三 - a.
2017 / 03 / 14 ( Tue ) 狭くて古そうな螺旋階段だった。 息が苦しいのは、埃とカビの臭いの所為だけではない。不揃いの段差を上がる度に、疲労が足に蓄積されていった。上を見上げると、頂上まではまだいくばくかの段数があるのがわかる。こんなことをして何になるのか。数段先を行く青年の背中を一瞥しながら、自問した。 長旅を経た一日も終わりが近いという刻限に、何故敢えて心拍数が上がるようなことをしなければならないのだろう。いくら体力に自信のあるセリカでも限度というものがある。 (わかってはいるのよ) 抗えぬ権力を持った人間が、そうしろと命じたからだ。そしてその人間の不興を買うような真似は、決してできない。 「――ふみっ!?」 途端に、足元がぐらついた。変な声を出してしまうほどに驚く。 幸いながらセリカは優れた運動神経に恵まれている。左足が階段を踏み外しても、咄嗟に両手を突き出して前に倒れるくらいは造作ない。 こうして転落を免れた。もしももう少し反応が鈍かったなら、三十以上の段を転がり落ちていたところだ。 「危ないわね……なんで手摺りが無いの」 「狭いからじゃないか。手摺りまで取り付けたら、人が通る幅がますますなくなる」 無遠慮な物言いに、エランディーク公子は特に気を悪くした様子もなく。彼はのんびりとこちらが体勢を立て直すのを待った。 「もうちょっと広めに設計すればいいでしょ。造った奴らは何考えてんのよ」 「過去の人間の思惑が、私にわかるわけがない」 怠そうな返事があった。 セリカは立ち上がって膝周りの衣を叩いてから階段を上り出す。それに伴い前方の青年も歩みを再開した。 別に言及するつもりはないが、この男は相変わらず人が地に腰を付けても、起き上がるのを手伝ってくれない。 「改造すれば済む話よ。過去はどうあれ、現在を生きる人々が決めればいいことだわ」 「あまり人の来ない場所だ。かつては物見の塔だったらしいが、防壁が一新されてからは使われなくなった」 人が来ないと語った割には、彼自身は物知り顔で階段を上っている。灯りも、必要ないと言って持っていない。壁をくり抜いたような簡易的な窓からは確かに月明かりが漏れてきているが、まるで窓と窓の間隔を知っているかのような自信に満ちた足取りだった。 「だったらなんで陛下はわざわざ塔に行けだなんて言ったの」 もしかして、イジメ? とは訊かないでおく。大公家の中での第五公子の立場がどこかおかしいのは明白だが、どこまで踏み込むべきかはまだわからない。 青年はすぐには答えずに、「ここはしばらく来ない間に朽ちたな……」と足元を見やって独り言を呟いた。 もう一歩踏み上げたところで、俄かに空気が変わる。セリカは倦怠感を束の間忘れて残りの数段を駆け上がった。 これまでは古びた壁の湿ったい匂いが屋内に居るような印象を醸し出していたのに、ここまで来ると、打って変わって屋外だった。扉の無い出口をくぐって、外の展望台へ出る。 夜風を遮るものが何もない。 手摺りまで一直線に進んで、そのまま寄りかかって顔を突き出してみた。 「すごい……!」 景色を眺めるよりも先に、セリカは目を細めて風の気持ちよさに感じ入った。パタパタと全身に纏った衣を弄ぶ冷たい流れ。心に溜まった澱を吹き飛ばしそうな勢いである。 空気が澄んでいる。しかし高山病になるほどの高度ではなく、なんとも快適だ。 「多分父上は、私がここで遊ぶのが好きだったことを憶えていたのだろう」 細めていた目を開けて、エラン公子の声のした方へ目線を移す。いつの間に右横に立たれたのか。腕の長さほども離れていない。こういう立ち位置だと表情が見えるな、とふと思った。 「……そうだったの?」 「昔の話だ」 短く答えた青年の横顔は、笑ってこそいなくとも、凪いでいた。 何か邪魔してはいけないものを見た気がして、セリカは視線を正面に戻した。 斜面に沿って展開する都、ムゥダ=ヴァハナ。 山のこちら側――向いている方角は北東だっただろうか――はこの地点から麓までを建築物に覆われている。高度に差があるため、麓までを一望すると、全てがとても広くて遠いように感じる。夜と言えどもまだ活動している人が多いのか、地上はそれなりの明かりに彩られていた。 不思議な光景だ。 「あんたは最後にいつ公都に戻ってきたの?」 ぽつりと質問を漏らす。 「丸一年は経っている気がする」 その返答に、ふーん、とセリカは興味のないふりをした。 |
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