12.a.
2012 / 04 / 23 ( Mon )
 独りで眠る夜を怖がった頃もあった。
 それまではいつも誰かと一緒だったし、よほど曇っている夜でなければ窓から明かりが入り込んでいた。
 屋内の純粋な闇には、屋外のそれとは違った恐ろしさがあった。
 
 ドアの隙間から毒蛇が入り込むわけが無いのに、結界に守られた地域に魔物が現れるはずも無いのに、目を閉じれば寝てるうちに襲われて二度と目覚めないのだと、どうしてか思い込んでいた。
 
 闇を凝視するうちに、怪物の輪郭が目に映る夜もあった。もちろんそれは錯覚だったが、子供の瞳には錯覚の方が真実に見えた。怪物は自分にしか見えないモノで、大人を呼んでも気のせいだよとあしらわれると思った。そんな時は悲鳴をあげないように、シーツを噛み締めて気が済むまで強く目を瞑った。
 
 ミスリア・ノイラートは九歳くらいの歳で親元を離れ、ヴィールヴ=ハイス教団系統の修道院に移り住んだのである。当時のルームメイトは彼女なりの都合があり、ミスリアより一月遅れて宿舎に入ったゆえ、それまでミスリアは独りで夜に耐え続けた。
 
(他の子たちだって怖かったはずよね)
 独りで眠る夜は誰にだって寂しくて恐ろしいもののはず。そうに違いない、と小さく頷く。
 
 実質的な危険でいうなら、今の暗闇の方が過去のそれを遥かに上回る。
 
 ミスリアは隣のゲズゥ・スディルを仰ぎ見た。背が高くて細身の筋肉質な青年は、燭台を壁から持ち上げてミスリアに差し出している。その表情には、恐怖が欠片も表れていない。
 幼少時になら、彼も闇を恐ろしいと思ったりしたのだろうか。七歳で身寄りを一切失ったというゲズゥは、どうやって眠りについていたのだろう。いつか聞いてみたい。
 
 考えを顔に出したのかもしれない。こちらが呆然と見つめていたら、怪訝そうにゲズゥは目を細めた。ミスリアは目を一度逸らしてから、燭台を受け取った。
 
「明かりを持つ方が先を歩くんですよね?」
 確認のために訊く。
「嫌か」
 
「いいえ」
 先を歩く不安を感じる一方で、ゲズゥに背中側を守ってもらえる方が安心できる。明かりに触れているというのも、いくらか心休まった。頭を横に振って、ミスリアは通路の方へと踏み出した。
 
 最初に歩いている内は、何も無かった。まるで地中から土を抉り取ってそのままトンネルにしたかのようであった。空気は冷たく湿っている。虫が過ぎる音を除いて、鼠の鳴き声一つしない静けさがあった。
 ふいにゲズゥがしゃがんだことに気づき、ミスリアも立ち止まって肩から頭を巡らせた。
 彼は地面についている僅かな血の跡を確認していた。
 
「……この量からだと、重い傷とは思えないな」
「そう、ですか」
 ミスリアはそっと息を吐いた。怪我をしているのが誰であっても、とりあえずは朗報である。友人カイルサィート・デューセであるなら、尚更だった。
 
 二人は再び歩き出し、通常より二倍速いペースで歩を進めている内に水音が耳に入り、そしてトンネルと交差する通路へと出た。こちらは最初のトンネルより広く、大人が五人程度横に並んでいられるほどの横幅がある。
 石造りの壁と地面、通路の真ん中を流れる濁水。これが下水道の一部と考えて、間違い無さそうだ。臭いを嗅がずに済むように、鼻から息をするのをやめて口からだけ呼吸した。
 
「ここからはどう進めばいいんでしょう?」
 当面の選択は右か左に曲がるかである。どちらも同じような闇しか見えない。ミスリアは燭台の蝋の残り分を確かめ、もってあと一時間と推測した。
 
「下流」
 ゲズゥが一言呟いた。
 大抵の下水道は川などと合流するように造られている。川を通じて、汚水が海へと流れ出る仕様だ。下水道を下流へ進めば進むほど川に出る地点へ近付く。
 
「では右ですね」
 どうして下流がいいのか、ミスリアはいちいち問い質さなかった。自分に優れた考えが無いからこそ訊ねたのである。
 そうして進んでいたら、鼠に遭遇した。何匹かが足元を忙しなく走り回っている。ミスリアは長いブーツを履いているので大して気にならないが、ゲズゥはサンダルだ。噛まれる可能性はある。
 
 盗み見るように振り返ったが、ゲズゥは至って平静だった。

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