、あなたがたは手を組むべきではない……!」 「さあ、彼はそう思わなかったみたいだね」 「まさか――」 言い終わることができなかった。 鈍い音が頭蓋を打った。 脳髄が激しく揺さぶられる。即時、痛みが響いて全身を麻痺させた。血の苦い味が口内を這う。舌を噛んだのかもしれない。 おそらくは、膝からくずおれた、のだと思う。気が付けば顔面は草の中に埋もれ、背中には重いものが圧し掛かっていた。 不覚だった。第三者の介入も警戒していたのに、兄は然るべき生業の人間を雇ったのだろう、まるで気配を察知できなかった。 「私が唆(そそのか)したと形容せずに『手を組んだ』と真っ先に察する辺り、さすがだね」 愚兄が何かを言っているが、正直どうでもいい。エランは不安定な視界の中を巡り、敵影を確認した。 ひとつ、ふたつ、みっつ。第二公子の左右に増えた人影を数える。 ――最少でも計四人いるなら、こちらに勝ち目は無い。 「ねえエラン。統率力やら人徳やらで昔からベネ兄上が一番チヤホヤされてたけれど、私は密かにお前を評価してたんだよ。突出した才覚がなくても大抵のことは器用にこなせる。武術ではベネ兄上に次いでセンスが良いし、ハティルに劣らず聡明だし、周りをよく見ている」 ――褒めるな、気持ち悪い……! 怒りが四肢を伝う。強すぎる激情のせいか、それとも肺が圧迫されているせいか、エランは声が出せなかった。 「けど甘い。優しすぎるのが、決定的にダメだ。さっきの機会に私の首を掻っ切っていれば、窮地に陥ることも無かったのに。愚かだね、エランディーク・ユオン」 声は依然として出ない。精一杯に首を回して、アストファンを睨みつけた。 「はははは! 凄んでも無駄だよ! お前はこれから跡形もなく消えるんだ!」 「…………き、え」 「そうさ、消えるんだ。幸いお前の人間関係は希薄だから併せて消す人数が少なく済む……ああ、でも間が悪い。実に悪いね」 パチン! とアストファンが嫌味らしく指を鳴らす。 「姫殿下は、どうしようかな」 「――や! め……か、には……手を、出すな……!」 喉の奥が焼けるように熱い。押さえつけられているとわかっていても手足に力を込める。 かつてないほどの憎しみに吐き気すらした。 「さてね。彼女が私に落とされるか――我々につくのは良し、邪魔せずに大人しく帰ってくれるならそれも良し。お前が消えたことに気付かないのが一番なんだけど、どうなるかな?」 それを聞いて、エランは身体を強張らせる。 『ほんと? 楽しみにしてる!』 遠乗りの約束に彼女がどんな風に顔を輝かせたのか、まだ記憶に新しい。 (こいつらがどんな虚偽で私の失踪を覆い隠すつもりかは知れないが) セリカが簡単に騙されるとは思えなかった。どう誤魔化したところで、結婚を控えたこの時期にいなくなるのは不自然だ。 唐突に、地面が遠ざかった。アストファンがターバンの布を引っ張ったらしい。 無理に反り返らせられた首に激痛が走る。 「ああ、いつ見ても醜い面だ。その顔を晒せばきっと、どんな気丈なご婦人だって泣いて逃げるに違いない!」 エランは暗澹とした思いに占められた。 (逃げる、か。そうしてくれるなら、どんなにいいか) 良くも悪くも、あの公女さまがそのように薄情な人間だとは思えない。 『約束よ。絶対だからね』 ――このままでは果たせないかもしれない。嘘をついた、ことになってしまった。 (逃げてくれセリカ……お前は国に帰れ……) 極めて気色の悪い「おやすみ」が耳元で囁かれた途端、腹部に猛烈な衝撃があった。 気が遠くなっていく。 ――頼む、私を捜すな―― 意識が無情なる闇に屈するその瞬間まで、一心に願った。 |
五と六の合間 - b.
2017 / 05 / 30 ( Tue ) いつもならこの近辺を巡回しているはずの衛兵の姿を、今夜は未だに見ていない。道中にすれ違うこともなければ、水を汲んでいる間に彼らが通り過ぎることもなかった。 昨夜魔物が入り込んだ件に続いて、このざまとは――宮殿の警備はいつからこうも程度が低くなったのか。二日連続で衛兵隊長を責め立てなければならないらしい。エランは眉間に指を当てた。暗殺者の一人や二人、侵入を許してしまいそうである。 それはあまりに真に迫っていて、笑えない妄想だった。首謀者が外敵である必要もない。日頃から公宮に出入りする人間は多く、中には良からぬ企みを秘めた輩とて少なからずいるはずだ。 吟味すべき問題は、そんな陰謀渦巻く宮中での自らの身の振り方である。 (たとえ父上が殺されたとして……私はどんな感情を覚えるだろうな) それすらも未知であった。 そろそろ不吉な想像は止めて、戻った方が良いだろう。井戸の縁に置いた水瓶に向けて手を伸ばす。 まさに取っ手に触れるか触れないかの段階で、全身を静止させた。 ――背後に気配がする。 考えるより先に腰の得物を抜き放って身体を反転させた。愛用のナイフの切っ先を、人影に向けて突き出す。 衛兵がやっと来たのかもしれないが、そうとも限らない。他の危険な可能性が存在する以上、口よりも刃で誰何した方が得策だ。 微かに漂う香(こう)の印象からして高貴な衣服を身に着けていると考えられた。つまり、決して身分の低くない者。 だがこちらからは声をかけてやらない。 ほどなくして、相手が一歩踏みにじってきた。井戸の傍に立ててある燭台の光により、全容が薄っすらと浮かび上がる。 「驚かせて悪かったよ。物騒なペシュカブズをしまってくれないかい、エラン」 降参の意を表しているつもりか、長身痩躯の男は両手を広げて肩を竦めてみせた。 「……夜に一人で敷地内を歩き回るとは、らしくないですね。もしや寝床を共にしてくださる女性が集(つど)わなかったのですか? アスト兄上」 警戒を一切解かずに目を細める。 相対する不審者は、兄弟の中でエランがひときわ嫌悪している男だ。奴は後頭部でひとまとめにしている黒髪を揺らして、わざとらしく笑った。 「ふふ、お前は相変わらず面白いね。そうじゃないよ。今夜はどうも父上が心配で心配で何も手が付かなくてね、気晴らしに散歩をしているわけだ」 誰が見ても最高と評さざるをえない美貌が、偽りの感情を映し出している。 エランは動かなかった。 「いい加減、ナイフを下ろしてくれよ。落ち着いて話もできやしない」 「私は兄上と話がしたいとは一言も申しておりませんが」 「ねえ、エランは興味ないのかい、父上の生死に」 冷たくあしらったところで引き下がる愚兄ではなかった。また一歩、距離が縮められた。 「興味ないはずがありません」 ――癇に障る。 アストファンに敵意が無いにしろ、こうして詰め寄られるのも、ねっとりとした視線に絡まれるのも。 そんな訴えを込めて、手首を一転させ、ペシュカブズを逆手に持ち替えた。突く攻撃に特化した刃物だが、切る働きにおいても優れた代物なのである。 第二公子が瞬きをして視線を落とした。 同時に、纏っていた空気が一変したのを感じ取る。 「無関係を装っていられるのは今の内だけだよ、エランディーク。もしも父上が太子を立てる間も無くご逝去されようものなら……その皺寄せはまずお前に来るのだから」 「なりません。そんな事態には」 固く否定した。 アストファンが指摘した通り、諸々あってヌンディーク大公はまだ公式に太子を立てていない。それは周知の事実である。 頭の奥では警鐘が鳴っていた。周知の事実を、敢えてこの男が口にする理由とは――。 考え込んだのが隙となった。 目で捉えるよりも早く。肌がざわついた。 刹那、甲高い衝突音が響く。 エランは振り上げられた斬撃を受け流す傍ら、水瓶が地に倒れるのを見た。割れこそしなかったが、苦労して溜めた水が派手に零れていくさまには、腹を立てずにいられない。 「なんてことしてくれるんですか。もったいない!」 「あはは! 一国の公子が、細かいことを気にしすぎじゃないかい」 |
五と六の合間 - a.
2017 / 05 / 27 ( Sat ) 無邪気な寝顔を見下ろして、エランディーク・ユオンは口元を綻ばせた。すう、すうとゆっくりと繰り返される呼吸を聞いていると、不思議とこちらも和やかな気分になる。 意識のある内はあんなに賑やかな彼女も、ひとたび眠ってしまえば大人しいものだ。(――酒が回ると扱いづらいが) 寝付かせるまでの騒ぎを思い出し、苦笑いする。 エランは己の寝床を占領している女性を今一度見下ろした。背中を丸めて横になっているのは心理的な要因があるのか、それとも単に寒いのか。後者であってはいけないと思い、予備の毛布を取りに行く。 既に彼女にかけておいた羊毛の毛布の上に、もう一枚をそっと重ねる。 身体にかかる重みが二倍に増えても、セリカは微動だにしない。眠りが深そうだ。それを確認できたゆえか、自らの舌から転がり落ちる言葉を、エランは止めなかった。 「お前は裏表がなくていいな」 眠り姫からの返事は当然ながら、無い。 (或いは、本人は必要に応じて猫を被っているつもりなのかもしれない) しかし取り繕えども、オレンジヘーゼル色の瞳の奥からは一切の企みが窺えなかった。謀とは無縁の無垢な魂からは、生命力ばかりが溢れるように感じられる。 エランディークは元より、将来の妃に対して高望みをするつもりがなかった。 どのような外見、どのような人柄の姫が来ても受け入れる覚悟でいた。そうするのが最善だと理解していたからだ。女性の理想像どころか、好みすら定まっていない。よほどの背徳者でもない限りは、どんな相手であっても落胆しない自信がエランにはあったのだ。 そうして現れたのがこちらの公女。森で見かけた時から、退屈な一生に彩りがもたらされる予感がしていた。 ――喜んで連れ回される、か……。 口角が勝手に吊り上がる。見咎める者が居るわけでもないのに、エランは掌で自身の口元を覆った。 願ってもなかった幸運だ。 たとえばムゥダ=ヴァハナ出身の女であったなら、辺境の領域への移転を嫌がったことだろう。異国の――それも少々風変わりの――姫を娶るからこその幸運だった。 加えて好奇心旺盛で、こちらの事情やら持ち物やら、細部まで興味を示してくれる。嫌な感じはしなかった。どれほど質問されても煩わしさは無く、むしろ自分などに興味を持ってもらえることが純粋に嬉しかった――顔の話は別として。 浮き立つものがある。こんな気分になったのは初めてだ。 「まったく、無防備だな」 元凶たる彼女といえば「うー」やら「むぬ」やらと呑気な声を漏らして寝返りを打っている。その都度、赤紫色の長い髪が枕の上をさらさらと流れた。先ほど酔った勢いで被り物を自ら脱ぎ捨ててしまったのである。 ――あまり眺めるのも良くない、気がした。 心動かされるのだ。熱い吐息や、火照った頬もいけない。せめて髪に触れてみたいと思い、何度か手を伸ばして、そして思い留まる。 飲みすぎてしまったようだ。そう結論付けて、エランは腰を上げた。使い終わった食器やらを回収し、屋内に待機していたタバンヌスを呼ばわる。 片付けを終えて屋根から屋内へと梯子を下りたところで――セリカの侍女が不安そうな顔で膝をついた。名は、確かバルバティアと言ったか。 「公子さま……あの、発言をお許しくださりませ」 「どうした」 頷いて、続きを話すように促す。 「姫さまはどうされたのですか……?」 「上でぐっすり寝ている」 「上!? たったおひとりで外に……!? い、些か非常識ではありませんか? ひ、姫さまはやや奔放なお方ですけれど、美しいお心をお持ちの、まごうことなき我が国の宝たる公女のおひとりです。ご当人はまとわりつかれるのが鬱陶しいからと本国から連れてきた護衛を帰してしまいましたけど……どうか、姫さまを大切にしてくださいませ……何卒お願い申し上げます……」 頭を下げたまま懇願するバルバティアを、エランは不思議な心持ちで見下ろしていた。 遅れて、己の至らなさに気付く。だが先に侍女が泣きそうな声で更に弁明した。 「すみません! 口が過ぎました! いかようにも罰して」 「いや、気にするな。私こそ自覚が足りなかった。この都に足を踏み入れた瞬間から、セリカラーサ公女の身の安全は我が国が請け負ったのだからな。見張りにタバンヌスを置いていく――あなたも、傍に行ってやるといい」 萎縮してしまっているバルバティアをなるべく安心させるように、エランは努めて柔らかく言った。 「ありがとうございます!」 お許しを得た侍女は主の元へと急いで梯子を駆け上がっていく。 数秒遅れてタバンヌスも梯子に手をかけたが、三段ほど登って、振り返った。 「公子はどうなさるのですか」 「水を汲んでくる」 空になった水瓶を片手で持ち上げて答えた。 「それならば、己が行きます」 「お前はセリカの身辺警護だ。水を汲むくらい、私が一人でできないとでも?」 「いえ、そんなまさか…………いってらっしゃいませ」 兄代わりの従者は、怒ったような困ったような渋い表情を浮かべて、ついには折れた。 「ああ」 エランは素早く踵を返す。廊下を突き当たって、裏口の階段を降り切ってしばらくすれば、井戸に辿り着ける。 それにしても――と階段を下りながらふと考える。 護衛にまとわりつかれるのが鬱陶しい彼女と、人の気配に囲まれるのが苦手な自分。 どこか似ているような気がした。 これも幸運なのか、と声に出して笑った。 _______ どうもお待たせしました。 開始からずっと主人公視点オンリーで駆け抜けて来ましたが、今回はいわゆる彼SIDEですw |
はあ
2017 / 05 / 25 ( Thu ) なんかこう、ぽちっとスイッチ押してすべてがイージーモードになりませんかね。
自分のことは軌道修正できるけど自分以外がどうにもならないのが世の中……笑って乗り越えようぜ? な? (助けて殺せんせーw まあそれはともかくして、更新はもうちょっとお待たせすると思います┌(。Д。)┐ |
レアものヨ
2017 / 05 / 23 ( Tue ) そういえば、まるまる一話を一場面だけで書き切ったのって(12000字前後)なかなかレアじゃないですか? 零話は別として。
ちょっとタイトル回収もし…たよ。 焦土、涅(泥)、真心、赤、ボーナス:血で浸される国土 キーワードがしつこくなってきたところでやめますww 次回更新の前に書き溜めしたいし、藻も書きたいしで、次回は木曜日くらいを目指します。お待たせしてしまってすみません! でもその分より面白いものをお届けできたらなぁと思います。あと二人の衣装がややこしいので一度キャラデザ代わりの落書きをしたいです。 そうそう、カクヨムでじわじわ転載してた滝神があと一話でおしまいです(本編は)。久しぶりに読み返したりして、たった二年前のことなのに遠い昔の自分のような、本当にこれ私が書いたのかみたいな気持ちになりました…。 余談。 ベルセルクのアニメ貪ってる、くっそ面白いな。完敗。戦えてもいないけどさw 自分の造ってる物語がもれなく陳腐に思えてくるから商業作品は不思議だよww |
五 あとがき
2017 / 05 / 21 ( Sun ) |
五 - f.
2017 / 05 / 21 ( Sun ) 「ほんと? 楽しみにしてる!」
頬が緩むのがわかる。遊び相手となることを、彼は承諾してくれた。好きなものを好きなままでいいと、暗に伝えているようだ。 ああ、と頷いたエランの表情も心なしか柔らかい。 上機嫌にセリカは膝を下ろして座り直した。言いたいことを言い切って胸の内が軽くなり、後は大人しく答えを待つだけである。いつまでも待っていられそうな気がした。 とはいえ、待たされた時間は三呼吸ほどだった。微かに甘い息で青年は語り出す。 「男児の宿命は野望大望を抱いてこそ果たされる、とアスト兄上は言った」 「……憶えているわ」 まさに昨夜の晩餐会でそんな談話をした。宴の席で第二公子は「ディーナジャーヤ帝国に刃を向けて、属国をやめよう」と発言をしたのである。平和な時代に生まれ育ったセリカにしてみれば、肝が冷える思想だった。 他の公子たちにとってもそうだったのだろう。確か第一公子ベネフォーリは「他の者が聞いたら派閥争いの種だ! 軽々しくそんな提案をするな」と注意し、第三公子ウドゥアルは「今から自立するの大変だろー?」と面倒臭そうに聞き流し、第六公子は「後先考えずに喋らないでください」と頭を抱えた。 (そういえばエランの反応はかなり冷ややかだったわ) 例の作り笑いを浮かべてこう言ったのである。 ――属国をやめるのは、四国間の協定から抜けるのと同義。アスト兄上は国土を血の海で浸したいのですね。 ――まさか! 私は血なんて大嫌いだよ。でも、見てみたいと思うだろう? 己が国が大帝国を打ち負かす未来を―― 思い出しただけで、背筋がすうっと冷える。難しい話はわからないが、危険な考え方であるのは間違いない。 「何が宿命だ。公都に居れば公子、所領に帰れば領主……こんな人生でも、たまには心穏やかに過ごせる場所が欲しい。幸いにも、妃となれば堂々と連れ回せる」 かくして野望の話題が、伴侶の話と繋がった。 (張り合いが無くても重圧はあるのね) 第五公子であり第三公位継承者という立場に、セリカは同情を覚える。 「あたしは……喜んで連れ回されますよ」 狭い世界で送る日々に辟易していたセリカには、むしろ移動させられるのは願ったりである。 「そうだろうと思っていたが、お前の口から聞けて安心した」 セリカは相槌を打ち損ねた。留意すべき点は「心穏やかに過ごす場所」という表現ではないか。柔和な性格をした淑女ならともかく、自分に到底務まるような役割ではないように感じられる。 「つまるところ私は――……甘える相手……が、欲しかった……」 歯切れの悪い告白の後、青年はまた顔を逸らして唇を噛んでいた。多分照れているのだというその所作を、何度も瞬きながら眺める。 そこであることに思い至って、セリカは口を挟んだ。 「つかぬことをお訊きしますがエランディーク公子さまは今年でお幾つなのでしょうか」 「……去年の秋に十八になったが」 訝しむ視線が返る。 「そうでございますか」 「歳がどうかしたか。後その改まった口調はどうした」 なんでもない、とセリカは頭と両手を振った。 (年下だった) わけもなく衝撃を受けた。半年程度なんて大した差ではない、そう自分に言い聞かせる。 束の間の沈黙を置いて、エランは新たに話し始めた。 「十五歳になった時、成人祝いと称して父上が私の寝間に女を呼びつけた」 「そ、そう」 「それからも宴の度に誰かがそういう者を手配している。断ってもややこしくなるからと、楽しめるだけ楽しんではいたが。名も知らない女ばかりだった」 「…………」 「遍歴はそんなものだ。私は、特別な相手を持ったことは無いし、持とうと考えたことも無い」 「ん?」 黙って聞いていたセリカは、ふと引っかかるものを感じて首を傾げた。 青灰色の瞳が靄の向こうからじっと見つめてくる。蝋燭の光がちらちらと映る様子が妖しく、見入った。 「さっきの話だ。国の政略で結婚させられるであろうことは、遥か以前から理解していた。なら、側室も愛妾も必要ない。いずれ与えられる妃の為に取っておきたかった」 取っておいたのが何なのかまでは名言されなかったが、なんとなく伝わった。 (ああそうか。エランがあたしに構うのは責任感からじゃなくて……誠意、なんだ) セリカは微笑混じりに息を吐く。すとん、と腑に落ちるものがあったのだ。 「すごい。誠実なんですね」 「……? どうも」 疑問符を飛ばすエランに向けて、気が付けば頭を下げていた。絨毯の上で両手を揃え、その上に額をのせる。 「ごめんなさい」 「待て、私は何を謝られている」 心底わからないと声音が訴えかけてくる。セリカは平伏の体勢を維持した。 「それに比べるとあたしは全然ダメね。どうせ親が決める結婚相手だからって、諦めがあったの。まだ見ぬ伴侶との将来を大事にしたいとか、ちゃんと向き合おうとか、考えてもみなかったわ」 一拍置いて、締めくくりの口上を述べる。 「ここに誠心誠意、これまでの非礼を詫びます」 「…………」 数秒間、うるさく鼓動を打つ心臓の音だけが頭の中で響いた。 ――なんとか言ってよ。 そう、心中で念じてみたりもした。やがて静かな笑い声が降ってきた。 「お前の言い分はわかった。それは絨毯に額をこすりつけるほどのことか?」 「ほどのことだと思ったのよ」 そう言い返せばやはり笑い声がした。 「顔を上げてくれ、セリカ」 乞われた通りに上体を起こして、驚きの発見をする。 (おや、いい笑顔) 嫌々口角を上げて作られたものではなく、本気で楽しそうに笑っている。半分しか見れないのが惜しいと思った。 (いつかは素顔見せてくれるかな。いつか、でいいわ) 二度と無理強いをしたくないのだから。 「著名な哲学者が、赤を真心や情熱の色とたとえていたな。そんなに身に着けていれば大丈夫だ」 「心構えに、色関係ある?」 「どうだろうな。それにしてもお前は私を面白い人間と評したが、私にしてみればお前の方がよほど面白い」 これにはセリカも笑うしかなかった。 「エランの期待に応えられるかわからないけど、これからはちゃんと歩み寄るわ。差し当たり、遠乗りに連れて行ってくれるのよね」 そうだ、と彼は首肯した。 「約束よ。絶対だからね」 ゴブレットを差し向けて、乾杯しようとの意を示す。青年は瞬時に意を汲んで、自らのゴブレットを持ち上げた。 「わかっている。私は果たせない約束は最初からしない」 ――キン。 鉄同士が接触し、小気味いい音を響かせる。余韻がまだ耳朶に残る内に、セリカはひと思いに中身を空けた。 それから先、意識が曖昧となった。くだらないことを口走ったかもしれないし、睡魔に襲われてだらしない姿を晒したかもしれない。何にせよ―― とても、満たされた気分だった。 |
五 - e.
2017 / 05 / 18 ( Thu ) (口説かれているのだとしても……)
検証の仕方がわからないのが本音である。これまでの人生を振り返ってみても、異性にこんなことを言われたのは初めてだった。 それもそのはず、公女という身分が壁となっていたのだ。兄弟の友人も、宮殿に仕える使用人も役人も、たまに会話してくれた兵士や護衛ですら、一線を引いて接してきた。 引き合いに出せるものと言えば、経験ではなく聞いた話か架空の物語。しかしそこからも役に立つ情報は得られない――相手の真意を測る為に欠かせないとされるのは「顔」で、この場合は、赤面をしているのか否かだ。 残念ながら元々エランは褐色肌で顔色が窺いづらい上、もう日はほとんど暮れてしまっていて暗い。蝋燭の明かりの中では、誰であっても赤みを帯びているように見えよう。 (水蒸気も邪魔ね。払いたいけど、手で煽いだら挙動不審か) 残された手段は言葉で本意を引き出すくらいである。 いくら歯に衣着せぬセリカでも直接訊くのはさすがに憚れる。けれども、喋って欲しいと彼は言った。この機会に思い切ってひとつ核心に迫る問答をしてもバチは当たらないのではないか? 「……あのね。だったらあんたに……訊きたいことがあるわ」 目線を彷徨わせて呟く。 「何だ」 靄が僅かに薄まった。こちらに首を巡らせた青年は、いかにも答えてくれそうな姿勢を見せている。 セリカはすぐには言葉を組み立てることができず、膝上に両手を握らせたり、貴金属の腕輪を触ったりした。 沈黙が重い。 間を置けば置くほど言い出すのが難しくなりそうだ。意を決し、勢い込んで声量を上げる。 「こ、この際だからはっきり教えて。エランは結婚相手に、何を求めてるの」 青灰色の瞳を真っ直ぐに見つめて訊ねた。 不意を突いたらしい。あれほど穏やかに続いていた呼吸が突如として乱れ、青年は二、三度咳き込んだ。散った水蒸気からタバコの甘ったるくて濃密な香りが漂う。他人の吐いた息をそっくりそのまま自分の中に取り込んでいるみたいで、セリカは落ち着かない心持ちになる。 「……――いきなりそれを訊かれると答えづらい」 その声がどこか恨めしそうに聴こえたのは、気のせいだろうか。それとも噎せて息苦しいだけなのか。 「そうかしら」 「ならお前はどうなんだ」 矛先を向けられて、セリカは怯んだ。 「う、わ……わかったわよ。じゃああたしから話す……から」 今更ながら、なんて話を切り出してしまったんだと後悔した。相手に求める分だけ、己も本心を明かすのが道理である。 (ええと、何を求めているか、ね。あたしは婚約者にどうして欲しいんだっけ) 言葉を探る。恥ずかしさに眩暈がする――酒が回ってきたからかもしれないが。やっぱりこの話は無かったことにしようかと、一瞬迷って、思い直す。 ――取り消せない。だって自分は、知りたいのだから。 そして多分、知って欲しくもあるのだろう。 「あたしは、ね。リューキネ公女が愛妾って名乗った時……まあ仕方ないと思ったわ」 視界の端でエランが眉を吊り上げたのが目に入った。構わずに話し続ける。 「親が決めた婚姻だもの、不都合ばかりだろうなって最初から予想してたのよ。だから婚約者に、他に腕に抱きたい相手がいても……夫婦間に愛が育めなくても、義務を最低限果たせればそれでいいかなって」 ここまで言って、空しさを覚える。 セリカは膝を抱えて丸まった。宵闇を見上げて小さくため息を吐く。 「ほら、あたしってこんなだから、女社会にほとんど溶け込めないでいるわ。だからせめて結婚する男とはわかり合ってみたかった。恋愛じゃなくても良好な関係を――つまりあたしが欲しかったのは…………遊び相手? って言い方は、なんか変ね。えっと……相手をしてくれる人。姫らしさがどうとか言わずに、一緒に色んなことに付き合ってくれないかなって、ちょっと期待してた」 愛情や友情が無くてもいい。足並みが揃わなくてもいい。時々構ってくれれば、それで充分だ。 「対等な関係じゃなくても我慢するから、女友達が付き合ってくれない遊びに――」 「何故、過去形で語る」 「え」 反射的に視線を右横へ向けた。すぐ近くでエランは呆れたような顔をしていた。 「まるで望みを捨てたみたいに話すんだな。それくらいなら叶えてやれるが」 「え?」 この独白は、笑い飛ばされるか流されるものかと思っていた。真剣に取り合ってもらえるものとは思わなかったので、セリカは間の抜けた返事しかできなかった。 「武術の稽古がしたくても、私は止めない。共に弓を引くのは無理だが……そうだ、遠乗りにでも行くか」 「ええ、遠乗り!? いいの!」 食いつかずにはいられない提案である。思わず身を乗り出した。が、すぐに鼻先の近さに仰天して後退る。 エランは苦笑して話を続けた。 「ルシャンフは限りない空と、雄大な大草原の地だ。馬を走らせると爽快だぞ。お前の知らない『自由』を見せてやろうか」 挑戦的とも取れる笑み。 対するセリカは、子供みたいに心が躍るのを自覚した。それはきっと双眸に、声や表情に、滲み出ていることだろう。 |
五 - d.
2017 / 05 / 15 ( Mon ) 「元から、突然体調が崩れることがあった。今回が特に危険かはわからない」
無感動に彼は語る。「常時この城に専属医が居るように、聖人聖女もひとり雇いたかったようだが……彼らはそういう依頼を受けないらしい」 「そうでしょうね」 聖人または聖女とは――このアルシュント大陸の中北部に拠点を置く唯一にして最大の宗教機関、ヴィールヴ=ハイス教団が育て上げている特殊な聖職者の称号だ。傷や病を不思議な力で治せる貴重な人材であり、いくつか他にも重要な役割がある。セリカも一度や二度は会ったことがある。 天性の素質と厳しい訓練の両方が欠かせないため、その数は極端に少ない。「人類の宝」とも称される彼らは、その特殊能力を大陸の民になるべく平等に――時には最もそれを必要としている地域に――もたらす為に常に旅をしているらしい。為政者だからと優先的に治すことは、教団の道徳観にそぐわないのだろう。 (怪我と比べて病気への効力はムラがあるのよね、確か) であれば、どのみち常駐の者がいたからと言って助かるとも限らない。 難儀ね――とセリカは小さく感想を漏らした。隣の公子は何も反応しない。 (病だけじゃなくて人間関係も難儀みたい) 正面を向き直り、果実酒を更に喉に流し込む。初めはまろやかに感じていた喉越しも、量を経る内に次第に辛いような気がしてきた。 空の色合いが翳ってきて魅惑的だなあ、などとぼんやり思い始めた頃。ふいに空気が動き、蝋燭の炎が揺らめいた。 エランが立ち上がって寝床の脇を漁りに行ったのである。しばらくして、見覚えの無い道具を持って戻ってきた。 奇妙な形の器だった。黄銅でできた管のようだが、最下部と最上部は幅広くて丸い。最下部の丸みからは細長い管が枝分かれて突き出ている。 天辺の蓋をパカッと開けて、エランがこちらを一瞥する。 「吸ってもいいか」 「構わないわ。ていうか喫煙具だったのね、それ」 ゼテミアン公国で見てきた煙管の類とは大分違う――彼がその器具を準備する手順を、興味深く眺めた。 「ここではガリヤーンと呼ぶ。濡れたタバコを用いた吸い方だ。まあ、人が集まれば大抵誰かが引っ張り出してくる」 各部位は取り外し可能らしい。最下部に水を入れ、上の方にはぬちゃっとした、おそらくタバコである塊を詰めている。 「昨夜は見なかったけど」 「女子供の比率が高かったからだろう。そういう場では、あまり褒められたものじゃない」 「どうして?」 「知らん。かつて誰かが言い始めたからそうなったんじゃないか」 「伝統って時々いい加減よね……」 「吸ってみたいのか」 「ううん、興味ないわ」 エランが一個の石炭に火を点けた。トングで挟んでガリヤーンの最上部にのせ、蓋をする。それから数秒ほどして、枝分かれしている方の管に口を付ける。 「あんたは好きなの?」 長い息を吸って、吐いて、やがて青年は答えた。 「それなりには」 「ふうん」 喫煙している時の音や臭いに不快感は無く、ただなんとなくエランは今くつろいでいるのだという印象を受けるだけだった。片膝を立てて空を仰いでいる姿勢からも、気が緩んでいるのがわかる。 先ほどまでにこの屋根上を満たしていた緊張感はいずこへと消えていた。セリカも幾分くつろげた気分になっている。酒の効果もあって、ふわふわとした温かさが手足を駆け巡っていた。 目を細めて夜の風を頬に感じる。被り物をしていなければもっと気持ちよかったのかな、でも寒かったかも、と緩やかに思考を巡らせ―― 「何か喋ってくれ」 その一言は、ともすればせっかくのくつろぎ空間を台無しにしかねなかった。無意識に口を尖らせる。 「無理して会話を続けなくてもいいでしょ。静かに座ってるだけの時間も、あたしは嫌じゃないわ。気になるならこの前みたいに笛を……って、吸ってるんだからダメか」 「私も別に、静寂が嫌ということはない」 「じゃあ何が」 「静寂は好きだが、お前の声も話も結構好きだから、もっと話してくれないだろうかと思って」 遮ってまで被せられた言葉は、意外なものだった。 もやぁっと水蒸気が辺りに広がる。セリカは靄を見つめたまま絶句した。 (公子サマ、それはどういうアレですか。口説いてるんですか) 相手の表情が見えないので、ひたすらに悶々と考える。 |
五 - c.
2017 / 05 / 09 ( Tue ) 「カーネリアンとガーネットも似合ってはいるが」
青灰色の瞳が見つめる先は、セリカの首の下から胸元を飾る豪華な装飾品だった。 「これは大公陛下からいただいたものよ?」 ゴブレットを卓に下ろし、首下に連なる宝石を無意識に撫でる。ケチをつけられようにもセリカの好みとは無関係なのだ、との無音の抗弁のつもりだった。 青年の表情が瞬時にむすっとなる。 「その父上の見立てが、いまいちだと言っている」 「そんなこと知らないわ。何であんたが眉間に皺を寄せるわけ」 文句があるなら本人に申し立てればいいでしょ――とは言わない。父と子を隔てる身分という壁が、分厚いのはわかっていた。 青年が顎先のちょっとした髭を撫でて返事を組み立てる間、セリカは一度手放した果実酒の容器を再び持ち上げた。 液体の表面から立ち上るクローブの香りが、鼻孔をくすぐる。それから果実の甘さ、酸っぱさ、包み込むように濃厚な味わいが、かわるがわる舌を撫でていった。 想像以上に強い酒だ。ツンとした刺激が脳髄に走り、意識を揺さぶった。 「父上はお前の肌と瞳の色と合わせたつもりだろうが、私に言わせてみれば、安易な選択だな。赤い髪に大量の赤を添えれば、さすがにくどい」 「陛下はあたしの髪色を知らないんでしょ」 なんとなく大公を庇うような反論をする。 「知ろうとしない、の間違いだろう。下女に訊けば済む話だ」 「だから何であんたが不服そうなのよ」 要領を得ない応酬にセリカはしびれを切らした。責め立てるようにしてゴブレットを向ける。 その仕草をどう受け取ったのか、青年は己のゴブレットからぐいっと豪快に酒を一飲みした。更に短く息を吐いて、答えた。 「――もったいないからだ。カヤナイト……ラピスでもいいな。青と緑を使ったほっそりとした型のペンダントの方が、きっとお前の美しさを際立たせる」 静かな声が、頭の中で反響する。 さぞや呆気に取られた顔をしていることだろう。不意を突かれて、次の言葉がなかなか出て来なかった。 (あたしの何をなんだって……?) 礼儀も忘れて公子の横顔をまじまじと見つめるが、先の発言を掘り下げて欲しいと願い出るべきか決めかねている間に、彼はひとりでに話を続けた。 「モスアゲートは調和と自己表現を象徴する。ものによっては白地の内に描かれる深緑の模様が……影だったり森だったり、海に見えたりする」 「へ、え」 少しだけ興味が沸いてきた。自分を着飾ることにそれほど執着しないセリカだが、美しいものは見てみたい。 「宝石としての価値がガーネットやラピスに劣っても、見栄えはするぞ。今度、取り寄せておく」 そこでエランはこちらを突然に振り向く。目先で大きな涙型の宝石が揺れるのを、つい視線で追った。 「青にラピスラズリって、あんたの耳飾と一緒になるわね」 言い終わってからセリカは唇を「あ」の形に固定した。 ――間違えた。無難なお礼の言葉を返すつもりだったのに。 語調がきつくなかっただろうか。お揃いが嫌だと主張しているように聞こえただろうか。どうやって取り消せばいいのかわからなくて、微かに身震いした。 が、杞憂に終わる。 「これはラピスマトリクスというバリエーションだ。一緒といえば、一緒になるか」 エランは左手の指の間に耳飾の宝石を挟んだ。それを瞥見した瞬間の微妙な表情筋の動きに、セリカの直感が働いた。 大事なものなの、と問いかける。母の形見らしい、と彼は答えた。 「らしい、って」 「直接手渡されたわけじゃないからな。私が生まれた記念に母が用意したそうだ――いつか成人したら付けるようにと。母は私が成人する前に逝ったから、乳母が内密に預かっていた」 「乳母を信頼してたのね」 「母はヤシュレから嫁いできた時に、最も信頼のおける使用人一家を連れてきた。いや、祖国では奴隷の身分だったか」 「......そっか」 続ける言葉が思い付かなくて、相槌だけを打った。話は一旦そこで途切れた。 どうやらエランの母の身の上は今のセリカと似ていたようだ。子への贈り物を異国の地の人間ではなく祖国から連れてきた供に預けた心境も、わかる気がする。 それからもう一つ、得心した。 兄弟と言っても母親が四人もいれば子が互いに似ていなくても仕方がないと思っていたが、エランの頬骨や顎は、他のヌンディーク公子に比べて明らかに丸みが無い。彼らよりも鼻の形が細くて、肌の色素もやや薄い。 加えてエランは、父親にもあまり似ていなかった。すらりと角ばった輪郭はどちらかというとタバンヌスのそれに寄っている。 目や眉骨や鼻の形など、大公の顔の部分的特徴は、第一公子ベネフォーリと第七公子アダレムが一番引き継いでいるように思えた。 「大公陛下はどこか悪いの」 物思いの果てで、その質問に至った。「容態が悪化したって話だけど、見舞いに行かなくていいの?」 まだ明日までは絶賛家族孝行タイムですが、昨日ふいに時間が取れたので更新しちゃいます |