二 - b
2017 / 03 / 02 ( Thu )
 現在は病床に臥せっているらしいヌンディーク大公からいただいた、豪華なネックレスだ。ガーネットとカーネリアンのビーズを何列にも連ね、時には大きく平らな石で花弁や葉を模している。離れて眺めれば満開の花と成るそれは、セリカの首の根元から胸を覆うまでに広がった。
 公女として生きてきて日が浅くないが、これほどの代物は初めて見る。一目で虜になるような素晴らしい一品だった。

「そういえば姫さま、わたし他の女官から聞いたんですけど」留め具をかけてくれているバルバが、セリカの肩越しに呼びかけてきた。「ここでは、床に座って食事をするそうで」
「えっ、床?」
「椅子を使わずに、専用の絨毯を敷くそうですよ」

「なんだか食べ辛そうね」
 体勢が辛くないだろうか。しかしなるほど床に座るのならば、この衣服の重装ぶりも頷ける。膝丈のチュニックの下にスカートを、踝(くるぶし)丈のスカートの下にもズボンを履かされているのだから。

「お行儀よくしていられる自信がないわ」
「がんばってください」
 苦笑してバルバが手を放した。
 ネックレスのずっしりとした重みを鎖骨や胸元に感じながら、セリカは姿見の前で回転した。裾の長いスカートは広がりようも緩慢だが、それがまた心地良い。
 そこにバルバが「完璧です!」との声援を添える。

「何があっても、どんなに派手に失敗してもわたしは姫さまの味方です! 泣き付く胸が必要になったら、このバルバティアがいつでもお貸しします!」
「あたしが失敗するのが当たり前みたいに言うわね」
 くすくす笑って、セリカは自分よりやや背が高くて肉付きの良い侍女を抱擁した。

「バルバの胸があれば、安心だわ。ありがとう」
「いいえ……わたしにできることなんてこれくらいですから。後はお願いします、公女さま」
「!」
 驚きに彼女を見上げる。最後の一言を反芻して、頭の奥が冴えていった。
 それは、ゼテミアン公国の一国民としての頼みだったのだろう。

「我が国の更なる発展の為、新しい貿易ルート開通の為に。任せなさい。ヘマなんてしないわ」
 ――縁談は商談、全ての段取りには意味がある。
 ヌンディーク公子との婚姻をもって本国が富を得るのならば、価値のあることだと言えよう。

 左手首に肌身離さず付けている、貴金属の細い腕輪に口付けを落とした。これは代々のゼテミアン大公家の人間が与えられる、身分の証だ。外側にはセリカの名と祖国を讃える一文が、内側には父母の名が刻まれていた。

「――行きましょうか」
 それからピンと背筋を伸ばし、ゼテミアン公国第二公女、セリカラーサ・エイラクスは不敵に微笑んでみせた。

_______

 香炉の煙が夜風に乗って舞い上がるさなか、出来立ての料理の芳香が微かに混じっているのがわかる。
 なんて美味しそうな匂いだろう、と喉が反射的に伸縮した。次いで呼応するが如く腹の虫が鳴りそうになるのを、セリカは腹筋に力を入れて阻止した。

(あぶない、あぶない)
 ここは大いに人目がある。刹那の焦りは微塵も面に出してはならない。
 回廊を滑るようにして進み、先を行く案内役の者の背中を見つめた。やがて回廊の果てにて彼はぴたりと足を止め、左を回り向いた。

「公女殿下のご到着です」
 良く通る声で、案内役が宣言した。北の共通語だった。
 このアルシュント大陸はおおまかに北半分と南半分に分けてそれぞれに定められた共通語がある。故郷では南の共通語が使われているのに対し、ヌンディーク公国では北の共通語が使われる。ゆえにあまり生活の中では聞かないが、公女ほどの身分ともなれば、幼少の頃から両方とも学ばされてきたので何ら問題はない。

 案内役が横に退いてつくってくれた隙間を、セリカは恭しく通過する。回廊からいくつかの段差を下りた先は、中庭へと連なる石畳の道だ。
 石造りの広大なパヴィリオンの方へと、真っ直ぐに向かう。半月を高く掲げる晴天の下、静かな庭を横切っていった。

 パヴィリオンの中には、楕円形の絨毯を囲んで待ち受ける人影が見える。
 今度は段差を上がっていく。一歩、また一歩、ゆっくりと。
 柱の合間をくぐって、セリカは屋根に守られた空間に足を踏み入れた。

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